第107話 やめて痛くしないで
暗黒武器を恐れるくらいビビリなバングッフさんにとって、今のコレットの姿は文字通り悪魔そのものだったらしく――――
「俺は大丈夫だ。俺は無事だ。俺は生きている。俺は何人たりとも恐れちゃいねぇ。俺はステキだ。俺はナイスガイだ。俺は商業ギルドのギルドマスターだ。俺は無敵だ。俺は圧倒的勝ち組だ。俺は悪魔如きに負けねぇ。俺は悪魔なんか怖くねぇ。俺は絶対にビビってねぇ。俺は……俺は……」
……なんか念仏みたいに己を奮い立たせる言葉をブツブツ羅列しながら、応接室の隅っこで蹲っている。疲労困憊で帰って来たってのに悪い事しちゃったな。コレットにエンカウントさせてしまった責任を感じる。
「うう……」
そしてコレットも、理不尽な罪悪感と現状の自分がどんな存在なのかを再確認して苦悶の表情を浮かべているかもしれない。見えないから声と仕草で判断するしかないんだけど。なんか、出会わせちゃダメな二人を出会わせちまったな。誰も得しない鉢合わせだった。
「話は大体わかったわ」
そんな重い空気の中、ティシエラは一人涼しげに事務員が煎れたお茶らしき飲み物を口に含み、優雅に納得していた。流石はギルドマスター、何事にも動じないね。
「バングッフが無事だったのは良いとして……五大ギルド会議に外部からの介入を許したのは痛恨の極みね。比較的会議の序盤で見抜けたから今回は大怪我せずに済んだけど、今後二度とあってはならない大醜態よ」
……と思ったら、思いの外キレていた。情緒わかり難いわー……
「面目ねぇ。デカい借りを作っちまったな」
ヤクザの若頭みたいだった人も、ティシエラにかかれば形無しか。最近忘れがちだったけど、やっぱこの女獰猛だわ。今後は敬語で話した方が良いかもしれない。
「借りと思うのなら、商業ギルドで人員を割いて調査に当たって頂戴。幾ら多忙を極めているギルドでも、それくらいの事は出来るでしょう? 普段の高圧的な姿勢もこれを機に改めて欲しいものね」
「いやアレはな、職業柄ナメられちゃいけねぇってのもあってだな」
「今更嘗められない理由があるとでも?」
「……いや、まぁ」
ティシエラの言葉には棘がある。インテリヤクザがインテリヤクザの女王に脅されているような構図だ。どんな怪談より怖いですね。
ちょっとこれは……良くない流れだな。自分に落ち度があるバングッフさんは何も言い返せない。しかも彼の偽者を見抜いたのは他ならぬティシエラ。一方的な言葉の暴力に発展する環境下にある。元々軋轢のある間柄だったけど、決定的な亀裂を招きかねないぞ。
普段なら、頃合いを見てイリスがティシエラを宥めるところなんだけど――――
「~~~~」
全然話聞いてない! なんかすげー眠そう!
一応目は開いているけど、なんかトロンとしてる……よくこんな状況で睡魔に襲われるな! ソーサラーギルドではこういう空気が日常茶飯事なのかな!?
……いや、でもよくよく考えたら疲れてて当然なんだよな。ソーサラーギルドでの通常業務に加え、こっちでも結構ガッツリ手伝って貰ってるし。疲労の一翼を担わせている立場の俺がどうこう言える訳ない。この場においてイリスの助力はないと考えるしかなさそうだ。
「……」
コレットは、うん。
仕方ない。ガラじゃないとはいえ、俺が介入するしかないか。転生してからそんなんばっかだな俺。すっかり出張り癖が付いてしまった。
「それで、どうして俺達が同席させられてるんですか?」
「……何故敬語?」
「気にしないで下さい。気分的なものなんで」
「今は冗談に付き合える気分じゃないわ。フザけるのなら出て行って貰える?」
むう……なら仕方ない。
出て行くか。
「え? ちょっ、トモ!? 本当に出て行ってどうすんの!? これから大事な話があるっぽいよ!?」
「いや、俺明らかに部外者だし、明日もあるから」
「で、でも……あれ!? 本当に出て行く感じ!?」
本気で慌てているコレットには答えず、見慣れつつある応接室に背を向けた。
ティシエラの言動に腹を立てた訳じゃない。明日があるってのも本当だ。
ただ――――なんとなく、今のティシエラは冷静さを欠いているように見える。
普段通り淡々とはしているし、バングッフさんに対する発言も別に間違ってはいない。それでも、今の彼女とシリアスな話をすると、何処かで決裂しそうな気がしてならない。長年一人で生きててもね、この手の予感みたいなのは大抵当たるんですよ。
……だから俺は、親や親戚との交流を断絶したんだ。
「待って」
扉に手を掛けたところで、ティシエラが呼び止めて来た。
「それは貴方なりの抗議? バングッフを責める私に対する」
「別に。本当に帰りたいだけだ。言っただろ? こっちは明日も仕事だし、なんだったら大仕事なんだよ。なんでもかんでも付き合わせるな」
つい勢いで『迷惑だ』とまで声に出そうだったところを辛うじて抑えた。
勿論、そんな事は思っちゃいない。ただ、この場で俺がバングッフさんの肩を持って抗議するのも、今のティシエラを言いたい放題させておくのも、俺の立場上ちょっと違う。
なら何が出来るかってーと、クソムーブかますしかない。人間、目の前で不可解な事をされると途端に冷静になれるからな。白けるとも言う。この際どっちでも良い。要はティシエラの苛立ちを抑えられれば良いんだ。
「……そうね。貴方には本来無関係の五大ギルド会議にも出席させていたし、少し頼り過ぎていたかもしれないわ」
ん? まさか止める気ない?
いやいや止めなさいよ! 『やる気がないなら出て行け!』って言われて本気で出て行くクソな奴を止めるのが常識人の仕事でしょーが! ここで止めて貰わないと俺ガチで痛い奴じゃん! やめて痛くしないで!
「でも、この場にはいて頂戴。貴方を同席させたのには相応の理由があるから」
「……」
内心死ぬほど胸を撫で下ろしながら、しれっと席に戻る。あっぶねー……学生でも十分イタい行動なのに、30台でこれやったらマジ人として終わるところだ。
「フゥ……」
眉間に少しだけ皺を寄せて、ティシエラは決して小さくない溜息をついた。もしかしたら例のキャラ変事件の調査でイリス以上に疲れているのかもしれない。疲労が表情に出るタイプじゃないからわかり辛いけど。
「会議の場に偽者を入れてしまった時点で私達も同罪。バングッフだけを責めるのは見当違いね。少し言い過ぎたわ」
「いや……俺の責任が重いのは自覚してるよ。今回の醜態、必ず取り返す。出来るだけの事はやらせて貰うつもりだ」
「ええ。お願い」
取り敢えず、この場はどうにか収まったらしい。トモ、動きました。平和が一番よな。
「それで、誰に襲われたのかはどうしてもわからない? 何か少しでも手掛かりになるような事は……」
「すまねぇな。気付いたらベルクティーフェに飛ばされてた。時間の経過的に、数日かけて運ばれたって訳じゃねぇとは思う」
「だとしたら転移が妥当ね。魔法かアイテムかスキルか……いずれにしても、そんな芸当が出来る人物の仕業となると、厄介極まりないわ」
そこまで口にしたところで、ティシエラの目がこっちに向いた。
「トモ、貴方には心当たりはない?」
……?
ああ、そうか。ティシエラには俺がこの街に来た経緯について、事実をボカしつつ話してたんだった。
本来俺は、別世界から転生してここへ降り立った。だから目撃者がいないのは当然の事だ。でも転生って事実を伏せている以上、ティシエラは別の理由を推測する訳で、そうなると自然に『別の場所からの転移』って結論になる。転移して来たから、街に入る俺の姿を見た者がいなかったと。
バングッフさんが消息不明になった時点で、そこまで予想していた訳か。だから俺を同席させたんだな。転移について心当たりがないか聞く為……というか、そう聞いても自然な状況に持ち込む為に。
「確かに、俺がこの街に来た経緯と被るところもあるけど、俺の場合は記憶喪失も兼ねてるから、少なくとも覚えはないよ」
「そう」
随分アッサリしてんな。まあ、記憶喪失(嘘)の件は既に話してるし、想定内の返事だったんだろう。
「なら、もう一つ。バングッフに化けていたのが誰なのか、そっちに心当たりは?」
この質問は、さっきのとは性質が異なる。ティシエラもあの現場にいたからな。
職人ギルドが半壊した瞬間、俺が何か見ていないかの確認。或いは――――見ていたのを察していて、俺がそれを黙っているのを不審に思っている。まあ後者だったらもっと早く問い詰めてるだろう、ティシエラの性格上。
「ない事もない」
ここで『ない』と断言するのは簡単だけど、後々の事を考えたら得策じゃない。嘘をつく事に後ろめたさはないけど、シラを切るのは不得意なんだよ。ずっと一人で生きて来たから、隠し事する必要もない人生だったし。
かといって、正直に話す訳にもいかない。怪盗メアロに義理立てする気はないけど、奴との関係性がバレたら俺自身が色々疑われる。最悪仲間だと思われかねない。何もかも怪しいからな、俺の素性って……
「って言っても、状況から想像して……ってだけの話だけどな」
「構わないわ。続けて」
ティシエラの真剣な瞳が、俺の目にしがみついてくるように見つめてくる。コレットも、さっきまで責め立てられていたバングッフさんも、同じように俺の話に耳を傾けている様子。イリスは……これもうほぼ寝てるな。
「ティシエラが、バングッフさんに化けていた奴の正体を見抜いてそいつが脱出を図った時、ギルドが半壊した。当然、化けてた奴の仕業だ」
「勿論、それ以外には考えられないわね」
「重要なのは、崩壊したのが天井だった事だ。空からの脱出を第一選択肢にしていた事になる。つまり、化けていた奴は飛んで逃げる事を想定していた」
実際には、怪盗メアロがワープスキルを駆使して、追って来られないよう上からの脱出を試みたんだろう。天井を破壊したのも、瓦礫で俺達の追跡を妨害し、かつ視界を塞いで脱出の瞬間を見えないようにしたと考えれば矛盾はない。
でも、怪盗メアロの仕業だったって知らなければ、飛んで逃げる際に邪魔な天井を破壊したと考えるのが自然。よって――――
「空を飛べて、かつ容易に天井を破壊出来る奴が犯人だ。つまり……飛行可能なスキルや魔法を持っている人間、若しくは有翼種のモンスター」
このミスリードが成立する。
「モンスターか……既に一度襲撃されている以上、完全に除外する訳にはいかねぇな」
一応の説得力はあったらしく、バングッフさんからは納得を得られた。
問題はティシエラだ。彼女の見解は――――
「飛行魔法は古の魔法よ。少なくとも現代において使えるソーサラーを私は一人も知らない。あるとすればスキルかアイテム。現実的なのは……どちらとも言えないわね」
モンスターよりも人間の方に疑いを向けたか。何にせよ、ミスリードが門前払いされずに済んで良かった。
「わかった。人間とモンスターの両面から捜査に当たろう。悪いが俺はここらでお邪魔させて貰う。他のギルドにも詫び入れなくちゃいけなくてな」
ティシエラが無言で頷いたのを確認して、バングッフさんは腰を上げた。そして、俺に向けて小声で『助かった』と苦笑しながら呟いた。どうやらクソムーブの真意を見抜かれてたらしい。小っ恥ずかしい……
「女って怖ぇな……」
そして去り際、そんな一言を残していった。いや全く同感ですな。約一名、ビジュアル的に怖いのもいるし。
何にせよ、これで俺と怪盗メアロの接点を疑われる事は現時点ではなくなった。ちょっぴり安堵。
「イリス。話は終わったわ。眠いのなら今日はもう宿に泊まって行く?」
「ん~~~……そーする。みんなお休み~~~」
フラフラした足取りでイリスも出て行った。ギルドの傍に普段使いしてる宿があるんだろうな。
にしても、さっきまでの快活な彼女とは大違いだ。イリスの違った一面が見られたのは収穫だったな。
「あの子、眠くなると途端に思考力が落ちるのよね。お酒飲んでも終始あんな感じ」
「マジですか」
「……飲ませたいの?」
割と。
「お酒ってそんなに眠くなるかな? 何杯飲んでも身体が少しポッポするくらいだけどなー」
まさかの酒豪がここに……! コレットは飲んでも飲まなくてもあんま変わらなさそうだな。
斯く言う俺は、酒にはあんま興味なし。飲めない訳じゃないけど、飲む相手もいなかったし、一人飲みは空しいだけだったから数回でやめた。肝臓にも悪いしな。
「なら、貴方のギルドの打ち上げは酒場にしましょうか。先輩のギルドマスターとして一つ耳寄りな情報を教えてあげるわ。その手の宴会は適度に飲ませた方が全体的な食費は浮くのよ」
成程、それは良い事聞いた。
……って。今の物言いだと、もしかして――――
「打ち上げ、ティシエラも来るの?」
「イリスに誘われたから、一応予定は空けているわよ。実施されるかどうかはまだわからないのよね?」
「ま、まあ……明日の仕事次第なんだけど」
これは予想してなかった。
……ティシエラって、酔ったらどうなるんだ?
見てみたい。超見てみたい。何これ。未だかつてないほどの好奇心が湧いて来た!
「コレット。明日は決戦だ。ギルド員全員、足腰立たなくなるまで働いて貰おう」
「えー……」
山羊の悪魔に白い目をされた。
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