第082話 寝顔保護法
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
自分の悲鳴が狭い空間の中に響き渡り、一瞬で寝ぼけ眼が四白眼に変貌する。
それは悪夢のような朝の訪れ。
微かに映る細い光から零れるように、一つの目がこっちをギロリと捉えている。そして次の瞬間、白い光が視界全体に溢れ、何かが俺に向かって投じられた。
冒険者ギルドの次期ギルドマスター大本命と言われている立候補者の雲隠れ――――
俺がその事実を知った翌日、アインシュレイル城下町は瞬く間にこの話題で持ちきりになった。
主な原因は、記録子さんが書いた新聞。
彼女がコレット不在の件をニュースにし、手書きの新聞として早朝に配り歩いたからだ。
このレインカルナティオでは、ある程度の水準までは印刷技術が発達していて、活版印刷による本もそれなりに出版されている。公用語の文字体系が単純で文字の総数自体が少ない為、必要な活字が最小限で済むから、印刷の利用価値が高く発展しやすい環境にあった……と勝手に想像しているけど、恐らく的外れではないだろう。
新聞もちゃんとある。とはいえ、生前の世界みたいに毎日数多の新聞社が似たような情報をリリースしている訳じゃない。情報源を明らかにせず信憑性の欠片もない情報を載せてそれを新聞記事だと堂々と嘯いたり、偏った価値観の脳内妄想を垂れ流しただけの文章を記事だと豪語したりもしていない。
活版印刷は大量生産までは出来ないし、複雑な文章だと使い回しも不可能だから、基本的には日々の出来事や情報を最小限の言葉で綴っているだけ。不確かな情報は載っていないけど、面白味もないければ情緒もない。
それに対し、記録子さんが独自の取材をもとに手書きで書いた新聞は……新聞というよりノンフィクションの読み物。記述が一々大げさでドラマティックだから、ついつい読み耽ってしまう。
ゴシップ記事との違いは、悪意で人を惹き付けようとはしていないところ。主観はかなり入っていて空想の域に達しているけど、嘲るような描写や見下した感じの視点はない。だから嫌な印象は受けない。
とはいえ――――
「どう? 感想を聞かせて欲しい」
……勝手に人ン家に侵入して、棺桶の蓋を開けて自分の書いた新聞を投げ込むの止めて貰えませんかね。この国に住居侵入罪はないのか。ないのならせめて寝顔保護法くらい作って欲しい。もし成立したらこの世のラブコメからクソみたいな展開が一つ減るしな。
主人公がヒロインの寝顔を見て『こいつ寝顔だけは可愛いんだよな』って言うパターン、マジでもうお腹いっぱい。お前絶対普段から可愛いって思ってるだろ? フザけんなよ? 何なんだよその自分自身への照れ隠し。経験ないから心情が一つもわかんないし共感出来ねーよ畜生……
よし。しょーもない事を考えたおかげで、どうにか動悸は治まってきた。自分の部屋に他人がいつの間にかいるって、この世で一番のホラーだよな。マジでビビッた。朝一でこんなに絶叫したの生まれて初めてだ。
「手書きで新聞書くって凄いですね。でも、どうやって量産してるんですか?」
「そんな感想は求めてないけど教える。我氏のスキル【複製3】は一度書いた文章を完全に再現出来る。しかも瞬時に」
マジかそれ。人間コピペじゃん。羨ましくはないけど凄い技能だな。手に職をつけられるスキルって感じだ。
「こっちは質問に答えた。そっちも答えるべき」
「了解。まあ……コレットの雲隠れ自体はもう知ってたんで驚きはないけど、理由の予想は結構納得いくというか、コレットならあり得なくはないってところを突いてるとは思うよ」
レベル78のコレットが実はポンコツだと知る人は少なく、寧ろ有能な冒険者として名を馳せているからか、巷じゃ『他の候補に拉致された』『魔王討伐の準備の為に巣籠もりしている』『モンスター来襲の際に負傷した傷が癒えておらず、人知れず入院した』など、好意的な解釈をされている。
それに対し、記録子さんの書いた記事ではコレットにのし掛かっている重圧の数々を取り上げ、失踪するのも無理はないって論法の切り口だ。
謎のキャラ変を遂げたフレンデリア嬢による褒め殺し、現ギルマスから背負わされた期待、一般市民の尊敬の眼差し、そして両親の格。これらを一身に浴びたコレットが、本当にこのままでいいのかと自分を見つめ直す旅に出たと仮定し、現在のコレットの居場所を推定している。本命は鉱山の隠し部屋らしい。宝石に囲まれて精神を回復させているというオチは、彼女の趣味嗜好にまで踏み込んだ中々の名文だった。
「で、まさか感想を聞く為だけに朝一から大した知り合いでもない俺を叩き起しに来た訳じゃないよね?」
普通に喋ってはいるけど、心の中はまだ引きずってる俺。いやだってマジ怖かったんだって! 棺桶の中で寝てたら、知り合って間もない人が蓋開けて覗いてるんだよ!? ホラーにしたって新感覚過ぎる!
「そう。真の目的は取材。返事がないから勝手にあがったら棺桶があった。棺桶があったら蓋はあける。そう習った」
誰に……? どんな慣習? 人の家に勝手に入って壺割ってタンスやドレッサー開けて回るのを奨励されてる勇者の血筋なの? っていうか勇者の末裔だって棺桶は開けねーよ棺桶は! どんな教育なんだ……
「取材って何の? またザクザクの事聞きに来た?」
「アイザックの事だと仮定して答えると、奴は入院施設から脱走して以降足取りが掴めていないから今日はいい」
えぇ……あいつ何やってんの? 精神病院的な所から脱走って、それもう完全に精神崩壊しちゃってるじゃん。そんなパターンの闇堕ち嫌だよ。
「今日はフレンデルについて聞きに来た」
「誰? フレンデル誰?」
「前髪が長くて目が隠れてる高レベルの冒険者」
あー……あの安全圏からの正論で人を傷付けるメカクレ野郎か。名前で一切呼んでないから覚えてなかったし覚える気もなかった。今後覚えるつもりもない。俺も他人の事どうこう言えるような性格じゃないけど、あいつってホント接し難い。嫌いだわー。
「彼はシレクス家と縁のある人物なのではと睨んでる。フレンデリア様と名前が酷似してるから」
……確かに名前はかなり似てるけど、そんなの別に珍しくもないし、その程度の事で血縁関係を疑うか? ちょっと強引過ぎやしないか?
「君は最近のキャラ変したフレンデリア様しか知らないからピンと来ないんだろうけど、以前のフレンデリア様なら自分と被る名前の奴がいたら改名を命令するくらい腐った性格してた」
「それマジ?」
「ガチのマジ」
迫真の真顔で記録子さんは断言しやがった。いや単にそう見えるだけで、実際は普段と同じ表情かもしれないが。
「そんな彼女がフレンデルを放置していたのが気になってた。でも今のフレンデリア様はまるで別人だから、無気味で取材し難い」
「ならメカクレ野郎本人に当たればいいんじゃ……」
「奴は今、なんか絡み辛い。ちょっと前に怪我して入院してたけど、今は退院して防具屋に弟子入りした」
……は? 何それ意味わかんないんだけど。なんでレベル60台の冒険者が防具屋の弟子になるのさ。
兄貴分だったディノーが俺の頼みとはいえ武器屋で警備員やってるから、それに対抗したのか? いやそんな対抗の仕方ないよな……訳わかんない。
「だから、奴の知り合いに取材中。奴がフレンデリア様の事を話してるか、直接会っている現場を目撃した事は?」
「ない」
「ご協力に感謝。さようなら、気の済むまで眠って」
取材は7秒で終わった。相変わらず前置きと本題の尺の配分がおかしい。あと律儀に棺桶の蓋を閉め直してくれるのはいいんだけど、他人から蓋閉められるとバッドエンド感半端ないな……
そんな気怠げな朝を迎えたこの日も、コレットはギルドに姿を現わしていなかった。
けれど、彼女の失踪はあくまで日中のみの事。泊まっている宿に直接行って問い合わせたところ、宿には毎晩戻っているらしい。
ったく……心配させやがって。思わず腰が砕けそうになるほど安堵しちまったよ。
でも、そうなってくると別の問題が浮上する。記録子さんの予想通り、そして俺の懸念していた通り、プレッシャーに押し潰されて現実逃避している線が濃厚になってきた。
とはいえ、彼女と安易に接触する訳にはいかない。選挙戦で不利になるからと俺の方から離れたってのに、今更どのツラ下げて会いにいけるというのか。
まあ、そうは言ってもあいつが本気で追い詰められているとしたら、そんな事言ってる場合じゃないんだけど。
それを見極める為、一日遅れでシレクス家へとやって来た。目的はティシエラへの情報提供と……コレットの現状をフレンデリア嬢に聞く為だ。選挙の全面的なサポートをしている彼女なら、コレットがどんな精神状態なのか把握しているだろう。
俺と同じ転生組の可能性が濃厚なフレンデリア嬢とは、出来るだけ接点を持たないようにしてきた。転生者なのがバレたら調整スキルを失う可能性があるし、それ以上のペナルティを課せられる恐れも否定出来ないから。その為、彼女に関する情報も全て人伝で入手してきた。
なのに今日はコレットの事を聞く為に会いに来ている。これまでの自分を全否定するかのようで、余り良い気はしない。
とはいえ、人生は思うようにはならないもの。それは生前も今も変わらない。生まれ変わったって、住む世界が変わったところで、理想は理想であって現実じゃない。そう思い知らされる。
だからこそ、現状を打破する為には思い切らないといけない。今のところ調整スキルが俺の生命線って訳じゃないし、もし失ってもその時はその時だ。
「すみません。フレンデリア様に取り次ぎをお願い致します。コレットの友人のトモと言います」
シレクス家の門番は、そんな俺の不躾なお願いを笑顔で受け入れてくれた。きっと昔のお嬢様なら門前払いされていただろう。雇い主が変われば従業員も変わる。
門の傍で待つ事5分――――
「珍しいお客様ね! 入って入って!」
なんと、フレンデリア嬢自らが招いてくれた。まさに転生後の悪役令嬢。ムーブがいちいち主人公っぽい。
「今、応接間にはお父様の客人がいるの。だから、私の部屋にあがって」
「え……? いや、それはちょっと……」
「へ? 何か問題ある?」
この異性への警戒心のなさもそう。普通、貴族令嬢が親しくもない男を部屋にあげるか? っていうか止めろよ使用人……キャラ変前のお嬢様から絶対に逆らえないよう教育されたのか? それとも当時の怨みが募っててお嬢様がどうなっても良いと思ってるのか?
何にせよ、これで図らずもフレンデリア嬢と二人きりになる時間が生まれてしまった。
とはいえ、俺もそれなりの覚悟をした上でこのシレクス家の門をくぐったんだ。いちいち動揺なんてしていられない。
「……いえ。お招きにあずかり光栄です」
「私の部屋は二階よ。中央階段から上がって」
中央階段ってのが如何にも貴族の屋敷だよな。上りながら一階を見下ろすと、まるで立体駐車場から真下の空席だらけの駐車場を眺めているような気分になる。
「……」
「……」
その間、会話はない。無理に弾ませようとも思っていない。向こうがどう思っているのかは、その背中からは計り知れないが。
「ここよ。遠慮しないで入って」
「ありがとうございます。では……」
靴を履いたまま訪れたフレンデリア嬢の部屋は、白とピンクをメインにした、如何にも女子らしい色合いだった。
「どうぞ、適当におかけになって」
室内には、ティータイム用と思しき豪華でコンパクトなテーブルと、背もたれがやたら長い椅子が三つ置かれている。部屋の主であるフレンデリア嬢と、懇意にしているコレットと……あと一人、常連がいるんだろう。
奥には貴族らしく派手な天蓋付のベッド。なんだろう。女性の部屋に入る事に慣れてきた訳じゃないのに、妙に冷静な自分がいる。
「お話は……コレットの事よね?」
だから、そう切り出されても驚きはなかった。実際、『貴方の世界にもこんなベッドはあった?』とか切り出される方が余程怖い。
「はい。選挙運動をしていないのが気になって。今何処にいるかご存じでしょうか?」
「それが、私にもわからないの」
それは――――彼女が俺を自室にあげた理由。きっと彼女も不安だったんだろう。誰かに相談したかったかもしれない。
そんな思いで聞いていると――――
「コレットは……あの子は変わってしまった」
絵に描いたような、おまいう案件が降って湧いた。
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