第089話 冒険者アイザックとその仲間たちの転落の記録0004





 これは記録子が緻密な取材によって詳らかにした、冒険者アイザックとその仲間たちの転落の記録0004である。




「……」


 頬は痩け、目の下にはクマと言うより痣のように色濃く変色が見られるアイザックがいるこの場所は、彼がこの一年ずっと過ごしてきた愛着ある街――――アインシュレイル城下町の冒険者ギルド。


 この一年、毎日のように足を運び、挨拶を交わす冒険者仲間は20名を下らない。従業員との関係も良好で、人間関係でストレスを感じた事など一度もなかった。



 そんなホームタウンが、今や立っているだけで神経を磨り減らすほど完全アウェイと化していた。



 嫉妬に狂ったアイザックが、冒険者ギルドに併設している酒場で自爆し、甚大な被害をもたらしたあの忌まわしき事件の翌日。当然ながらアイザックはギルドマスターに呼び出され、事情聴取を受ける事になった。


「残念だ。こんな形でお前を呼びつける事になるとはな」


 普段は温厚で、ギルド員を責めるような物言いは決してしないギルドマスターが露骨に顔をしかめ、机を指でトントンしながら憎々しげに吐き捨てる。


 既に自分のしでかした事の重大さは十分に認識していたアイザックも、そんなギルドマスターの姿には大きなショックを受けた。


「ふぅ…………………」

 

 そして、受付でいつも物腰柔らかく接してくれていたサブマスターのマルガリータが深々とつく溜息も、アイザックの神経にダメージを与える。だがそれは、これから始まる地獄の序章に過ぎなかった。


「アイザックさん。貴方にはレベル60という優れた実績があります。これだけのレベルを積み上げるのは決して簡単ではなかったでしょう」


 レベル60――――それは、この猛者揃いの街にあっても特別な数字。だからこそ、アイザックもまた拘った。軽んじられ、バカにされてきた幼少期の自分に打ち克つ為、死にものぐるいで手に入れた勲章だ。


「私は、この街の殆どの冒険者を尊敬しています。魔王討伐という目標に向かって努力を重ね、ここまで辿り着き、それでもまだ研鑽を積み強さを求める貴方がたを心から敬愛しています。特に、レベル60を越えてくるような冒険者は実力だけでなく人格も優れていると信じていました。例え表層的には問題児でも、その奥底には気高いものを抱えていると」


「……」


 冷や汗と脂汗が交じり、濃度の濃い液体となって滴り落ちる。目は泳ぎ疲れて溺れ、アイザックは最早何処を向いていいかさえわからなくなっていた。


「だから、自爆スキルなどという危険因子を所持していても、貴方はきっと誰も傷付けないと信用し、自由にギルドを使って頂いていました。そのスキルは自己犠牲心が反映された能力であって、寧ろそれこそが貴方の優れた人間性の証明だと確信していました」


「確かに、こいつが加入した時の会議でそう言っていましたね、マルガリータ様」


 相変わらずサブマスターを様付けし畏まるギルドマスターに闇を感じるアイザックだったが、それをほんの微かでも口に出す事は許されない。今の彼には、ツッコミを入れる資格さえないのだから。


「ですが……どうやら私の見込み違いだったようです」


 見込み違い。


 人生で最も言われたくない言葉の上位TOP10に入るくらい、辛辣な言動だった。


「大勢の人がいる建物内での自爆が何を意味するか、貴方は理解していますか? わかっていないのであれば、これから私が説明させて頂きます」


「あ、いや、その……わかっている、つもりです」


「わかってんならァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」


 突然の咆哮。


 ギルド全体が激しく揺れたと錯覚するほどの声が、応接室を蹂躙した。

 

 声の主はマルガリータではなく、ギルドマスターでもなく、熱望してその事情聴取を立ち見で見学していたコンプライアンスだった。


 元酒場のマスターで、現冒険者。かつて自身の名を掲げ経営していたギルド併設の酒場は現在、最も信頼していた従業員に任せていたが、アイザックの自爆によって半壊状態になってしまった。床にも壁にも天井にも穴が空き、多くの椅子と机が焼け焦げ、溶けた酒瓶が転がっているのを目の当たりにしたコンプライアンスは、その場で嗚咽するほどの男泣きを見せたという。


「どうしてあんな事をしたんだ? ン? オレか? オレが憎かったのか? オレに腕相撲で負けたのがそんなに屈辱だったか? オレが何か不正を働いているとでも思ったか? ン? どうなんだ? 何か言ったらどうだ? 何も聞こえないんだが?」


「……っ」


 アイザックの中に屈辱感がなかった、とは言えない。彼はその件を未だに引きずっている。だが、自爆した理由はコンプライアンスとは全くの無関係だった為、アイザックは力なく首を横に振った。


「いえ……貴方に怨みはありません」


「嘘だッッ!!!」


 今度はコンプライアンスではなくマルガリータの絶叫。再びアイザックの身体がビクッと震える。


「ダメよ嘘をついても。もうわかっているの。貴方が以前、彼の酒場で何をしたのか、どんな発言をしていたのか。彼だけじゃなく、その時酒場にいた従業員やお客の証言も確認済みよ。貴方が酒場に怨みを抱いていたのは確定的」


「それを晴らす為の犯行だと我々は断定した」


 何かを切り捨てるような、冷え切ったギルドマスターの声が、アイザックの体温を著しく奪った。


「バカな! 僕はそんなつもりじゃ……」


「アイザック君」


 そして、それ以上に底冷えする――――心臓を直接握り潰そうとするような声で、マルガリータは粛々と告げた。


「自爆の瞬間、貴方が感情を爆発させていた事は調査済みです。つまり貴方の自爆スキルは、自身の意思が確実に反映されています。だとすれば……貴方は心の中で、大勢が屯している建物内で自爆する事を許容していた。絶対にそんな事はしないという自制心はなかった。私達は、貴方にシリアルキラーの性向があると、そう結論付けました」


「シリアル……キラー……?」


 つまりは殺人鬼。大量殺人を平気で行う可能性がある精神異常者。冒険者ギルドは、アイザックをそう定義した。


「全会一致で君を永久追放とする」


 その瞬間、彼の視界は真っ暗になった。





 時を同じくして――――


「クソッ……クソがっ!」


 チッチは城下町の外、モンスターが蔓延るフィールド上を必死の形相で駆けていた。


 だが彼女が走っている理由はモンスターではない。レベル40台のヒーラーであるチッチは、この辺りのモンスターに襲われたところでそこまで深刻になる必要はない。ヒーラーなので戦闘能力が特別高い訳ではないが、その獰猛で攻撃性に特化した本性によって、幾度となく自らの手で高レベルのモンスターを屠ってきた経験がある。仮に分が悪い相手なら、慌てず逃げに徹し難を逃れる術にも長けている。アインシュレイル城下町まで辿り着いた冒険者の大半は、幾度も修羅場をかいくぐってきた猛者であり、彼女もまたその中の一員だ。


 そんな彼女でも、今は全く余裕がない。命の危険すら感じている。現在、冒険者ギルドで糾弾されているであろう愛しいアイザックの心配をする事さえ出来ない。


「なんてもの召喚してくれてんのよ! これ本当に逃げ切れるの!? フィールドに出て大丈夫なの!?」


「わたしに聞かれたって知らないってば! わたしはいつも通りの手順でケルピーを召喚しただけ! 何もおかしな事してないから!」


 チッチの前方を、これまた必死の形相で走るメイメイとミッチャが口論――――するのはいつもの事だが、今日は事情が違った。



 彼女達は今、ゾンビ馬に襲われている。



 ゾンビ馬と言ってもモンスターではない。ミッチャの言葉通り、彼女がケルピーを召喚した際に突如出現した謎の召喚獣だ。馬の形はしているが、その外見は完全に腐敗しており、目は飛び出て、脚は全部折れている。鬣は血と体液でカピカピ、所々で骨が露出している。


 そんなゾンビ馬としか言いようのない召喚獣は、アインシュレイル城下町の街中で召喚された。


 普段、アイザックのパーティが移動の際にケルピーという召喚獣を利用しているのは街の住民も知っており、特に安全性の問題もなかったので、ミッチャの街中での召喚に意を唱える者は誰もいなかった。


 だが――――悲劇は起こった。


 先日アイザックが自爆した時、その場にいた三人も当然ダメージを受けていた。幸い絶命はしなかったので、チッチの回復魔法で即座に回復。自爆によって死亡したアイザックも、蘇生魔法で無事生き返らせる事が出来た。


 そこまでは良かったのだが、ミッチャは気が付いていなかった。彼女の装備している、召喚に必要なアイテム【聖星石】が変質してしまったのを。


 この世界のアイテムにはマギが宿っている。ただし、人間の体内にあるマギとは違い、無機物に宿るマギはあくまで製造時に染み付いたもの。一度乱れたり痛んだりすると元には戻らず、その物質の性質を変化させてしまう。それは劣化という形で現れる事が最も多いが、時に呪われる事もある。


 マギの乱れによって、ミッチャの聖星石は呪われてしまった。その結果、彼女の召喚は失敗し、ケルピーではなくゾンビ馬が召喚されてしまった。


 ゾンビ馬は街中で大暴れし、ミッチャ達を追いかけ回した。当然反撃も試みたが、ゾンビなので痛覚がないらしく、肉が千切れようと骨が砕けようと全く意に介さない。何より、街の中なので派手な戦いが出来ない。だから三人は一旦街の外へ出たのだが――――


「……待って。追って来てなくない?」


 そこでようやく、メイメイはその事実に気が付き立ち止まった。それに続き、体力で劣るミッチャと、更に劣るチッチが青紫色の顔で走るのを止める。彼女達の場合、既に体力が限界に来ていた。


「ね、ねえ二人とも……これヤバいよ。私達はさ、あのゾンビ馬を倒す為にフィールドに出たつもりだったけど、周りにいた住民からしたら、私達……」


「ゼェェェェ……ゼェェェェ……」


「シュゴォォォ……ヒュゴォォォ……」


 続きを言うのを躊躇っていたメイメイだったが、他の二人が今にも死にそうなくらいバテてた為、結局口を挟まれる事なく結論が語られる事になった。


「あのゾンビ馬を召喚するだけして、逃げ出したって思われてるよね……?」


 半笑いでそう問いかけるも、二人は答えない。答える余裕もないが、答えるまでもない。どう考えても、周りにはそうとしか映らないだろう。悪臭を撒き散らし暴れるグロい見た目の馬を勝手に召喚し、放置したまま街を出たのは紛れもない事実なのだから。


「マズいよ! 引き返さないと! 早く二人とも呼吸整えて! 復活して!」


「うっさい体力バカ……こっちはテイマーなんだからそんな簡単にいくか……」


「フザけんな……ヒーラーにどんだけ全力疾走させんだよ……クソが……」


「あーっもう役立たず共! 私一人で行って来るからアンタ達も早く追いかけて来なさいよ!」


 武闘家のメイメイが全力で引き返したが、時既に遅し。


 ゾンビ馬は街中で一頻り大暴れし、数多の建物と人に汚物を撒き散らした末、ソーサラーギルドの面々によって跡形もなく焼却されていた。


 そして、戻って来たメイメイを迎えたのは、街の住民の汚物を見るような目だった――――





「……あちゃー」


 娼館を訪れた翌日の早朝。


 取材にやって来た記録子から見せて貰ったレポートを読み終えた感想は、概ねその一言だった。

 

「冒険者アイザックの正式な処分は、次の五大ギルド会議で決定するとの事。だから一応、まだ永久追放処分は下ってない」


 だとしたら、あの時商業ギルドにいたのは、便宜を図って貰おうとしてたのか。五大ギルドの一つだもんな、商業ギルドは。


 でも結局断られて精神的に参ってしまい、入院……そして脱走。多分入院したままだと永久追放確実だから、なんとか自分の力で覆したい一心での逃走だったんだろな。


「アイザックの取り巻きの三人はゾンビ馬の件で多額の損害賠償金を支払う事になって、持ち金じゃアイザックの自爆による賠償や彼の入院費を賄えなくなった。そこに付け入ったのが娼館」


「大体の事情はわかったけど、なんでこれ4巻? 1巻の続きっぽかったんですけど」


「2巻は彼らの日常に密着して各人のエピソードをまとめた短編集、3巻は過去編」


 ……続きがすぐ書けなくなったラノベ作家かよ。


「以上がアイザック達のこれまで。それじゃ早速、この続きを教えて欲しい。取り巻きの三人はどうだった?」


「いや、その前になんで俺が昨日娼館に行った事を知ってるんですか」


「綿密な取材の結果」


 嘘だ……絶対ストーカースキル持ってるってこの人……


「それに、あの娼館には良くない噂が流れてるから、それも気になる」


「ああ、それについては――――」


 結局、情報交換って事で記録子さんには昨日の出来事を一部始終話す事になった。


 ファッキウの母親で娼館のオーナー、女帝サキュッチに気に入られた俺は、無断侵入については見逃して貰える事になった。


 そして肝心のコレットだけど……幸い、娼館に連行されてはいなかった。そもそも弱味につけ込んで無理矢理働かせてはいないとの事から、当然だな。その後ちゃんと裏も取ったし、間違いない。


 でも、だったらなんでそんな噂が流れたのか。いや……それ以前に、そもそも女帝がキャラ変したって話自体に疑問が残る。


 以前の女帝を知らない俺が断言する訳にはいかないけど、昨日話をしてみた限り、彼女は金にうるさく従業員を大事にするオーナーだった。つまり、元々の人格として公になっていた彼女も、キャラ変したと噂された彼女も、どっちも女帝の本来の一面に過ぎない。そんな印象だった。


 なのに悪い一面だけが強調され、さも人格が変わったかのような印象操作がなされ、ティシエラの元に確度の高い情報として伝えられている。娼館というより、女帝を狙い撃ちした嫌がらせのような感じだ。


 とはいえ、仮に女帝を貶める為に噂を流しているとしても、なんでそれが信頼できる情報と判断されティシエラに伝えられたのか。よっぽど信憑性のある情報源だったんだろうか。


 ……ま、その件はこれ以上掘り下げても仕方ない。俺には他にやる事がある。


「それで、結局コレットちゃんには会えなかったと」


「ええ。ティシエラとイリスが宿の前で張ってたんだけど、そっちも空振りだったみたいで。いよいよ行方不明になりつつあります」


「わかった。じゃ」


 相変わらず去り際は淡白だな。今回は数秒の取材じゃなかったけど。


 コレットがいなくなった事を記録子さんに話すのは、選挙戦に不利に働く可能性が高い。でも今はそんな事言ってる場合じゃない。彼女の情報網を駆使して貰って、なんとしても居場所を特定しないと。それくらい切羽詰まった状況だ。


 何処に行っちゃったんだよ、コレット――――


「……」


 あいつの屈託のない笑顔を思い浮かべながら棺桶を置いた部屋から出ると、昨日と同じ服を着たバフォメットさんが部屋の前で突っ立っていた。


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