第121話 野良ヒーラー

 ヒーラーギルド【ラヴィヴィオ】の火災という衝撃の事態から一夜明け――――


「ギルドマスター! ラヴィヴィオが燃えた! 全部燃えちまった!」

「マスター! 昨日ラヴィヴィオで火事があったって知ってる!?」

「もう聞いているかもしれないが、昨日ラヴィヴィオで火災があったそうだ。ここも火の扱いには十分に注意しないとな」


 出勤してくるギルド員の半数以上が、第一声でその件に触れていた。それくらい衝撃的な大事件だった訳だ。


 消火部隊によって火は消し止められたものの、既に建物の大半は焼け落ちてしまい、全焼といった状況。半壊した職人ギルドに続いて、五大ギルドからまた大きな被害が出てしまった。


 ただ、火事の原因はまだ誰も知らないらしい。当然、俺も知らない。情報網とかないし。


 ……こういう時に限って記録子さんも来ない。もうちょっと自分の存在意義を大切にしなよ。


「やっぱり昨日の事で持ちきりだねー。シレクス家でも話題になってたもん」


 お昼を過ぎたところでコレットもやって来た。心なしか、バフォメットマスクの角が若干黒ずんでるような……昨日は随分と火の粉が舞っていたし、ちょっと焦げたのかもしれない。


 ちなみにイリスは珍しく午前中から来ている。なんでも、早朝から臨時の五大ギルド会議がソーサラーギルドで開かれる事になって、向こうでやる事がなくなったらしい。当然、議題はラヴィヴィオの件だろう。


「困った事になっちゃったね。ヒーラーの溜まり場が燃えちゃったから、早速ヒーラーが街中を彷徨いてるみたい。問題が起きなきゃ良いけど……」


 まるで動物園から猛獣が一斉に脱走したかのようなコレットの物言いは、実際大袈裟でもなんでもない。暫くギルドが使えないとなると、守銭奴のヒーラー共は自分で仕事を取ろうと躍起になるのが目に見えてる。


 そうなると、例えば子供が転んで掠り傷を負ったところにしゃしゃり出て来て、やたら高度なヒーリングを使って大金を請求するヒーリング詐欺を実行に移す事も十分考えられる。想像するだけで恐ろしい。


「マスター、そろそろ会議が終わると思うから一旦ソーサラーギルドに戻るねー。また夕方くらいに来ると思う」


「わかった。何かラヴィヴィオについて判明してたら、教えられる範囲で構わないから聞かせて欲しいんだけど」


「了ー解! じゃ、行ってくるね!」


 乗合馬車の時間を見計らって、イリスはギルドを出て行った。


 この街の一般家庭には、デジタル時計は勿論アナログ時計もない。今が何時なのかは塔時計もしくは砂時計で確認するのが一般的だ。


 アインシュレイル城下町の中央には、かなり背の高い時計台が設置されている。重錘式動力による機械式の時計で、長針と短針がある点は生前世界のアナログ時計と同じ。ただし時計に書かれている数字は1~10で、短針が2周すると長針が1つ数字を刻むように出来ている。つまり短針が20進むと長針が1進む訳だ。


 そして長針が1周するとちょうど1日が経過する。勿論、1日が10時間って事はないだろう。体感的に生前世界と一日の長さは殆ど同じだから、生前世界の24時間=この世界の10時間だと思う。多分。


 言葉をはじめ、他の大半はこの世界に馴染んだつもりだけど、時間の単位は未だに生前の感覚を引きずってる。だから、携帯している砂時計も生前世界の約1時間(この世界の2.4時間)で全部の砂が落ちるよう調整して貰った。


 きっとこの砂時計を手放す時、俺は生前の自分と完全にお別れする事になるんだろう。そんな気がしている。


「それで結局、昨日は娼館には行った?」


「ああ。予想はしてたと思うけど、女帝はファッキウとあれから全然会えてないって」


「あはは……やっぱり」


 女帝が『大口叩いて悪かったねえ』と謝っていた事を伝えると、コレットはヘナヘナと苦笑いを浮かべ、特にやる事もないからと宿に戻った。何気に後ろ姿が肩を落としていて、少しは期待していた事を窺わせた。


 意気消沈したのはコレットだけじゃない。俺もだ。


 昨日、娼婦送迎の仕事について話を纏めに行ったんだけど、結局完全な合意には至らなかった。


 娼婦の出勤時間は夕方以降。食事をどうするかは人によりけりで、出勤前に済ます人もいれば、待機所で食べる人もいるらしい。女帝は仕事前にしっかり栄養を摂るのを推奨しているけど、そこはプロの集団、判断は各自に任せているそうな。


 で、この食事が各自バラバラってのが割とネックで、送迎する際に食事の時間をどうするか、ってのが一律にし辛い。送迎にかかる時間、すなわちギルド員の拘束時間が長ければ当然、こちらの報酬額も増やして貰わなくちゃいけない。


 女帝もその点には理解を示してくれたけど、もう少し話し合いが必要な段階で昨日は終わってしまった。あとは細部を詰めるだけだから、近日中には正式契約を交わせるとは思うけど……向こうから持ち込まれた依頼だからといって、確実に発注が行われるとまでは言えないのが悩ましい。


 警備員時代、そういう事が何度かあった。


 花火大会やマラソン大会などの大型イベントになると、全ての区域を一つの警備会社で担うのは無理だから、複数の警備会社に依頼が来る。そういった場合は事業者と各警備会社が事前に入念な打ち合わせを行った上で計画書を作成し、契約の締結が行われる。


 でもその打ち合わせの段階で、契約を見送られるケースが稀にある。最大手となるとそんな事は起こらないだろうけど、メインを張れない規模の会社は割とぞんざいに扱われがちだ。要は、大手がどれくらい警備人数を確保出来るかによって調整が行われ、十分確保可能となれば下々の警備会社は用済みって訳だ。こっちは更に稀だけど、大会自体がキャンセルされる事もある。


 何にせよ、向こうからの依頼だからといって100%契約が結ばれるとは限らない。そういう時、不快感を相手に示すようでは経営にならない。笑顔で『またお願いします』と言えるように心構えをしておこう。


 他にウチのギルドが今抱えている仕事――――怪盗メアロの捕縛と選挙当日の護衛についても現状を整理しておくか。


 職人ギルドで遭遇して以降、怪盗メアロは姿を現わしていない。こっちの捜索にも進展はない。ベリアルザ武器商会に出された予告状も偽物と確定したし、今は大人しくしてるみたいだな。


 選挙の護衛に関しては、フレンデリア嬢がコレットのマスクの件に集中しているから、未だ計画を煮詰められていない。まだ選挙までには時間があるとはいえ、早い内に計画書を完成させておきたいところだ。


 つまり、現状急いでやるべき仕事はない。


 かといって、これ以上仕事を増やしても、引き受けられるギルド員の数には限りがある。娼婦の送迎に結構な人数を割く予定だからな。


 理想を言えば、集団で出勤・退勤して貰うのが一番ありがたい。そうすれば、護衛の人数は最小限で済む。でも現実的とは言いがたい。みんなそれぞれ、自分の生活のリズムを崩したくはないだろう。ある程度は向こうにも協力して貰うつもりだけど、恐らく娼婦二、三人につきギルド員一名の派遣って事になりそうだ。



 ……なんて事をカウンター内でギルド員達と話し込んでいる内に、夕方になった。


 そう言えばイリス、この時間帯にまた来るって言ってたな。夕食に誘ってみようか?


 でもなー。ハードル高いよなー。そもそも俺、女性どころか男をメシに誘った事すら殆どないからな。一応、ギルマスになってからは何度か男連中と飲みに行ったりはしてるけど、それも全部向こうからのお誘いだ。


 イリスとは前に一度二人で食事に行ったけど、あれは良いアイディアを貰ったお礼っていう大義名分があったし、しかも『一緒にディナーって仲じゃないからランチで』って事になったんだよな。つまり、今日誘っても勝算は薄い。あれから好感度が上がった感触も特にないし。 


「マスター!」


 考えが纏まらない内に、イリスが来た。血相を変えて。


「お願い。これからソーサラーギルドに来て」


「……何かあった? あ、いいや。移動しながら聞く」


 断る理由はない。ギルドはもう店じまいだ。


「ありがと! それじゃ辻馬車で行こっか。料金は私が払うから」


 どうやら、余り他人には聞かれたくない話らしい。乗合馬車だとどうしても他の客に話が聞こえちゃうからな。


 一体、何があったのか……


「あのね、五大ギルド会議で――――」





「失態を犯したわ」


 ソーサラーギルドの執務室で両肘を机に突き、顎を手に乗せてそう話すティシエラは、明らかに目が死んでいた。


 顔色も良くないし、全身から疲労感を漂わせている。ここまで彼女が感情……というか弱音を表面化させているのは初めて見た。


 とはいえ驚きはない。既にイリスから事情は聞いている。ティシエラがこうなっていたとしても不思議じゃないくらいの事が今日、起こっていたらしい。


「話はイリスから聞いた。冒険者ギルドとやり合ったんだって?」


「……ええ」


 言葉少なにそう答えたティシエラは、執務室中央のソファに俺と向き合って座るイリスを一瞥し、小さく溜息をついて前髪を苛立たしげに掴んだ。


「あの惨状だとラヴィヴィオは当分の間、機能を停止したまま。今仕事を請け負っているギルド員はともかく、それ以外のヒーラーは自分で稼ごうと街に繰り出す事が予想される」


「それは俺も心配してたんだ。軽い怪我をした市民に不要な回復魔法をかけて金をせびる、みたいな」


「既にその類の事案が5件、発生しているわ」


「……マジ?」


「それ以外にも、ラヴィヴィオへの寄付を無理に迫る行為、強引な勧誘、病院に対しての脅迫、自傷行為を促す言動……昨日から今朝にかけて、既に合計11件のトラブルが報告されていたけど、会議が終わった後は数字が倍以上に増えていてね……とても見過ごせない状況よ」


 野良ヒーラー、想像以上にヤバいな。三日何も食べてない野犬より自制心がない。これもう災害だろ。


「ハウクはいつも通り放任主義で纏める気が一切ないし、商業ギルドと職人ギルドも先日起こった各々のトラブルを調査するのに人員を割いているから、私達と冒険者ギルドのどちらかで対処するしかなかったのよ」


 そもそも商業ギルドと職人ギルドに野良ヒーラー達を鎮圧出来る戦闘能力はないだろう。最初からソーサラーと冒険者に皺寄せが来るのは想定出来た。だからティシエラは昨日、現場に来ていたんだろう。いち早く状況を把握する為に。


「で、押し付け合いになったと」


「ヒーラーギルドとの関係性を考慮したら、私達より冒険者ギルドの方が適任だと主張しただけよ。実際、ヒーラーに悪感情を抱くソーサラーは多いから……余計なトラブルを増やしかねないのよね」


 その点、冒険者ギルドはヒーラーを冒険者として登録させているから、ある程度の繋がりは確保出来ている。好感度の高い方が対処すれば摩擦は少なくて済むというティシエラの意見は一理ある。


 とはいえ、冒険者ギルドは選挙も控えているし、そもそも冒険者の仕事は魔王討伐。魔王を倒す為に世界各国を旅し、その方法や有効な装備品を集めている。街の治安を守る為の職業じゃない。


 一方、ソーサラーは教育という役割を担っている。それは街中における仕事だし、野良ヒーラーを野放しにするのは子供の教育に悪いって事を考えると、どちらかといえばソーサラーの方が今回の件に対処すべきという主張にも一理あるところだ。


 で、そう訴える冒険者ギルドのギルマス、ダンディンドンさん――――の代理で来たマルガリータさんと、自分の所のギルド員をヒーラーと関わらせたくないティシエラの間で議論は白熱し、場はかなり荒れたそうだ。


 ダンディンドンさんだったら多分、そこまで揉めなかったと思う。そしてそれがわかっていたからマルガリータさんが来たんだろう。五大ギルド会議における決定は絶対。もし人の良さそうなダンディンドンさんが少しでも折れたら、野良ヒーラーに関する責任を冒険者ギルドが背負わなくちゃならなくなる。それだけは回避したかったんだろうな。


 結果的に衝突が起こり、両者とも会議で醜態……は言い過ぎにしろ、不相応な態度を晒してしまった。五大ギルドの主導権争いの場でもある会議で感情的な言い争いをするのは、失態も同然の愚行。ティシエラが落ち込むのも無理はない。


 こういう時、治安維持の為の組織がないアインシュレイル城下町は脆い。今まで小さなトラブルは引退した冒険者なんかが対処してくれただろうけど、ヒーラーにはみんな関わりたくないだろうからな。その歪みが生んだ悲劇だ。


「はぁ……」


「ティシエラ、大丈夫?」


「ええ。心配かけて御免なさい。明日にでも冒険者ギルドに行って、話を纏めて来るわ」


 とてもそれが出来そうな雰囲気には見えない。以前から疲れている様子はあったけど、今回のトラブルで一気にそれが吹き出した感じだ。イリスもそれに気付いていて、だから俺をここに呼んだんだろう。


「マスター、お願いがあるんだけど……冒険者ギルドと私達の仲介って出来ないかな?」


「イリス!」


 いつになく大声で叫ぶティシエラに、イリスはビクッと肩を震わせた。付き合いの長い彼女でも、滅多に見ない姿なんだろう。


「部外者の彼を巻き込むつもり? これは私の問題よ。自分の失策くらい自分で取り返すわ」


「だ、だって……ティシエラ、このままじゃ倒れちゃうよ」


「私は大丈夫。この程度で参るようならギルドマスターなんて務まらないから。そうでしょ?」


 同じギルマスって立場でも、まだ大した仕事もしていない俺に今のティシエラのキツさを理解するのは不可能だろう。だから同調は出来ない。


「仲介はしない」


 そう返事すると、イリスは顔を曇らせ俯き、ティシエラは小さく頷いて静かに目を瞑った。


 失望されたのかもしれない。でも仕方がない。俺達の仕事は仲介じゃないんだから。



 俺は――――



「その代わり、アインシュレイル城下町ギルドが野良ヒーラーの対処を引き受ける」



 この街の警備をする為、ギルドを作ったんだ。

 

「……え?」


「マスター!?」


 さっきとは真逆の反応。ティシエラは目を見開き、イリスも驚いたように大声をあげた。


「ウチは出来たての弱小だけど、城下町で唯一の治安対策を掲げたギルドだ。それを忘れて貰っちゃ困る」


「それは……でもマスター、今抱えてる仕事と両立させるのは難しくない?」


「娼婦の送迎は夜間だし、女好きのギルド員は除外してるから、日中の警備だけなら十分対応出来るよ。ヒーラーも市民が寝静まる夜間には活動しないだろうし」


 大変なのはわかってる。連中のヤバさは今まで何度も見て来たからな。


 でも、ようやく巡り会えたんだ。住民の信頼を得られるチャンスと。これを逃す手はない。


「当然、俺も現場に入る。ヒーラーを嫌がるギルド員がいたら、俺が説得する。だからティシエラ、この仕事をアインシュレイル城下町ギルドにやらせてくれ。頼む」


「……」


 机越しに、俺とティシエラの視線が激しく交錯した。


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