第100話 失踪事件
それは一瞬の出来事だったという。
ディノーがまだ出勤していない早朝、ルウェリアさんは日課になっている店の前の掃除をする為、道具を持って外へ出た。にも拘らず、いつもの時間になっても彼女は店に戻って来なかった。
不審に思った御主人が呼びに行くも、ルウェリアさんの姿は何処にもない。知り合いに会って少し離れた場所で雑談でもしている……などと楽観視出来る御主人である筈もなく、この時点で発狂。奇声を上げながら街中を探し回る姿を多くの通行人が目撃している。
実際、その心配は現実のものとなった。
その後、定時に出勤してきたディノーも捜索に加わり、更に彼の知り合いの冒険者にも手伝って貰い、街中は勿論モンスターのいるフィールドにまで捜索範囲を広げたものの、ルウェリアさん本人どころか目撃者すら見つける事が出来ず、昼下がりの現在に至る。
あの生真面目なルウェリアさんが御主人に黙って遠出し、営業時間になっても戻らないなんて、特別な理由でもない限りはあり得ない。事件か事故か……いずれにしても一大事だ。
「……」
声が枯れるまで探し回った御主人は、完全に放心状態……というか取り乱し過ぎて全精力を消耗し尽くした感じだ。焦点の合わない目で虚空を眺め、プルプル小刻みに震える唇で何か呟いているけど、全く聞き取れない。
無理もない。あれだけ大事にしていた娘さんが、こんなとある日のほんの僅かの間にいなくなってしまったんだから。到底受け入れられないだろう。
「これって……やっぱり親衛隊の仕業なのかな。それとも怪盗メアロ……?」
心配のあまり沈んだ声でそう呟くコレットに、即座に答えられるほどの確信は何もない。
怪盗メアロの仕業と仮定する場合――――予告状はあのメスガキが出した本物で、ルウェリアさんを攫ったのはネシスクェヴィリーテとの交換、すなわち人質にする為だろう。
でもそれなら、事前に予告状を出すのは警戒心を持たせるだけでマイナスにしかならないし、そもそも怪盗メアロは過去にそんな手段を用いてはいない。完全に容疑者から外す訳にはいかないけど、多分違うと思う。
なら、疑うべきは親衛隊だ。
その先鋒たるファッキウとは今日、交渉の続きをすると約束をしていた。にも拘らず奴はウチのギルドに姿を見せなかった。
そして同日に起こったルウェリアさんの失踪事件。関連がないと言うには無理がある。既に昨日臨界点突破間近って状態だったから、暴走してルウェリアさんを攫っていても不思議じゃない。
でも、幾ら早朝とはいえ誰一人目撃者を出さずにルウェリアさんを誘拐する事が、果たして奴に出来るだろうか? そんな達人級の能力を持っているようには見えなかったけど……
親衛隊数人による犯行って線もある。ただし、ハイエースのないこの世界で人を誘拐する場合は人力または馬車での犯行になる訳で、どっちもかなり目立つ。この城下町は東京ほど他人に無関心じゃないし、何よりルウェリアさんは近所の住民から愛されている。彼女が何かされているのを目撃したらすぐ騒ぎ立てるだろうし、店内にいた御主人だって気付く筈だ。
となると、この武器屋の周辺を探しても成果が得られるとは思えない。
なら――――
「ファッキウの家に行ってみる。誰か事情を知っているかもしれないし」
直接、奴の住処へ乗り込むしかない。
「あの人の家って……娼館、だよね?」
「ああ。だから俺一人で行くよ」
「ちょ、ちょっと待ってマスター! 気持ちはわかるけど慌て過ぎだってば!」
ベリアルザ武器商会を出ようとしたところで、イリスに大声で呼び止められた。
焦り過ぎなのは自分でもわかってる。でも、平常心でいろって言われたって無理な相談だ。
ルウェリアさんは、異世界に転生した直後行き倒れになっていた俺を見つけて介抱してくれた恩人。この武器屋で働いている間も、常に優しく接してくれた。
彼女がいなかったら、今の俺はない。
そんな人が失踪したんだから、冷静でなんていられる訳がない。
「女性連れで娼館に入るのは不自然だろ? 門前で怪しまれるのは色々と厄介だ。ディノーは街を捜索中。今の御主人に付いてきてと頼むのも酷だし、俺一人で行くのが一番良い」
「もーっ! ダメだって! マスターそんなに強くないんだから、最低でも二人でいかないと! 状況が状況だし、男とか女とかもう関係ないよ。私が一緒に……」
「待って。私が行く」
決して大声じゃなく落ち着いた声色で、コレットが困惑気味なイリスを制した。そして、彼女の右手を両手で掴む。
「イリスさんが同行したら、最悪ソーサラーギルドに迷惑かかっちゃうかも。私ならホラ、今は顔が隠れてるから大丈夫」
コレットは呪いが解けた事で、服を着替えられるようになった。今日はいつもより重装備で、胸部にはプレートアーマーを纏っている。この状況を予見していた訳じゃないだろうけど、ファッキウ絡みで何かあるかもとは思っていたんだろう。
線は細めだけど、パッと見では男性とも女性とも断定は出来ない。
「でも……」
「イリスさんは、ルウェリアのお父さんを励ましてあげて下さい。私はそういうの苦手だから……お願い」
まるで祈るように、コレットはイリスの手を掴む両手に自分の額を当てた。
コレットも多分、俺と同じ気持ちだ。居ても立ってもいられない。そんな雰囲気が伝わってくる。イリスにもきっと伝わっただろう。
「……うん、わかった。こっちは任せて」
「ありがと。トモ!」
「わかってる。イリス、護身用に魔除けの蛇骨剣を一本借りていくから、御主人に宜しく言っといて」
首肯するイリスを最後まで視界に収める事なく、外へ飛び出す。心なしか、空気が澱んでいるように感じた。
ここから娼館まではかなり遠い。近くに辻馬車がいればいいけど……
「確か今日って、この近くで街灯を設置してたよね? そこで高速馬車を借りられないかな?」
「それだ!」
コレット冴えてる。俺よりずっと冷静だ。
なんだかんだでレベル78の冒険者。戦闘は極力回避していたみたいだけど、彼女なりに色んな修羅場をくぐってきたのが良くわかる。
「確かこっちだったような……あ、いたいた! すいませーん! ギルマス権限で馬車借ります! 今日は設置が遅れても構わないので、出来る範囲でお願いします!」
そう捲し立てながら、コレットと共に高速馬車の屋根付きの荷台に乗り込み、御者に行き先を告げ、流れ始めた景色を尻目に一息つく。
大した距離を走った訳じゃないけど、もう息絶え絶えだ。この身体は生前より遥かに基礎体力は高い。多少走ったくらいじゃ息は上がらないんだけど……やっぱり焦りがあると消耗が激しいな。
「ルウェリア……無事だよね?」
俺とは目を合わせず、荷台の隅で景色に目を向けながら、コレットがポツリと呟いた。きっと、万が一ルウェリアさんが街中にいないか移動中もチェックしようとしているんだろう。
「勿論。親衛隊の暴走なら大事に扱ってる筈だし、仮に人攫いの仕業だとしても、身代金目的なら手は出さない……と思う」
そんな保証はない。それはわかってるけど、ここでコレットに後ろ向きな事は言えない。
……もし本当にファッキウの仕業だったとしたら、恐らく娼館にルウェリアさんを幽閉する事はしないだろう。奴も他の親衛隊の連中も、ルウェリアさんを神格化している。娼館に彼女を近付けるとは考え難い。
それでも、今は何でもいいから手がかりが欲しい。ファッキウの仕業じゃないのなら、奴の口から他の親衛隊のメンバーを吐かせて一人一人当たる。ファッキウが不在なら、まずは奴の居場所を誰かに聞き出さないと……
「トモ。私のステータスを調整出来る?」
いつの間にか、コレットは俺の方に目を向けていた。当然、表情はわからない。傍目ではフザけているとしか思えない格好だけど、俺の目には悲壮な覚悟を滲ませているように映った。
コレットのマスクを取るにはネシスクェヴィリーテが必要で、俺がその剣について聞きにベリアルザ武器商会を訪れた所為で、ファッキウはルウェリアさんがネシスクェヴィリーテを好んでいると知った。そこでこの剣を入手し、彼女の気を引こうとした。でも交渉は不調に終わり、心を乱したファッキウが暴走して、ルウェリアさんを攫った。だから、自分に遠因がある――――そう考えているんだろうな、きっと。
「出来るけど……別にコレットの所為じゃないからな? あんまり気負うな」
「うん、大丈夫。私は……十分落ち着いてるから」
落ち着いていない人のセリフだろ、それ。
とはいえ、コレットの気持ちはわかる。俺も同じだ。俺がベリアルザ武器商会に相談に行かなかったら、こんな事にはならなかったかもしれない。そう思うと胸の奥が苦しみと後悔で浸されてしまう。
「で、どう調整すればいい?」
「運に全部振って」
……つまり、以前の自分に戻せと?
「本当は、広い範囲で人の気配を察知出来るようになれれば良かったんだけど、そういうパラメータはないし……だったら、私にとって都合の良い結果が得られるように、運を最大値にするのが一番良いかなって」
「でもそれだと、犯人と戦闘になった時に役立たずになるぞ?」
「そういう状況になったら、また今の状態に戻して。出来るよね?」
出来る。出来はするけど――――
「コレット。これは俺の憶測っていうか、勝手な解釈なんだけど……運の値って、大きく弄ると強烈なしっぺ返しを食らうかもしれない」
「……どういう事?」
「前に敏捷を大幅に上げた時、余りにもスピードが出過ぎて身体をコントロール出来なかったよな? それと同じ事が運の増減でも起こったとしたら……上げる時は良いけど、下げる時に大きな不幸が押し寄せるかもしれない」
確か怪盗メアロを追い詰めた時の事。コレットの敏捷を大きく上げた結果、速度がアップしたって実感のないまま高速で動けるようになった。だから認識と実際の出力にズレが生じ、制御が覚束なくなった。
なら、運の値を大幅に上げると、一体どうなる?
その瞬間に『自分に運が向いてきた』と実感できていなくても、既に何かしらの幸運が出力されている状態になるんじゃないだろうか。
つまり『これから良い事が起こるかもしれない』って状態じゃなく、運を上げた時点で『何らかの幸運な出来事が起こる未来が確約された』状態なんだと思う。
逆に運の値を大きく下げると、それに見合った不幸がこれから起こる事が確約される。そして、その直後にまた運の値を高く弄っても、確定した不幸な出来事は取り消せない。
そう推察する根拠は……コレットのバフォメットマスクの件だ。
たまたま被ったマスクが呪われていて、呪いを解いた後も尚脱げないなんて、ちょっと不幸の度合いが強過ぎる。でも、元々運極振りだったコレットのパラメータを俺が弄って、運の値を極度に減らした結果生じた『確定されていた不幸な出来事』だったと解釈すれば、その数値の落差に見合うだけの不幸だと納得出来る。
この仮説を説明すると、コレットは――――
「だったら、今ここで運の数値を大きく上げたら、私に凄くラッキーな事が起こるって確定するんでしょ? それがルウェリアさんの無事に繋がるかもしれないよね」
その後に再調整すれば、また大きな不幸が訪れるかもしれないというのに、そう言い切った。
俺の推察通りだとしても、ここでコレットの運を上げてもルウェリアさんの無事が保証される訳じゃないし、そうなる可能性が高いとも言えない。でも、その後に運を下げれば、コレット本人に確実に大きな不幸が訪れる。
それでもコレットは、例え無駄になろうと、自分にしわ寄せが来ようとも、全然構わないらしい。
「……このお人好しが」
思わず、山羊のマスクごとコレットの額を小突いた。
「わかった。これから運極振りにして、もし戦闘になりそうなら今のパラメータに戻す。ただし……この件で生じる不幸は俺の責任だ。俺のスキルが原因だからな。お金や物品の損失なら、俺が全額支払う。病気や怪我だったら看護する。だから、必ず申請してくれ」
借金持ちがこんな事を言うのは、身の丈に合っていないのかもしれない。親切の押し売りっぽくもある。偽善ですらある。
でも、言わずにはいられなかった。
「……うん。そうする」
コレットは、きっと笑ってるんだろうなって声でそう答えた。
ちょうどそのタイミングで、娼館の前に馬車が止まった。
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