第101話 ゴリマム

 予感はなんとなくあった。コレットの運の値を上げた事による期待なのかもしれないし、自分の予想が当たっているという自信だったのかもしれない。だから、こうなる事は馬車の中でもう覚悟出来ていた。


「こんな昼間っから娼館に何の用だい? 随分長い朝勃ちだねえ。生憎、ウチは夜の蝶の住処だよ。それ以外の時間は自分でなんとかしな」


 娼館の前には呼び込み兼ボディガード的な連中は一人もいなかった。そして代わりに――――仁王立ちする女帝サキュッチの姿があった。


「貴女こそ、店前の掃除にしては随分遅いですね。道具も見当たりませんけど」


「誰かさんにモップを破壊されたからねえ」


「モップは室内の掃除道具ですよ。それにあれはモップじゃなかったでしょう」


 幸か不幸か、女帝は俺の顔を覚えてくれていたみたいだ。取り敢えず話は聞いて貰えそうだな。


「……あれが噂の」


 コレットの声は微かに上擦っていた。接点があるとは思えなかったけど、やっぱり初対面らしい。ならあのゴツい身体に戸惑うのは当然だ。


 状況次第では、あの女帝と一戦交える必要がある。調整スキルを使う為にも、出来るだけコレットとは離れないようにしないとな……


「で、先日の暴れ馬が何しに来たんだい? 床とモップの修理費を支払いに来たようには見えないけど」


「御子息と今日、遊ぶ約束をしてたんですよ。でも全然やって来ないから、こっちから誘いに来たんです。家にいますか?」


 子供の頃の夏休みに、近所の友達の家に行った時の事を思い出しながら、そんなすっ惚けた事を言ってみる。


 女帝の顔に変化は――――なかった。


「さあね。あの子も、もういい大人さ。親がいちいち干渉するような年齢でもないし、知ったこっちゃないね」


「でも跡継ぎなんでしょう? それに彼、自慢気に話してましたよ。自分がこの娼館の倅なのを」


「……へえ」


 今度は露骨に表情を変える。嬉しそうには見えない。俺が嘘をついていると思っているのか、それとも……馬鹿馬鹿しいと一笑に付したのか。


「そんな事を言いに来たんじゃないんだろう? 呼びに来たんじゃなくて、探しに来たんじゃないのかい?」


 逆鱗に触れたのかと一瞬背筋が凍った。それくらい、この女帝の威圧感は半端ない。ただの会話が修行になる程度には。


「御子息から何か聞いてます?」


「生憎、あの子からアタイに向ける言葉は文句だけだよ。最後の会話は……ちょうどアンタが前に店に来た時さ。まともに顔も見なかったけどね」


 ……ん?


 見た目やその威圧感から、てっきり鬼母だと思ってたのに……なんかちょっと寂しげだな。親子関係が上手くいってないのか?


「あの子はさ……アタイの事が嫌いなのさ。そりゃそうだね。アタイは見ての通りこんなガタイだ。娼婦の中で生まれ育ったあの子の美的感覚からすりゃ、さぞ醜悪に見えるんだろうよ。アタイをまともに見たのは一体、いつが最後だったかねえ……思い出せやしないよ」


 な、なんか涙ぐんでるような……女帝、もしかして泣いてる?


「フフッ……でもね、どんなに嫌われてても息子は息子さ。母親ってのはね、子供の為にはなんだってするもんなんだよ。子供が欲しい物があるって知ったら――――」


 不意に、悪寒が走った。さっき感じた恐怖とは明らかに違う。


 これは……


「どんな手を使ってでも、それを与えたくなるのが親心ってモンじゃないかい?」


 うわ、マジだ! ガチのマジでこの人……


「犯人、みたいだね」


 レベル78のコレットは、俺とは違って女帝に気圧される事なく、既に自分の剣を構えていた。


 ルウェリアさんを攫ったのは、この人か!


「あの子に引き渡す前に、関係者がここを探り当てるなんてね……でも心配は無用だよ。あの子を娼婦にするつもりはないし、酷い目に遭わせる事も絶対に出来ないからねえ」


 絶対に"出来ない"……?


 息子の溺愛するルウェリアさんに何かしたら、完全に嫌われるって事だろうか。


 何にせよ動機はハッキリした。息子のファッキウにルウェリアさんを差し出して、親子関係を修復する為に彼女を攫ったのか。


 ……なんという想定外。初対面時の印象からこの真相を解き明かせって方が無理だ。これが噂のムスコンってやつか。ゴリゴリマッチョムスコンとか、この世で一番厄介な生命体じゃねーか。イケメンクリーチャーの親なだけはある。


「見なかった事にして黙って帰るのをオススメするよ。そうすれば見逃してやるさ。どうだい? アンタは以前にアタシと戦ってるからわかるだろう?」


 俺には、他人の殺気とかオーラを感知する特殊能力はない。目を見ただけで考えている事がわかるような不思議な力もない。


 それでも――――


「勝てんぜ。アンタは…」


 狂気に満ち溢れた敵意っていうのは、嫌でもわかる。表情だけじゃない。前回以上に全身の筋肉がパンプアップしている。


 何が見逃してやるだ! そんな気1mmもないだろ! 押し潰す気マンマンじゃねーか!


「トモ!」


「ああ。『一時間前の状態に戻れ』」


 コレットの左手に触れ、調整スキルを使用。これでコレットは、以前俺が調整したバランス重視型のステータスに戻った筈だ。


 とはいえ、実戦経験の不足しているコレットに任せっきりって訳にはいかないよな。俺も戦わないと。


 ただ、この魔除けの蛇骨剣って魔法防御特化の武器なんだよね……この女帝、絶対魔法とか使わないでしょ。


「ルウェリアさんを返して貰います!」


 なんて事を考えている内に、コレットが宣戦布告して――――躊躇なく店前の女帝に斬りかかった!


「荒削りだね! でも嫌いじゃないよ!」


 パワー系の戦士は敏捷性がなく動きがノロい……なんてのは所詮イメージだけの話。女帝のステップはキモいくらい軽やかで、コレットの鋭い初撃を難なく躱した。


「くっ……!」


 多分峰打ちだったんだろう。コレットの剣は片刃で、再び構えた今もその刃は上を向いている。流石に殺す気はないらしい。


 それでも、本来は街中での人間同士の私闘は御法度。もしコレットが素顔のままで、通行人からこの状況を目撃されたら、ギルマス選挙は絶望的だっただろう。


 ……ま、仮にマスクをしていなくてもコレットは同じように戦う決断をしただろうけど。そういう奴だあいつは。


「アンタ、何者だい?」


 一方、女帝の方は余裕で攻撃を躱したにも拘わらず、さっきまでとは表情を一変させていた。緊張感たっぷりの張り詰めた顔。俺が最初に会った時には見せなかった表情だ。


 空振りに終わったとは言え、それだけコレットの一撃が鋭かったんだろう。


「人攫いに名乗る名などありません! コテンパンにやっつけて、ルウェリアさんの幽閉場所を見つけてやります!」


「絶対にさせないね!」


 二人の女性による本格的な戦闘が始まった。


 元々戦いに慣れていない上、人間との戦闘となると更に経験が不足しているコレットは、それでも脅威の身体能力を駆使し、キレのある斬撃を繰り出す。


 女帝の方はボクシング選手のような細かな動きと迫力あるパンチでコレットを脅かす。どっちの動きもエグ過ぎてよくわからん。


 ただ……どっちの攻撃も当たらない。


 峰打ちという事もあって、コレットは身体のどの部位を狙っていいのか迷っているように見えるし、女帝も頭部ばかりを殴りつけようとしているからコレットに見切られている。


 完全に膠着状態。このままだと当分決着は――――





『虚無結界か。当分、決着は付きそうにないな』





 ……?


 今の声はなんだ?


 周りには当然、誰もいない。でも確かに聞こえた。というか……見えた。


 人間のような、それでいて人とは思えないような姿の何者かが目の前にいたような。声の主も多分そいつだ。


 でも次の瞬間には完全に消えていなくなった。まるで幽霊のように。


 若しくは……記憶、か?


 この身体の前の持ち主の記憶かもしれない。過去に目の前の光景と似たような出来事を経験していたから、脳に刺激が与えられてフラッシュバックみたいな現象を起こしたのかも。デジャヴに近い感覚だ。


「あーもう……! 全然当たらない……!」


「大した体力だねえ! でもそろそろ動きが鈍る頃じゃないかい!?」


 自己分析なんてしてる場合じゃないな。コレットが危ない。攻防は完全に互角でも、剣を持って鎧を装着して戦うコレットと、普段の格好で戦ってる女帝では、消耗の度合いが違う。


 このままだとコレットがやられちまう。かといって、所詮レベル18の俺が普通に参戦しても間違いなく足手まとい。正攻法以外で何かやらないと……でも魔法を防げる剣で何が出来るのか……


 いや待て。


 調整スキルで剣のパラメータを再度イジってみようか? 少なくとも魔法防御特化の武器よりは使える物に出来る筈だ。


 とはいえ、攻撃力のアップには上限がある。重さに関しては調整すら出来ない。耐久力は上げられるけど、それは何の役にも……


 待てよ、耐久力か。


 ……よし、決めた。


「射程に全振り」


 生半可な介入は却ってコレットを混乱させる。それだったら、戦局を動かすくらい派手な方法で介入すれば良い。後は隙を見て――――


「何企んでるか知らないけど、止めときな!」


 ……げっ! もう気付きやがった!


 コレットと間断なく攻防を繰り広げながら、ずっと俺も警戒してたのかよ。バケモノだ。なんというゴリゴリマッチョムスコン。略してゴリマム。厄介過ぎるだろ。


「むかってくるなら手加減はできねえ女さ。アタイは」


 戦いながらベラベラ喋る人だな……それだけ余裕があるって事か。このままだと生半可な仕掛けじゃ不意は突けないだろうな。


 でもやるしかない。コレットもルウェリアさんの為に奮闘してるけど、劣勢は明らか。このままじゃジリ貧だ。


 コレットの攻撃を避けながらでも、女帝は俺をマークしている。凄まじい集中力だ。


 ……だからこそ、いけるかもしれない。


 作戦実行だ!



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」



 あえて大声をあげ、思いっきり剣を投げた。その為の射程極振り。遠くからでも確実に標的へ届く。よし、コントロールは良い。女帝の頭部に向かって放物線を描き飛んでいる。


 そんな俺の投擲に対し――――


「それが奥の手かい? 拍子抜けだね!」


 女帝はさも当然と言わんばかりに読んでいた。剣がまだ全然届いていない内から左腕のみ防御態勢に入っている。


 もし俺の目論みに気付いていなかったら、接近する剣を反射で躱す可能性はあった。でも回避だと、目の前のコレット相手に隙が出来る。この状況においては良い防御方法じゃない。だからコレットと正面で戦いつつ、俺の投げた剣を腕だけで叩き落とすつもりだ。


 普通は剣を腕でどうにかするなんて発想は出て来ない。でもこの女帝なら、剣の腹の部分を上または下から叩いて弾くくらい出来るんだろう。とんでもないバケモノだ。


「はあっ!!」


 案の定、俺の剣は女帝の左手で弾かれた。


 その瞬間――――剣は木っ端微塵になった。


「……な!」


 全く予想しないその脆さに、女帝は驚きを隠せない。そりゃそうだ。金属製の剣が素手での防御で完全に破壊されるなんて、普通は絶対にあり得ない。いくら女帝がフィジカルモンスターであっても。


 でも、今投げたあの剣なら当然の結果だ。射程極振りで、耐久力は最低値なんだから。


「やあああああああああああああああああ!」


 剣の破片を顔に受けた事で、女帝に大きな隙が生まれた。それをコレットが見逃す筈がなかった。


「ぐあっ……!!」


 彼女の剣が、女帝の脇腹を捉える。流石に頭への攻撃は控えたか。峰打ちでも普通に死ぬしな。


「チィィィィィィィ!!」


「ええええーーーーーーーーーーーーーーーい!」


 両者の叫び超えは同時だった。


 激痛のあまり顔を歪ませながら、コレットから距離を取ろうとバックステップをした女帝と、彼女を逃がすまいと上段に構えながら踏み込むコレット。


 次の瞬間、雌雄は決した。


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