第088話 世界を騙せ

 これはマズい。最悪の展開だ。絶体絶命のピンチかもしれない。


 ただでさえ相性最悪の相手なのに、もしこの女帝がもし転生者だとしたら、会話の端々からそれを見抜かれる恐れがある。そして、もしバレたら……


 脅される。


 だって今のこの人守銭奴なんでしょ? しかも弱味につけ込んでくるタイプなんでしょ? そんなん確実に脅迫してくるじゃん! 魔女狩りみたいな事されたくなかったら金を出せってさあ! 借金抱えてる身なのに更に毟り取られる気しかしない……


「……で、アタイに何の用だい?」

 

 全身の筋肉を見事にパンプアップさせた女帝の声には、凄まじい圧があった。下手な事を言ったら殺されると本気で思うくらいに。


 逃げたい。今すぐにでも逃げたしたい。帰って何事もなかったようにギルマスとしての日常に戻りたい。


 でも――――


「貴女に、というよりこの娼館に用があって来ました」


 多少声は震えていたかもしれないけど、なんとか持ちこたえた。


 俺はここに保身を図りに来た訳じゃない。コレットが連行されていないか確認しに来たんだ。


 恐ろしい。今にも全身が引きつりそうなくらい、震えるのを我慢している。


 でも……大丈夫だ。耐えられる。その手応えもある。


 幸いだったのは、ベヒーモスと対峙した経験があった事。幾ら筋肉が凄くても、あのモンスターの絶望感に比べれば確実に見劣りする。


「女を抱きに来たんじゃないのかい? それとも……アタイを指名したくて直接頼みに来たのかねえ?」


 た、耐えろ……! なんか別の意味で圧が増したけど、ここは我慢だ。過呼吸になりそうなくらい呼吸がし辛いけど、それを悟らせるな。


 俺はずっと自分をガガンボメンタルだって認識してきたけど、本来は我慢強い性格の筈なんだよ。14年の虚無の間、ずっと孤独に耐えてきたんだから。きっとそうだ。そうに決まってる。


「冗談はこれくらいにして……こんな所まで侵入して来た理由、聞こうじゃないか」


 生前の俺がやって来た事をなかった事にしてはならない。なかった事にすれば、自己嫌悪が肥大して全てが失われる。俺自身が経験してきた事を思い出せ。虚無の日々だったが、その中には生きた記憶がある筈だ。何もない繰り返しの日々の中にも、いつか充実した日々を送れると感じ、記憶の奥底にしまった経験が存在している筈だ。俺の、14年の虚無を無駄にしてはならない。なかった事にしてはいけない。無為な時間を過ごしてきたからこそ、友達を助けたいと願う自分がここにいる。苦手な娼館に足を踏み入れた俺がいる。俺が立っているこの場所は、鬱屈した生前の俺と、転生して本当の自分を取り戻そうと願った今の俺がいるからこそ到達出来た場所なのだ。だから騙せ。俺自身を。自分が死んだという過去を変えずに自分を救え。生前の自分を、今の俺にフィードバックしろ。そうすれば、弱気の虫は起きない。


「申し遅れました。先日、新たにギルドを立ち上げたトモという者です」


 確定した今を変えずに、戦局を変えろ。


 筋肉まみれで突っ立っている娼館の女帝と、それに遭遇した新米ギルドのギルマス。その確定した今を変えずに状況を変えるのだ。


「ギルドを代表する人間として、この城下町の中でも特に影響力の大きい娼館の代表である貴女へ、挨拶に伺わせて頂きました」


 生前の自分を騙せ。世界を騙せ。


 この俺の中にある、矮小でちっぽけな世界を――――本性を騙せ。


 それが、目的に到達する為の条件だ。


「ギルドの名前は?」


「アインシュレイル城下町ギルドと言います。この街の住民を、害悪から守る為に設立しました」


「……ウチの娼館が害悪だって言いたいのかい?」


 恐らく、そう取られるだろうなとは思ってた。半ば挑発みたいなものだ。


 でもそれでいい。臆病者の俺には本来、選択出来ない行為だ。だから良い。俺が俺のままじゃ、この難局は乗り切れない。


 強気になれ。自分じゃない自分を演じろ。そうすれば、ボロは出さない。転生者だと悟らせるな。そしてその上で――――


「女性の弱味を握って、それにつけ込んで娼婦として引き入れているって話を小耳に挟みまして。そういう噂が流れている事自体、このアインシュレイル城下町にとっては大きな損失です。是非、代表者の貴女に真実を語って欲しくて馳せ参じました」


 今回の一件の真相を暴く。いや、暴こうと試みる。これが重要だ。


 コレットがいるかいないかを直接聞いても、恐らくはぐらかさせるだけだ。なら、最初にその大元の原因たる宿との癒着と強引な勧誘の真相を聞き出そうとして、それなりに攻め入る。そして、真相を話せないという流れになったら、『だったらコレットという知人がいないかどうかだけでも教えてくれ』と訴える。典型的なドア・イン・ザ・フェイスだ。


「それをボーヤに話して、アタイに何か得があるのかい?」


「知り合いに記録子さんって人がいます。その人は伝達能力が非常に高い記者です。もし噂に反論したいのなら、彼女に貴女の発言を記事にして貰いましょう。こんな良くない噂が流れるのは、娼館にとっても不本意なのでは?」


 仮に噂が本当なら、俺の提案に乗る筈がない。その場合、コレットがここに連れて来られている可能性が高くなるから、予定通りコレットがいないかどうかを聞く。


 噂を否定するなら、その理由を吟味する。信憑性が高いようなら、コレットは連れて来られていない可能性大。その場合は他の娼婦に聞いて裏を取れば良い。噂が嘘なら隠す必要もないだろうしな。


 さあ、どっちだ――――


「不本意なものかい。寧ろ好都合だね」


 ……え?

 いやいやいや、予定にない事言わないでくださいよ! せっかく膨大な独り言で自分に暗示かけたってのに、これじゃ頭真っ白になるって! アドリブ超苦手なんだから俺!


「その噂はつまり、ウチの娼館は綺麗な女を引き入れる為には何でもやるって事だろう? 上等じゃないか。ハイレベルな女を求める奴ほど歓喜するさ」


 な……


 なんて奴ッッ。


 まさかここまで徹底した利益至上主義とは。俺の想像の遥か上を行っている。強い。勝てない。


「それで……アタイ達が卑劣な手を使って娼婦を増やしていると知ったボーヤは、アタイをどうする気だい?」


「ぐ……」


 マズい。最悪の展開だ。単に心象を悪くした上、敵認定されてしまった。圧が更に増してきてる。


「ここでアタイと戦うかい? それも悪くないね。もしアタイと良い勝負出来るような骨のあるギルマスだったら見逃してやるよ。ま、そんな気配は微塵もないけどねえ」


 好戦的なのは身体を見れば容易に想像出来た。そして、俺が今の体験を記録子さんに話せば、娼館にとってマイナスになるのも明白。口封じは妥当な選択だ。


 戦うしかない。


 ……この化物みたいな身体の女性と?


「逃げたいのなら勝手にしな。その瞬間、ボーヤのギルドは終わりだ。無断侵入した上に不義理を働いた最低の男が代表をやっているギルドに未来なんてないね」


 逃げ道も塞がれた。まさに絶体絶命。既に絶体絶命だったのに、その中で更に絶体絶命。絶体絶命中の絶体絶命ってやつだ。


 でも、まだ諦める訳にはいかない。


 俺には調整スキルがある。触れて『抵抗力全振り』と口に出来れば、それで彼女のパワーを無効化出来る。出来るだけ使わずにきた切り札だけど、命には代えられない。


 問題は、それを実現出来るプランが全く浮かばない事。何しろレベル50の顔面を粉砕する女だ。俺程度じゃ調整スキル使う前に殺される。


 せめて何か武器になりそうな物は……ん? 壁に立て掛けているこの棒状の物は……なんだモップか。


 仕方ない。この際モップでもいいや。


「……へぇ。それでアタイをどうしようってんだい? 言っとくけど、アタイの頭は鬼魔人のこんぼうでも割れないよ」


 懐かしい名前を……なんか急に恋しくなってきたな、鬼魔人のこんぼう。


 あれと同等って訳にはいかないけど……


「破壊力全振り」


 一応スキルを使ってみる。掃除道具に効果があるかどうかは微妙なところだけど、たまに武器や防具以外でもいける時あるからな。聖噴水とか。


 向こうは予想通り徒手空拳らしく、胸の辺りに構えた両方の拳を握り締め、不敵に微笑んでいる。


 幾ら速度に差があっても、モップのリーチがあれば先に当てる事は恐らく可能だ。でも、一撃で倒せなかったら反撃で即K.O.は確実。即死も十分ある。


 モップのポテンシャルに命運は託せない。何か他に、この女性にノーリスクで隙を作れる方法はないか……


「実はこう見えて、結構機嫌が悪くてねえ。ついさっきまでバカ息子と話してたんだけど……アレはダメだね、商才がない。とても跡継ぎは任せられないね」


 俺から何をされてもビクともしない自信があるんだろう。戦闘態勢を取っているのに無駄口叩いて来やがった。暇潰しって感覚なんだろう、向こうにとっては。


 でもこっちとしては望むところだ。隙を作る方法を思い付く為の時間稼ぎになる。


「ファッキウの事ですか?」


「ファッキウ……」


 ん? なんだ? 息子の名前にどうしてそんなピンと来ないような反応をするんだ?


「貴女の息子さんですよね?」


「……ああ、そうだったね。ウチのバカ息子を知ってるのかい」


「知り合いですよ。ベリアルザ武器商会の看板娘に、随分と入れ込んでいるみたいで」


「全く恥ずかしい話だねえ。あんな金にならない貧乏武器屋に肩入れするなんて」


 ……イラっとする事言ってくれるじゃないの。あの武器屋は俺にとって他人事じゃない。言わせたままには出来ないね。


「最近は、特殊な武器を仕入れて結構繁盛してるみたいですよ。情報が古いんじゃないですか?」


「噂では聞いてるよ。でも、噂なんてアテにならないねえ。大衆ってのはね、自分が面白可笑しいと思うものにだけ群がるもんさ。いけ好かないと思ってる奴の悪い噂とかね」


 妙に実感がこもっているように聞こえたのは、気の所為だろうか。


 でもありがたい。おかげで――――思い付いた。


「お遊びはここまでだ!! 俺はここにいるぞ!! かかって来いや!!!!」 


 喉が擦り切れそうなほどの大声。ここに来て最大音量の記録更新だ。全身がヒリヒリする。


「言われなくても知ってるよ。弱い奴ほど良く吠える、ってね。ま、良い暇潰しには――――」


 早々に決着を付けようとした女帝の声は、猛烈な勢いで迫り来る足音によってかき消された。


 群がってきたな。


 俺をいけ好かないと思う、あの三人娘が。


「トモォーーーーーーーー! こんなところにいたのね!!」


「随分大胆じゃない! 安心して今すぐ殺してあげるから!」


「生き地獄の本当の意味を教えてやっからよォォォォォ!!!」


 扉が蹴破られた瞬間、左へ跳ぶ。正面から室内に飛び込んで来た三人は、目標物を失い、その真後ろにいる女帝へと突っ込んで――――


「んン? なんだテメェら」


「ゲッ! オーナー! 二人ともストップストップ!」


 なんだかんだでレベル40台の猛者。我を忘れていても、絶対にしちゃいけない事――――雇い主への誤爆だけは辛うじて回避した。


 狙い通りに。


「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 その隙を突いて、俺は全身全霊を込め、モップを叩き付けた。



 床に。



「え!? ちょっ――――」

 

 床を叩いた途端、モップの先端が砕け散る。そこから――――仕込み刃が露呈した。おいおい、これ暗器かよ! 抜かりないなこの娼館。


 でもそれが幸いした。武器なら調整スキルの効果は確実。そしてそれを証明するように、破壊力に特化したモップでの一撃で四人が固まっていた箇所の床を砕く事に成功した。完全に破壊出来なくても、半壊くらいに出来ればあとは四人の体重で崩壊する。


「お、おおおおおお落ち――――」


 慌てても遅い。全員そのまま下の階に転落してしまえ!



「やるね。見直したよボーヤ」



 次の瞬間、視界に影が差した。


 三人娘が為す術なく崩れる床と共に下層に落ちて行く中、一人だけ……女帝だけは尋常じゃない高さまで跳躍して落下を逃れていた。


 しかも、俺の方に向かって飛びかかって来てやがる!


 モップで迎撃――――ダメだ間に合わない! 死んだ! 俺また死んだ!





 ……。



 ……。



 ……あれ?





 死んでない。それどころか攻撃すら受けていない。


 女帝は……


「詰めの甘さは否めないけど、状況判断の良さと思い切りの良さは認めてやるよ。合格さ。前言通り見逃してやろうかね。ボーヤのギルドとは良い関係を築けそうだしねえ」


 攻撃はせず、俺を飛び越えてそのまま着地していた。


 助かった……のか?


「勿論、今のやり取りがアタイと同じ認識だったらって条件だけどね。ボーヤ、楽しかったかい?」


 つまり、この時間を『挨拶に行ったら襲われた』じゃなく『ちょっと一緒に遊んだだけ』って解釈しろと。当然それなら他人に言いふらす事もないし、娼館の悪評には繋がらない。


「刺激的ではありましたね。そういう娯楽だったって受け取っておきます」


「ハハハハハハ! 声震わせといて、そんだけ強がれるんなら上等さ! 中々良い男じゃないか。ウチのバカ息子とは大違いだね」


 ……恥は掻いたけど、どうやら難を逃れたらしい。強がってみるもんだ。でも、床の修理代は弁償させられそうだよな……それが憂鬱。


「特別に教えてやるよ。あの噂、半分は本当さ。借金したとか、まとまった金が要るとか、そういう弱味を持つ女を優先してスカウトしてるのは事実だからねえ。そういう奴等は根性見せるからさ。快楽主義者は逃げないけど、品性がないんだよ。アタイの娼館には相応しくないね」


「スカウト……ですか? 脅して入れるとかじゃなくて?」


「まあ、アタイのイメージ的にはそっちに取られるのも無理ないかね。でもねえ、そんなやり口で仕事仲間を得たところで、良い仕事してくれる訳ないだろう?」


 そう断言してニカッ笑う女帝は、ティシエラが言っていたキャラ変する前の彼女――――従業員を大事にするという以前のオーナーの特徴と合致していた。


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