第108話 街灯





 ――――灯りが街の温かさを象徴するとしたら、アインシュレイル城下町は温もりを失った街と断言せざるを得なかった。



 夜もすがら、街は闇を覆い、静寂の中に道標を放置したまま動かない。



 この城下町の夜は、ある意味では永遠に眠っている。



「……街灯?」



 そう言えば、この時点でもう怪訝そうな顔をしていたっけ。感情表現に乏しいなんて周囲から言われているけど、俺にとっては寧ろ逆で、露骨なくらい顔に出る奴だ。



「ああ。この街には街灯が少な過ぎる。出来れば早い内に、住宅街に続く道を中心に設置箇所を増やしたいなって」



「それに何の意味があるの?」



 怪訝さを不可解な気持ちが上回って、でも不信感は全く抱かず、問い方に気を使いながらの質問。誤解される事も多いけど、実は気配りの人だ。将来、人の上に立つ事になれば、必ず良い上司になれるだろうな。



「この街は、住民と聖噴水を過信している。周りが猛者だらけだからって、不審者が現れない保証はない。モンスターが中に侵入して来ないとも言い切れない」



「それはそうだけど、だったらその都度対処すればいいだけじゃない。街灯の設置とどう繋がるのよ」



 例えば冒険者は、夜間の行動に慣れている。ソーサラーは炎をいつでも生み出せる。夜だから戦えない、なんて腑抜けはこの街にはいない。そう言いたいんだろう。



「街灯が沢山あれば、夜盗はそれだけで行動を躊躇うし、夜盗になろうか迷っている人間を引き留められる。上空から街の様子を窺っているモンスターも、この街が一日中起きていると判断したら、夜間の奇襲を計画から除外するかもしれない」



「要するに防犯効果ね」



「それと、意識を高める為でもある。元々、魔王討伐の最終段階で訪れる街だ。侵攻への意識が強い分、自衛の意識が極端に低い。夜間に問題が起こる確率が上昇する、だから事前に対策をしておこう……そんな当然持つべき意識が欠如している」



 アインシュレイル城下町を愛している人間にとっては、不快な言葉だったかもしれない。誰だって、自分の好きなものの欠点は聞きたくない。



「意図はわかったわ。どれくらいの数を想定しているの?」



「手始めに100本。可能なら、その三倍くらい追加したい」



「……意義がないとは言わないわ。でも、時間もかかるし費用も相応にかかる。私達の目的はあくまで魔王討伐よ。誰も納得しないわ」



「そうだな。現時点では通せる案じゃない。もう少し街全体に余裕が出来て、職人が材料を容易に調達出来る環境が整わないと、難しいだろうな」



 でも、灯が点れば闇を恐れなくて済む。準備は大変でも、時間が掛かっても、重要なのは普段通りの景色を映し出す事。それがわかってくれれば良い。



「ああ、そういう事」



 俺の真意を察したのか、表情が幾分か和らいだ。優しい子にはやはり、張り詰めた顔より朗らかな顔の方が似合う。



「私に落ち着けって言いたかったのね。私の今の心情を夜間の街に見立てて、もっと街灯を……安らぎや余裕を持てって。何の話かと思ったら、まさか忠告だったなんてね」



「この街にもっと灯りが欲しいのは本当だ。出来ればいずれはそうしたい。ま、一番の意図は仰る通りだ」



 三日前――――魔王討伐隊の先鋒、通称『グランドパーティ』に国王から勅命が下されて以降、どうにも心が乱れっぱなしに見えて仕方ない。命令内容は容易に想像出来るし、プレッシャーを感じるのは当然だ。でも、今のままだと最悪のコンディションで魔王城に向かう事になる。



 それだけは避けたかった。



「私はそんなに頼りなく見える? 仲間からも、他のギルド員からも、そんな指摘を受けた事は一度もないんだけど」



「みんな余裕がないんだよ」



 過去、数多の猛者達が大きな期待を背負って魔王城に向かい、そして散っていった。今回の討伐隊は過去最強と言われているが、違う末路を辿るとは限らない。



 人類の滅亡を懸けた戦い……は大袈裟かもしれないけど、それくらいの覚悟をもって臨めとは言われているだろう。



「出発はいつだ?」



「まだ決まってない。準備しておくように、とだけ」



 道理で不安定な訳だ。そんな曖昧な状況で日々を過ごす苦行を、王家の方々は味わった事もないんだろう。



「怖いか?」



「……私にどんな答えを期待しているのか知らないけど、『怖い』なんて素直に言える人間が、この街にいると思う?」



 みんな、魔王を倒す為に故郷を離れ、長い長い旅を続けて来た。誰もが険しい道のりを仲間と共に歩んできた。



 魔王討伐は皆の悲願。その機会を与えられて、今更怖いなんて言える筈もない。



「素直じゃなくていい。何でもいいから本心を聞かせろ」



「横暴ね」



 呆れたような口調も、よく似合ってる。日頃から仲間に似たような事を言っているのかもしれない。外にいる俺には知る由もないが――――



「死ぬのは怖くない」



 ポツリと。



「……これで満足?」



 そう呟いた言葉が、全てを物語っていた。



 自分が死ぬのは怖くない。でも仲間が死ぬのを見るのは怖い。魔王討伐を果たせず、期待していた人達に絶望を与えるのが怖い。捕らえられて拷問を受け、人格を破壊され人類側の情報を喋ってしまう事が怖い。



 きっと、そうなんだろう。



「ああ。大満足だ」



 おかげで腹を括れた。



 どうやら、街灯設置の案は通せそうにない。他にやる事が出来た。





 ――――魔王は倒せない。





 王家もそれを知っている。だから"ここにはいない"。



 構わないさ。連中がいようがいまいが、俺達の人生に影響はない。俺の決断にも。




「ティシエラ」



「何?」



「元気でな」



「……何よ、それ」



 なんの事はない。ただの今生の別れの挨拶だ。



 優しくて秀でた人間は貴重だ。きっと多くの人々を幸せに出来る。失う訳にはいかない。



 その点、俺は適任だ。



 ああ……それにしても、なんて暗いんだこの街は。人が折角、一世一代の決意をしたっていうのに、まるで他人事のような薄暗がりじゃないか。



 やっぱり街灯は必要だ。最低100本。それくらいは欲しい。



 心残りがあるとすれば、それくらいだ――――









「――――皆さん、あと少しです! ここが頑張りどころですよ!」


 妙な風景が頭を掠めていったけど、そんな事より今は目の前の光景の方がずっと大事だ。


 今日中に街灯32本を設置。普通に考えたら不可能なミッションだったけど、それが達成出来つつある。


 もう夜が更けているし、幸い星空ではあるけど、少し離れた所にいる奴の顔が認識は出来ない。ヘッドライトがあれば良いんだけど、この世界にそんな気の利いた物はない。イリスをはじめとしたソーサラーに灯して貰ったランプが頼りだ。


 天候以外にも幸いだった事がある。人員の確保だ。


 作業人数が倍になるくらい集められれば理想的だと思っていたけど……まさか四倍集まるとはなあ。


 近隣住民がこぞって協力を申し出てくれたのがありがたかった。勿論俺にそんな人望はないし、ギルド自体にも全く信頼はないから、古株のギルド員の人脈が思った以上だったのかもしれない。若しくは……誰かが裏で暗躍してくれた、とか。


 一瞬、ティシエラの顔が浮かんだけど、あいつはこの件には関与していない。多分違うだろう。


 それと――――


「おいコラ野郎共! てんで力入ってないじゃないかい! もっと気合い入れな!」


「ひぃー」

「マジかよこれがマックスだって」

「アンタが規格外過ぎんだよ」


 即戦力を追加出来た事も大きい。


 まさか、あの女帝が本当に手伝ってくれるとはな。ダメ元で依頼して良かった。


 ……依頼っていうか、半ば脅迫だけど。



『貴女の息子が、冒険者ギルドのギルドマスター選挙に参加する事になりました。俺もその選挙に一枚噛んでいます。よって彼は俺の敵です。当然、容赦はしません。彼の過去を探り、問題視されそうな行為があれば、それを公にして徹底的に叩きます』



 女帝は『私を脅す気かい?』と凄んで来たけど、案の定、選挙の事は何も知らなかった。そして暫く交渉を続けた結果、三人分は働いてくれるであろう彼女のヘルプ実現に漕ぎ着けた。


 数少ない俺のコネの中では最大の戦力だとは思っていたけど、その働きは期待以上。三人分どころか五人分、いやそれ以上の仕事をしてくれている。


 ファッキウがネシスクェヴィリーテを保有している以上、どうにかして奴を籠絡しなくちゃコレットが元の姿に戻れない。そういう意味でも、この機会に母親と明確な繋がりが持てたのは収穫だ。


 今回の交渉を経てわかった事がもう一つ。ティシエラの言っていた『利益至上主義の金の亡者に成り下がった』って情報は、完全にガセだ。もしそうなら、手伝いを依頼した際にまず金の話になる。でもそんな素振りは一切見せなかった。


 だとしたら、一体誰がそんな偽情報を流したのか。ティシエラの耳に入れられるって事は、かなり信頼度の高い情報源の筈なのに。


 ……真相が一つ明らかになったら謎が更に増えるこのシステム何なの。勘弁して下さいよ。だから現実はクソゲーとか言われるんだよ。


「お前ら見てみな! ギルドマスターがサボってるよ!」


「何ィィィ!? 俺らにこんな無茶させといてサボるたぁ何だこのゴミクズがァァ!」


「ブッ殺すぞクソマスター! そもそもイリスちゃんとの会話が多過ぎるんだよクソボケ!」


「テメェの心臓は何色だ!? 心まで禿げ散らかしてんじゃねぇぞゲス野郎!」


 ……すみません。っていうかヘイト溜め過ぎだろ俺。仮にも集団のトップがこんだけ言われる事ある? あと心まで持ち出して人をハゲにしようとするな。こっちはフッサフサだバカ野郎。


「幾ら非力だろうとね、上のモンがやらないと示しつかないよ。アンタも手伝いな」


「へいへい」


 仰る通りなんで、街灯を垂直に立てる為の綱引きに参加。いやサボリサボリ言いますけど、ロープを街灯に固定する時とかはちゃんと参加してますからね、サボってる訳じゃないですからね。


「そんじゃこっち引っ張るよ! せーの!」


 すっかり女帝がリーダーになってる。この人がウチのギルドに来たら数日で制圧されそうだな……


「で、なんでアタイの声かけたんだい? 他に力自慢の奴なんざ幾らでもいるだろ?」


 随分余裕ありますね……こっちは力込めてロープ引っ張るだけで息も絶え絶えなのに。


「そっちこそ、なんで手伝う、気になったんです、か?」


「そりゃ脅されたからさ。アタイが手伝えば、息子の悪行をバラしはしないんだろ?」


「それ、悪行やらかしてるの、認めてるような、ものですよね」


 綱引きしながら喋るの辛い、辛すぎる。呼吸が……肺が……


「フン。なんてこたぁない事だよ。クソみたいなお節介されて、それに乗ったってだけさ」


「お節介?」


「アタイが息子を守る為に、アンタらの出した条件を呑んだって既成事実を作りあげて、アタイと息子を和解させようとしてるんだろ?」


「……」


 だから大人は嫌いだ。いとも容易くこっちの思惑を見抜いてくる。


「息子さんが保有している武器が、どうしても必要なんで、貸して欲しいんですよ。仲直り出来たら頼んでみてくれませんか」


「そいつは難しいね。アンタはこの世で一番気持ち悪いと思ってるものと仲良く出来るかい? あの子にとってアタイはそういう存在さ」


「ただの長い反抗期なんじゃないですか? 昔からそんなに嫌われてた訳じゃないんでしょ?」


「……まあね」


 大した根拠があった訳じゃないけど、なんとなく女帝の未練は、良かった頃を知っているからこそって感じがした。どうやら当たったらしい。嬉しくもないけど。


「あの子はアタイを追い出したいのさ。そして、娼館を自分で牛耳ろうと目論んでいるんだよ」


「……そうなんですか?」


 だとしたら、この人の悪評を流したのは、まさか――――


「でも、今はまだ出来ない相談だね。確かにあの子は親でもゾッとするくらい美形で、女を集めるのには困らないだろうさ。最近はあの武器屋の娘に入れ込んでて、他の女は目に入らないみたいだけど……そういうところも含めて、まだ譲る気はないんだよ」


 多分、この人は全部わかっているんだろう。あのイケメンクリーチャー、ルウェリアさんだけじゃなく親にまで嫌な思いさせやがって……


「アンタに協力すれば、その意思表示くらいにはなると思ったのさ」


 選挙における敵の俺に敢えて協力するのは、そういう意味もあったのか。泣ける話だ。親の心子知らずとはこの事だ。


 人間30過ぎると、結婚してなくても子供より親に感情移入するよね。不思議と。


「よっしゃ設置完了! あと幾つだい?」


「ウチの班は残り2本ですね」


 ティシエラから手配して貰った馬車に加え、女帝が娼館で保有している馬車も借り入れたから、全部で四つの班に分かれての作業。一班あたり8本だ。このペースなら夜が明けるまでに出来るかもしれない。


 別に今日絶対にやってしまう必要はないけど、もし今日中にやりきる事が出来れば、アインシュレイル城下町ギルドは一皮剥ける。


 よっしゃ、ここらで気合いを入れ直そう。生前の日本で最も有名だったエールのアレンジ版だ。


「頑張れ俺たち頑張れ!! 俺たちは今までよくやって来た!! 俺たちはできる奴だ!! そして今日も!! これからも!! 街灯が折れていても!! 俺たちが挫けることは絶対に無い!!」


「「「折れてちゃ困るわボケ!」」」


 ……失敗だった。やっぱ他人の言葉借りてもダメね。


 ともあれ、もう一仕事。気合い入れてやりますか。



 今日出来る事は今日やる。今年やれる事は今年やる。次に持ち越さない。



 そういう気持ちだけで頑張り続けた一日は――――



「32本。全て完了……だ」



 本日二周目の昼頃、死屍累々の中で無事終了した。


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