第083話 ごきげんよう、ストーカーさん

 モンスター襲来事件の折、バックベアード様を誰よりも遠く高く投げたあの投擲によって、コレットは市民から絶大な支持を得るに至った。ギルマス選挙の投票には直接関係はないけど、ギルドを象徴するギルマスが一般市民に愛されるのはギルドそのものの好印象に直結する為、ギルド員も自然とコレット支持に傾いた。


 他の立候補者も、コレットに対抗出来るほどの勢いはなかった。それを理解してか、元々不人気だったベルドラックはいよいよ匙を投げ旅に出たし、ディノーも俺の頼みを快諾しベリアルザ武器商会の警備員として働く決断をした。実質的に選挙活動から手を引いた状態だ。


 俺がディノーに警備員の話を持ちかけたのは、選挙で彼を不利にしようと画策したからじゃない。単純に、後釜として一番信頼出来る人間だと判断しての事。断られても仕方ない、ダメ元での依頼だった。


 その時のディノーの返事は印象的だった。


『口惜しいが、今の俺にはコレットさんに勝る所は何もない。ギルドマスターに相応しいのは彼女だ。出馬を取りやめるつもりはないけど、次の目標を見つけようとは思っているよ』


 選挙に負けたからといって、冒険者を辞める必要はない。ましてコレットが医局の教授選なんかでありがちな報復人事を行うとは到底思えない。それでも、ギルド内で反コレット派と見なされたら今後は居心地が悪くなるだろう――――ディノーほどの実績を持つ人間がそう判断せざるを得ないほど、コレット圧倒的優位の情勢だった。


 普通なら、そんな絶対有利の立場になれば気だって弛むし居丈高にもなる。増長しても不思議じゃない。


 それなのに、『変わってしまった』というフレンデリア嬢の発言を聞いても、コレットに限ってそれはないと即座に判断出来てしまう。コレットはそういう奴だ。


「私はコレットの勝利は揺るがないものになっていると確信しているの。ギルドマスターに相応しいのはあの方しかいないって思ってる。レベル78という絶対的な力を持ちながら、決して驕らず、傲慢とは程遠く低姿勢ですらある彼女の人となりは、本当にカッコ良くて」


 ……生粋の陰キャだからなあいつ。俺の調整スキルで運極振りじゃなくなった今でも、天狗になるような様子は微塵もなかった。傍から見れば、それが謙虚に映るんだろう。


「どうしてあんなに素敵なんでしょう。私もあんなふうになりたい。ずっとそう思ってたの。憧れの女性だった」


 うわ過去形だ!


 ヤバいな、可愛さ余って憎さ百倍ってパターンなんじゃ……


「でも、コレットは変わってしまった。きっと私の所為。私が過剰な期待をしてしまった所為で、コレットは……狂ってしまったのよ!」


 ……ん?


 狂った? え、狂ったの?


「どうしてあんな事に……どうしてあんな事に!? 私はもうあの人に憧れる資格さえない! 誰か私を罰して! それでこの罪悪感が消えるならどんな苦痛にだって耐えるから! 今の状況にはもう耐えられない!」


 急にどうした。酷い取り乱しようだ。頭を抱えて身悶えしながら金髪を振り乱している姿はちょっとした恐怖を覚える。どっちかって言うと貴女の方が狂っているように見えますよ、お嬢様。


「あの、出来れば詳しく教えて欲しいんですが……コレットはどう変わったんですか?」


「はァ……はァ……はー……コレットは、悪魔に魅入られてしまったの」


「……はい?」


「悪魔と契約したとしか思えない。きっと、過度なプレッシャーに耐えられなくなって、楽になる為に……! どうしましょう、私は偉大な冒険者を潰してしまった! わぁあああああああああ……!」


 膝から崩れ落ち、泣き叫ぶフレンデリア嬢を目の当たりにして、俺は完全に思考停止状態に陥った。


 コレットが、悪魔と契約? 闇堕ち? あいつが? あのコレットが?


「とても想像出来ないんですが……なんか儀式でもしてました?」


「うん」


 してたのかよ! それちょっとヤバいですね! プレッシャーに押し潰されて追い詰められてるとは思ってたけど、そんな追い詰められ方は想像してなかった……


「その日、私はコレットが寝泊まりしている宿に遊びに行ってみたの。普段は使用人を寄越して招待しているのだけど、コレットが普段どんな部屋に住んでいるのか知りたかったのと、サプライズをやってみたかったのもあって。ノックしようとしたのだけれど、鍵をかけ忘れていたのか扉が開いていて、そっと侵入して脅かそうとしたら……」


 何かに怯えるように、フレンデリア嬢はそこで一旦区切り、青い顔で震え出した。


「コレットは……怪しげな悪魔の装備を身に付けていて……何やら呪詛のような言葉を独りで呟いて……闇に呑まれたようにずっと無表情のまま壁を睨んでいたのよ……」


 何それ怖っわ!! どうしちゃったんだよコレット! 元々精神病んでそうなところはあったけど、そんな直接的なヤバさはなかっただろ!?


 少なくとも、最後に会った時――――冒険者ギルドの応接室で話をした時には、そんな感じじゃなかったよな。お互い思いの丈を話して蟠りはなくなって、一層絆は深まった……みたいな感じだったじゃん。あそこから急転直下の闇堕ちとか、もう対処しきれないって!


「あの時、私は驚きのあまり声を出せず、そのまま逃げ出してしまって……もし私があの場でコレットを止めていたら、姿を消す事もなかった。全ては私の責任。こ……コレットが……いなくなっちゃった……」


 先程とは違って、今度はさめざめと泣き出した。フレンデリア嬢の心情が染み入るように伝わってくる。


 彼女が悪い訳じゃない。確かに一方的な期待の押し付けはあったんだろうけど、コレットは子供じゃないんだ。そういうのは辛いとハッキリ口にしないといけない。厳しい見方をするなら、そこまでの関係性を築けなかったのが問題なんだろう。


 ……十数年もの間、まともな人間関係を一切放棄していた俺が言うのもなんだけど。


「フレンデリア様。俺と約束をしませんか」


 心中とはいえ厳しい事を言ったお詫びに、そして自分の為に、一つの提案を口にする。


「約束……って?」


「コレットは俺がなんとかします。その代わり、俺のお願いを一つ叶えて下さい」


 これは打算だ。決して綺麗な取引じゃない。ましてコレットの為にと意気込んでの事じゃない。あくまで俺自身の都合だ。


「今後、何があっても俺の素性に一切触れない事。それを約束してくれれば、コレットは必ず俺が正常に戻してみせます」


 そして――――賭けだ。


 今のところ、フレンデリア嬢が俺を転生者だと察している素振りはない。でも、この提案は彼女にそれを気付かせる危険性を孕んでいる。藪蛇かもしれない。


 でも、今回の事で悟った。彼女は本気でコレットを気に入っているし、慕っている。なら、俺がコレットと関わり続ける以上、フレンデリア嬢と無関係であり続けるのは難しい。というか不可能だ。


 だったら、いずれはバレる。フレンデリア嬢が転生者だと仮定すれば、確実に俺も同じ立場だと見抜くだろう。俺がこの街に来た経緯が一切不明な事は、調べれば直ぐにわかるしな。


 なら先手必勝。気付かれないようにするんじゃなく、気付かせないようにする。心の中では疑っていても、確証を得ようと動かないようにしておく。そうすれば、俺が転生者だという事実が彼女の口から漏れる心配はない。


「それって、貴方がまともな人間じゃないって言ってるようなものじゃない?」


「ちょっと誤解されそうな問題を幾つか抱えてるだけですよ。それで、約束は出来そうですか?」


 実際、元呪われた武器屋に務めていたり、怪盗メアロに情報提供を受けたり、聖噴水を元に戻したり、他人が聞いたら怪しい奴と断定しそうな事を幾つかしてきた。だから嘘じゃない。


「……一つ教えて。貴方にとってコレットは何?」


「友達です。この街に来て最初に出来た、かけがえのない友達。俺、友達少ないんですよね。だから貴重なんです。失う訳にはいかない」


 友情を語る人間なんて、物語の中だけだと思っていたんだけどな……まさか自分がそうなるとは。自分が思っていた事、感じていた事なんて、結局その時々の感傷でしかないのかもしれない。


「わかった。私と同じね。なら、貴方を信じる」


 そう簡単に信じちゃって良いんですかね……と思わずこっちが不安になりそうなくらい、フレンデリア嬢は真っ直ぐな目で見てきた。


 確かに同じだ。そんな気がするよ。


「でも、具体的にはどうするの? コレットは失踪中だし……」


「あいつなら夜には宿に戻ってるそうです。深夜に押しかければ会えると思います。男がそれをやるのはちょっと難しんで、知り合いの女性に頼もうかと。フレンデリア様は門限ありますよね?」


「あるけど……それより、宿に戻ってるって本当? 使用人が聞いた話と違うんだけど……」


「え?」


 フレンデリア嬢によると――――コレットの住む宿に使用人を向かわせ、彼女がいないかフロントに確認したところ、ずっと戻っていないという返答を得たらしい。


 妙だな……俺への返答と食い違っている。そんな事あり得るか?


「わかりました。もう一度確認してきます。取り敢えず、コレットについては俺に任せて下さい。もし選挙へのプレッシャーで逃げてるのなら……」


「私が姿を見せたら逆効果よね。大丈夫、それは弁えてるから」


 理解が早くて助かる。厄介な存在から一転、今はとても頼もしく見えるな。


「貴方の名前、確かトモ……だったっけ。コレットがそう呼んでた気がする」


「正解です。良い記憶力してますね」


「トモ。今日はありがとう。ずっと一人で溜め込んでいたから、正直限界だったの。貴方に話せて、ちょっと楽になった」


 感慨深いな……俺がこんな事を他人に言われるなんて。友情を語るのもそうだけど、一生俺には縁がないと諦めてた事が次々に起こる。


「コレットのギルマス就任パーティに呼んで下さい。どうせやるんでしょ? お礼はそれで」


「特等席を用意してあげる!」


 別れ際、ようやくフレンデリア嬢は笑顔を取り戻し、俺に向かって拳を突き上げていた。ちょっと恥ずかしかったけど、それに応える。少し肩の荷が下りた気がした。



 さて――――まずは宿に行って再確認して、それからソーサラーギルドに向かおう。フレンデリア嬢についてティシエラに報告しないと。それからギルドに戻って、今の仕事の確認と、新しい仕事の交渉もしないと。


 やることが…やることが多い…!! 


 でも、やる事が全くないより遥かにマシというね。夜間の警備員ってマジで何時間もやる事がないからな。そこにいる事が最大の貢献という。


 だからモチベーションを保つのが難しい仕事でもある。過酷さの度合いで言えば、もっと厳しい仕事は幾らでもあるんだろけど、実際にやってみると結構しんどい。当たり前だけど、寝落ちとかしたらシャレにならないし。


 適度な緊張感を保ったまま、見回り以外特に何もせず10時間近く(仮休憩あるけど)起き続けている日々を毎日延々と過ごしてると、精神も結構やられるんだよな……発報があるとテンション上がりまくるくらいには。


 ……と、今更生前の仕事を思い出しても仕方ない。宿へ行こう。





「――――で、フロントの返事は前回貴方に言った内容と同じだった訳ね」


 すっかり常連になったソーサラーギルドの応接室で、ティシエラにコレットの件を話したところ、普段以上に難しい顔で何やら思案し始めた。


 コレットの恥を晒すみたいで少し抵抗はあったけど、フレンデリア嬢とのやり取りを報告する上では避けて通れない話題。それに、正直ティシエラの知恵も借りたい。というか、彼女の手を借りたいというのが本音だ。


 もしコレットが過度な重圧に耐えかねているのなら、ティシエラの魔法……プライマルノヴァだっけ、あれで一旦心をリセットして貰う手段もある。人間的成長を阻害しそうな、ちょっとズルっぽい方法だけど、悪魔に魂売るくらい追い詰められている状況を放置するよりはずっと良い。


「使用人が嘘をついた可能性は?」


「普通にあると思う。何にしても、深夜まで宿で張っていれば答えは出る」


「貴方がそれをするの? ごきげんよう、ストーカーさん。短い付き合いだったわね。ソーサラーギルドと私の頭の中から貴方の痕跡を消す為の費用は、貴方のギルドに請求すればいいの?」


「酷ぇ誤解だ! いや普通に女の人に頼もうと思ってるよ!」


「深夜の街に女性を差し向けるなんて……正気? 貴方、人としてどうなの?」


 ぐ……言われてみれば確かに……


 この街は治安が良いし、俺より強い女性が沢山いるから、問題ないって勝手に思ってたけど……確かに人としてダメだ。長い事他人と関わって来なかったから、理屈ばっか先に出て人として大事なことが欠落しているのかもしれない。


「浅はかでした……」


「直ぐに反省出来るのは美点よ。ご褒美に、その役は私がやってあげるわ。感謝なさい」


 へ?


「いや、さっき言ってた事と矛盾するんだけど……」


「貴方が差し出すのは問題でも、私が自ら進んで行うのなら問題ないじゃない。コレットは次期ギルドマスターの本命よ。ここで恩を売っておけば、今後冒険者ギルドとの関係はより良好になるわ」


 ついさっき、似たような照れ隠しを心の中で呟いていた馬鹿は、誰か。そう、私です。 


 まあ、俺とは違ってティシエラはそこまでコレットと親しくないみたいだから、案外本音かもしれないけど。


「取り敢えず、フレンデリア嬢は今のところ変化なし。コレットの事を本気で心配してたし、俺の知っている彼女のままだ」


「そのようね。彼女の悪い噂は全く聞かなくなったわ。ありがとう、引き続き監視をお願いするわ」


「了解」


 監視って言葉は正直好きじゃないけど、常駐警備で似たような事をやってた訳だから、今更良い子ちゃんぶっても仕方ない。報酬を貰えるんだから、しっかりこなそう。


「それで……イリスとはその後どうなの? 適度な距離を保っているんでしょうね?」


「良好良好。実は一緒にお昼を食べる約束をしてて――――」


「聞いてないわね。その話詳しく」


「顔近い! あと怖っ!」


 結局その後、イリスとの全会話を復唱させられる羽目になって喉枯らして帰った。

 

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