第086話 情緒のジェットコースター

 生前の風俗店は、看板の自己主張こそ強烈だけど、建物自体は常に地味で入り口も狭いのが普通だった。


 それとは対照的に、この娼館はまさしく不夜城。ラブホのようなカジュアルさはなく、王城のような荘厳さと宮殿のような雅さが合わさったような印象を受ける。デザイン自体は宮殿寄りだけど、砦の狭間っぽい凸凹があって、壁の色も灰色だからなのか、妙に威圧感がある。


「ウチの娼館は『客に来て貰う』ではなく『最高の女に会わせてやる』が信条。客と我々、どちらが格上かを明確に示した建物になっている。見下されるのが嫌なら来るなという意思表示だ。尤も、ウチより良い女を抱えた娼館なんてこの世にはないのだから、マゾじゃなくとも最後は屈服する運命だがな」


 俺の視線で察したのか、黒コートのイケメンは凛とした声でそう説明してきた。以前はがなり声ばかりだったから気付かなかったけど、声までイケボなんだな。


 名前は確か……


「ファッキウ、だったっけ」


「そうだ。名乗ったからな。当然覚えているだろう。稀代の芸術家が『彼以上の美は作れない』と自害を図るほどの美しい顔の僕を覚えていない者など、例え男でも存在すまい」


 ……なんだろう、ナルシストとは少し違うジャンルな気がする。会って1分とかからずイケメンクリーチャーの片鱗を見せつけられてしまった。


「君は僕に名乗ってはいないが、僕は君の名前を知っている。トモとやら、思えば君は憐れな男だ。この僕が嫉妬せざるを得ないほどルウェリアさんの傍にいた君が、今は彼女にフラれた心の傷を癒やすべく、当時見下していた僕の娼館に縋りに来るのだからな。皆まで言うな! 皆まで言わなくていい。僕は寛大だ。そして君の気持ちも理解出来る。彼女が君如きに靡かないのは最初からわかっていた。だが君がもし過度な期待をせず、あの武器屋に滅私奉公するのなら、ルウェリアさんの傍に長期滞在するかもしれないと危惧していたのも事実。だから動揺もしたが、どうやら君もルウェリアさんの前では性欲を抑えられなかったようだな。皆まで言うな! 皆まで言わなくてもわかっている。彼女の美しさを前にすれば、息を荒げ目が血走るのも当然の事。仕事中に勃起するのも仕方がない。誰もが通る道だ。あの主人にそれが見つかればクビになるとわかっていようと、抑える事など出来よう筈もない。君がこうして落ちぶれる未来は余りに必然だった。だが! だがトモよ、泣くな。悲しむな。君は僅かな間とはいえ、ルウェリアさんの傍で働けたのだ。それは誇るべき事だ。我々ルウェリア親衛隊をもってしても、それだけの経験をした者は皆無なのだからな。それだけの立場に君はいた。今後、君の人生はルウェリアさんと過ごした日々の詳細を城下町の男共に武勇伝として語り続ける為にあると言っても過言じゃない。その辻噺の日々の中で、君は時折思い出し勃起をするだろう。あの時のルウェリアさんの横顔にムラムラしたとか、後ろ姿に興奮したとか、様々な劣情を思い出すだろう。来るが良い。その時はこの娼館に来て自分を慰めれば良い。今日はその門出の日だ。残念だったなトモとやら! 最早君はその程度の存在という訳だ! 憐れな奴め! 現実を思い知れ調子に乗りやがってザコめが!」


 えぇぇ……

 何この人、怖過ぎるんですけど……情緒のジェットコースターかよ。


 要するに、俺がルウェリアさんにセクハラして、ベリアルザ武器商会をクビになって、自棄になってこの娼館を訪れた……って解釈したのか。まあ、客観的に見たらそう受け取られても不思議じゃないけどさ。


「余りにも可哀想だから、僕が直々にこの娼館を案内してやろう。ついて来い」

 

 コートを靡かせ、颯爽と娼館に向かって行くファッキウの姿は、まるで魔王城に挑む勇者のようだ。見た目だけは。


 ……さて、どうしたものか。


 正直、一人で娼館に入って客を装い潜入捜査するってザックリとした案以外は特に何も考えてなかった。潜入っつっても隠密とか忍者じゃないんで、コレットって女性がいないか娼婦の方々に聞いて回るくらいしか出来ないし。


 でも、ファッキウと一緒にいるとそれは出来ない。恐らく経営側のファッキウなら、コレットがここに連れて来られたか否かを把握しているだろうけど、奴が本当の事を言うとは思えない。


 俺に力があれば、この場で奴を締め上げて吐かす事も出来たんだろうけど、レベル18程度でしかも生命力特化型の俺にそんな戦闘力は……


 いや、あるか?


 相手は普通の人間。しかも娼館で生まれ育った大富豪の息子。そんなボンボンに戦闘訓練を積む機会なんて皆無だったろうし、俺でも半殺しに出来るかもしれない。


 ……まあ、それをやったら館から怖いお兄さん達がゾロゾロやって来そうだよな。


「他の街の娼館を利用した事は?」


「あ……いや、ないけど」


 仕方ない。ここは一先ず話を合わせておこう。そして館内で隙を見て姿をくらます。下手に客として入るより、その方が自由に動けて捜査もし易い。


 つーか、客として入りたくないのが本音なんだよね。目的忘れちゃいそうで怖いし、そもそも今全然ムラムラしてないし。娼婦を前にしたら緊張と恐怖で硬直しそうな気もする。やっぱりアレだ、性交経験の少なさってモロにコンプレックスを刺激するよな。


「残念だな。ウチの娼館は僕の美的感覚とオーナーの教育によって、最高の女性達に働いて貰っている。もし違う娼館を知っていたのなら、その格の違いに腰を抜かした事だろう。流石に僕の美貌と釣り合うレベルは難しいが、皆が一流の娼婦だ」


「はぁ……」


「説明だけではピンと来ない様子だな。良いだろう、特別に控え室に連れて行ってやる。気に入った娼婦がいたら直接指名すれば良い。指名料はサービスしてやる」


 なんで特別待遇……? 最初に会った時はあれだけ俺の事を悪し様に言っていたのに。なんかちょっと怪しいな。


 まさか、俺が捜査に来た事を察しているのか? だからこうして、俺を案内すると言いつつ、自分の制御下に置いて監視しようとしているんじゃ……


「それにしても君がルウェリアさんと離れて本当に良かった。いや、君の不幸を喜んでいる訳じゃないが、君如きが彼女の傍に立っていて僕が余所者だったあの期間、僕のプライドは末期症状に陥っていた。粉々なんて次元じゃない。砂塵と化したその一粒一粒に呪いが掛けられ、その数の分だけ苦痛を味わうような屈辱感だった。今はしかし…スガスガしい…なんてスガスガしい気分なんだ。実に! スガスガしい気分だッ! 歌でもひとつ歌いたいようなイイ気分だ~~~~フフフフハハハハ」


 あー、やっぱこれ違うな。俺に格の違いを見せつけて優越感に浸りたいだけと見た。本来ならラッキーとほくそ笑むところだけど……ダメだ、腹立って仕方ない。なんてドヤ顔だ。この世界のあらゆる人間からちょっとずつドヤを集めて作ったかのようなドヤ顔じゃないか。屈辱だ……


 滅入りながら建物内に入ると、広々としたホールに幅1mくらいのレッドカーペットが何方向にも伸びている異様な光景が目に飛び込んできた。普通は入り口から真っ直ぐ奥に向かって敷かれるものだと思うんだけど、全部で7つの赤絨毯がそれぞれ斜めに向かって伸びていて、所々交差している。その先には大小様々な扉があって、階段に向かって敷かれているのもある。


 見上げると、ステンドグラスを球体に盛り上げたような不思議な形の照明がぶら下がっている。多分、中に発光水を入れているんだろう。


「ところで、君に一つ提案がある。どうかな、ルウェリア親衛隊に加入してみる気はないか?」


 ……いきなり何言い出すんだこの黒コート野郎。俺に変態集団の仲間入りをしろっていうのか?


「それだけの経験をしてきた君を放置しておくのは惜しいのよ。ルウェリアさんの日常を事細かに教えてくれそうだからね」


「教える訳ないだろ……それにアンタら、親父さんからゴミクソ扱いされてるし。入る訳ないって」


「それなんだよォォォ!!」


 うわビックリした! 突然大声出すなよ……心臓止まるかと思った。


「ルウェリア親衛隊は決してルウェリアさんとの性交を目的とはしていない。寧ろあの方の貞操を守る為にこそ存在しているんだ。なのに何故、お父様はあそこまで僕達を否定するんだ? 解せない。僕にはまるで解せない」


「性交とか言うからだろ……」


 娼館で育ったからか、このイケメンは微妙に下ネタが多い。その上、表現がいちいちネットリしてるから余計生々しく感じる。しかも親衛隊の中じゃこの変態がまだマシな部類らしいからな……親バカの親父さんじゃなくても警戒に値する連中だ。


「君はどういう訳か、親父さんから信頼を得ているみたいだ。店を辞めさせられた以上、既にその信頼は崩壊しているのだろうが、どうやって取り入ったのかは聞いておきたい。一体何をした? あの呪われし暗黒武器の数々を全て購入すると申し出たにも拘わらず、僕は嫌われたままなんだ」


 ああ、ダメだこいつ。まるでわかっちゃいねぇ。全品購入なんて本当にその商品を気に入っている奴のする事じゃないからな。


 店の中に展示された商品をとことんまで吟味して、その良さだけじゃなく欠点までをも深く理解した上で、欲しい一品を選択する。その過程を楽しめない奴に用はない。御主人はそう考えているだろうよ。


「総支配人。オーナーがお呼びです」


 その説明をしようかどうか迷っていた最中、知的な風貌の女性が足音一つ立てず近付いて来て、ファッキウに声を掛けていた。


 オーナーか……多分その人がティシエラの言っていたキャラ変著しい女傑なんだろう。急に金にガメつくなったっていう。


「またか……わかった。ジュリーゼ、彼は僕の知人のトモだ。君は彼を控え室に案内して、ウチの誇る娼婦達を見せてやってくれ」


「承りました」


 オーナーに呼ばれていると聞かされた途端、ファッキウの表情が露骨に変わった。ツヤツヤだった顔が一瞬にして疲労感を滲ませ、生気を萎ませている。オーナーのキャラ変に戸惑っているのかもしれない。


 少し突いてみるか。


「何かトラブルでもあったの?」


「いや。総支配人と言えど、オーナーの命令は絶対なんでね。ここで失礼させて貰う。僕が直接案内出来ないのは申し訳ないが、後はこのジュリーゼが引き継ぐ。心ゆくまで我が娼館を愉しんで行くと良い」


 なんだかんだで接客業に従事しているだけの事はある。私情を挟まず謝罪する姿は、イケメンである事を抜きにしてもサマになっていた。


 でも……『我が娼館』って言葉は引っかかるな。オーナーの命令が絶対と、あからさまに身分の違いを強調した直後にこの言い様。この娼館は"今の"オーナーの所有物じゃないっていう不満が滲み出ている。


「トモ様。これからは私ジュリーゼがご案内致します。どうぞこちらへ」


 女声にしては低く、でも艶のある冷然とした声。彼女の言葉には、『余計な事を考えないで言う通りにしろ』という圧があるように感じた。怖いなあ……一番苦手なタイプだ。


 でもこれはチャンス。ここで彼女を引き離して自由の身になれば、コレットの捜査がし易くなる。勇気を出して話しかけよう。


「あ、あの……俺の為に時間を取らせるのは忍びないんで、後日あらためて出直そうかと……」


「お気遣いは無用です。総支配人の御客人をこのままお帰しする訳には参りません。私が怒られてしまいます」


 遜りつつも有無を言わせない迫力……やっぱ怖い。強過ぎる。勝ち目がない。


 こうなったら、素直に控え室に案内して貰おう。そこで適当に挨拶して、指名とかせずその場で解散、って感じにする方が自然だ。


「では、行きましょう」


 小さく頷き、先導するジュリーゼさんに付いていく。扉をくぐって更に通路を奥へ進む内に、明らかにホールとは違う空気が漂ってきた。ここは普段客の目に触れる事はないと直感的にわかる。


 だからこそ疑問も浮上する。どうしてファッキウは俺をここに通そうとしたんだ? なんか会話の流れでそうなったけど、今にして思えば不自然だ。


 まさか……罠? 俺ハメられてる?


 やっぱりあの野郎、俺がコレットを探しているのを把握していて、口封じの為ここで始末するつもりだったじゃ……


 マズい! 娼館の独特な雰囲気に呑まれて頭が回ってなかったかも……!


「ところで、トモ様」


 不意に、通路上でジュリーゼさんが立ち止まる。後ろ姿のまま、こちらを見ずに話しかけてきた。怖っ!


「トモ様の事は、以前から総支配人からお伺いしておりました。僭越ながら、総支配人の意向で最近の御活動についても調査させて頂きました」


 ……ヤバい。ヤバいヤバいヤバいヤバい!! これもう確実に罠じゃん! そういう流れの語りじゃん!


 どうする? 逃げるか? この身体、結構体力あるからな。不意を突いて逃げれば振り切れる可能性は十分ある――――


「先程の扉、既に施錠済みです」



 ……………………終わった。



 短い第二の人生だった。ギルマスになって、人も集まって、これからって時に……無念だ。


「このような脅迫紛いの事をしてしまい、心から申し訳なく思います。けれど、こうでもしなければ、私共もどうして良いかわからず……どうかご理解下さい」


 理解なんて出来ねーよ! ただの監禁じゃねーか! そういやソーサラーギルドでも似たような事されたな! 運命がワンパターン過ぎて反吐が出るわ畜生め!


「トモ様、どうか――――」


 自棄になって心の中で大騒ぎしていた俺の目に、信じられない光景が飛び込んでくる。


 俺を罠にハメた筈のジュリーゼさんが、深々と頭を下げていた。


 ……え? どういう事?


「どうか私達をお救い下さい。あの悪魔共とかつて同じパーティだった貴方なら、或いは……」


 しかも突然意味のわからない事を言い出したかと思えば、急に言葉に詰まる。一体何が――――


「その"悪魔達"って、私達の事?」


「酷くない? ちょっと生意気な客を刺したり燃やしたりしただけなのに。オーナーだって褒めてくれたよ?」


「テメー何フザけた事言ってんだ? コンクリで固めて粉々にすっぞ? あ?」


 原因はすぐにわかった。通路の奥の方、ジュリーゼさんの更に前方に、三つの人影が見えた。


 確かにそれらの声と姿には覚えがあったし、同じパーティだった記憶もあった。でも脳が追いつかない。こんな場所で再会するとは夢にも思わなかったし、そもそも二度と会う事もないと確信していたから。


「……マジかよ」


 思わずそんな声が漏れてしまう。向こうも俺に気付き、一瞬顔を歪めたものの、すぐに口元を緩め狂気の笑みを浮かべた。



 娼婦特有の露出度高い格好で殺気立っているその三人は――――ザクザクの取り巻きの三人娘、メイメイとミッチャとチッチだった。


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