第079話 百合営業

 ベルドラック――――思い出すのは、あの強靱な身体とは対照的な、何処か抜け殻のような、何かが完結してしまったような諦観の表情。正直何を話して良いのかさえわからないくらい、違う世界の住人って気がした。


 そんなあの人の名前が、どうしてここで出て来る……?


「私の依頼に関わる事を許可出来るのは、貴方とベルドラック。そういう話よ」


「突然そんな事言われてもな……まず理由を聞きたいんだけど。例えば、イリスじゃダメなのか?」


「イリス……?」


 ティシエラの目が露骨に鋭さを増した。確かに、余所のギルド員捕まえてギルマス相手に愛称で呼ぶのは気安過ぎたかも……


「貴方を監視している手前、仕事を手伝わせる事についてとやかく言うつもりはないわ。よくわからない商売にかこつけてイリスにいかがわしい行為をしていなければ、の話だけど」


「……」


「何なのその無言。まさか本当に卑猥な行為をしてるの? ギルドごと粉砕するわよ?」


「してないです! マジ指一本触れてないから!」


 サイン色紙書かせたりエロオヤジ共を釣る餌にしたり、お世辞にも健全とは言い難い手伝い方させてる手前、即答が出来なかった俺も悪かったけど……脅し方のドスが利き過ぎてヤバくないですかティシエラさん!? 粉砕って何だよ粉砕って! 粉砕骨折以外で使う言葉じゃないでしょ!


「兎に角、通常業務を手伝わせるくらいは目を瞑るけど、この件に関しては別。そもそもソーサラーギルドとして動かしている案件ではないの。彼女を巻き込むのは許可出来ないわ」


「私は別に手伝っても良いのに。私ってそんなに信用出来ないかなー?」


 頑ななティシエラとは対照的に、イリスは柔軟な対応を示している。それでもティシエラの考えは変わりそうにない。そう顔に書いている。


「これは信用の問題じゃないの。そもそも信用で決めているのなら、そこにいる突出した能力も実績もない新参者に白羽の矢を立てる筈がないでしょう?」


 ……心なしかティシエラ、今日はいつにも増して辛辣だな。眠くて機嫌悪いんだろうか。なんとなく低血圧っぽいし。


「まあ否定は出来ないな。でもだったら尚更、俺をいいように使う理由がわからない。身内を危険に晒したくないから、素性不明の俺を捨て石にしてコキ使おうって算段か?」


「悪くない着眼点ね。確かに、面倒な連中が裏で糸を引いていた場合を憂慮するなら、貴方のような風来坊を傀儡にして矢面に立たせる方が安全よ。尤も、効率は悪いでしょうけどね」


 薄笑いを浮かべるティシエラの瞳には、同じ表情の俺が映っている。女性と睨み合う機会なんてそうそうない。悪くない気分だ。ティシエラと話す時はいつもこんな心持ちになる。


 扱き下ろされても悪し様に罵られても、腹立たしさは全くない。意図的に上滑りさせているような、言葉遊びにも似た感覚が芽生える。ラップバトルみたいなノリなのかもしれない。やった事ないし二度とやる事もないから答え合わせは出来ないけど。


 なんか不思議だ。俺の悪口ならば俺の前で言うなタイプの俺が、こうも軽やかに他者からの冷罵を受け流せる筈ないんだけどな。悪意を感じさせないティシエラの妙技なのか、相性の問題なのか……本当、不思議だ。


「貴方の今言ったような理由が全くないとは言わないわ。ベルドラックも天涯孤独の身だから、万が一の時に悲しむ人間は最小限。依頼する立場としては、心の負担が少なくて済むわね」


 普通はそんなところにまで気を回さないでしょ。そもそもバカ正直に打ち明ける必要もないし。隠そうとしても優しさが滲み出てますよティシエラさん。


「けれど、依頼料を払ってでも貴方に依頼する最大の理由は、貴方が適任だからよ。フレンデリア様と間接的とはいえ繋がりがあって、カインと面識があって、聖噴水の異変についても懐疑的じゃない。特に最後のは重要ね」


「この街の住民、結構平和ボケしてるとこあるからねー。何か深刻な理由で聖噴水が一時的に機能しなくなったってティシエラの見解、賛同者が少ない少ない」


 たははと苦笑いを浮かべながらのイリスの補足は、俺にとって結構刺さる内容だった。


 あのモンスターが入り込んできた状況を顧みれば、これまでモンスターの侵入を阻んでいた聖噴水に異常が生じたなんて誰だって考えつく。でも壊滅的な被害には至らず、しかもほんの数時間で元に戻ったんだから、深刻な問題じゃなく偶然起こったバグのようなもので、そこを運悪くモンスターに襲撃されただけ……と楽観的な解釈がなされるのも、正直わからなくもない。


 子供の頃、実家が突然停電になった事があった。確か数十分後、何の手も加えていないのに復旧したんだけど、両親はそこから原因を追及する事はしなかった。理由はわからないけど、偶々何かのはずみで停電したんだろうと楽観視していたんだと思う。実害がなかったからだ。


 きっと、建物が壊されたり負傷したりした被害者の人々は、是が非でも原因を追及して欲しいと訴えているだろう。でも大半の、特に何も被害を受けなかった人達は、事態を深刻に捉えてはいない。不幸な事故だったねと過去の出来事にしている。だから、事を大きくしようとしているティシエラの意見に耳を傾けていない――――こんなところか。


 もしくは、事を荒立てたくない何者かが情報操作している……とか。それこそ、聖噴水を無効化した何者かが。だとしたら大問題だ。


 いずれにしても、楽観視されている大きな要因の一つは『数時間で元に戻ったから』であり、それを行ったのは他ならぬ俺。俺以外誰も知り得ない事実だけど、だからといってスルーするのは気が引ける。


「俺に拘る理由はわかった。だったら、どうしてベルドラックなんだ? 彼も俺と同じように、それぞれの案件と縁があるとか?」


「いえ。全くないわ」


 だろうとは思ったけど……


「だったら、なんでその人の名前が出て来るの。ウチのギルドの人間でもないし、俺自身一度対面しただけで完全に他人だよ?」


「貴方との関係性の問題ではないわ。単純に、危ない橋を何度も渡ってる経験上、最大の戦力になり得るという判断。最低限の人数で実行して欲しい依頼だから、一番役立ちそうな人間を紹介したまでよ」


 もっともらしい意見ではある。ベルドラックの具体的な実績を知らない以上、口を挟む事も出来ない。


 とはいえ――――既に結論は出ていた。


「生憎、彼と手を組む事は出来ない。俺はコレットの関係者だから」


 ベルドラックはギルマス選挙に出馬している立候補者の一人。コレットの敵だ。なら、幾ら仕事とはいえ選挙期間に俺があの人と懇意にする訳にはいかない。例えそれが原因で、ティシエラと疎遠になるとしても。


 ティシエラとコレット、どっちとの縁を取るって話じゃない。筋を通すか通さないかの問題だ。俺は既に、選挙の為にコレットと距離を置いている。そんな俺がコレットの選挙を邪魔するような真似は出来ない。筋が通らないからな。


 ここで絶縁を突きつけられたとしても、俺は――――


「そう。なら貴方一人でやって貰うわ」


 ……おう、もう少し自分に酔い痴れさせてくれや。何簡単に結論出しちゃってんの? これから俺が自己陶酔に溢れた気持ち悪い名言の数々を披露しようとしてたところでしょーが!


「ティシエラ、いーの? マスターが一人だと多分捗らないよ? 他の仕事で手一杯なのに」


「この際仕方ないわ。聖噴水の件は危険も伴うし、こちらで捜査を進めておくわね。トモ、貴方は他の二件、特にフレンデリア様の現状を定期的に探って貰えるかしら。個人としての取引だから、依頼料は常識の範疇だけど」


「それで構わないよ。お仕事ありがとうございます。精一杯務めさせて頂きます」


 ぺこりと頭を下げ、交渉は成立。フレンデリア嬢とは直接関わりたくないし、ギルド員の協力を仰げない案件だけど、その分依頼料はまるまる借金の返済に充てられる。元々頼まれていた事を報酬付きにして貰ったんだから、悪い取引じゃない。


「契約書は持参しているから、サインを頂戴。内容は基本、今話した通りよ。一応目は通しておいて」


「了解」


 彼女の性格上、しれっと契約書の中に『報告を一回でも怠ったら違約金10000G』みたいな重大事項を盛り込んでそうだよな。


 果たして――――





 ・イリスチュアに故意に触れた場合は違約金10000Gの支払いを行う


 ・イリスチュアに偶然触れた上で彼女が精神的苦痛を訴えた場合は1000Gの支払いを行う


 ・イリスチュアに過剰な助力を強要し彼女が精神的苦痛を訴えた場合は5000Gの支払いを行う


 ・イリスチュアに十分な休憩時間を与えなかったと判断された場合は3000Gの支払いを行う


 ・イリスチュアに性的な連想が可能な話題を振ったと判断された場合は2000Gの支払いを行う


 ・イリスチュアに性的な行為を強要したと判明した場合はヒーラーギルドで永遠に死に戻り拷問を味わう


 



 おおよそ契約内容と関係ない違約金がこんなに!?


 っていうか最後怖過ぎだろ……! 死に戻り拷問ってつまり、拷問で死んだら蘇生魔法で生き返らせてまた拷問の永久ループでしょ? 前に一度想像した事あったけど、とうとう現実味を帯びてきちゃったよ!


「にしても、過保護が過ぎるような……」


「ホントそれ! ティシエラ、こんな事書かなくても大丈夫だってば」


「別に心配なんてしてないわ。私達の大事な主力を預ける以上、ギルドの長としては当然の条件よ」


 困ったような半笑いで、でもやっぱり嬉しそうにツッコむイリスに対し、ティシエラはそっぽを向きながら答えていた。


 ひょっとして照れてるんだろうか。案外、今日機嫌が悪かったのは、イリスが俺と存外親しそうにしているのを目撃したからかもしれない。あら^~、百合の香りがプンプンするぜッーーーーッ!!


 やっぱこれくらいだよね。これくらいの距離感なんだって。百合営業やってる人達に強く訴えたい。演じるのは良い。でも加減は間違えないで欲しい。いやマジで。


「それで、どうなの? 契約するの? しないの?」


「するする。ほいっと」


 ギルド設立の準備でサインは書き慣れてる。この国の言葉で『友』を意味する言葉が、俺のこの世界での名前だ。


 ソーサラーギルドとの提携って訳じゃないけど、これで一応このギルドはティシエラと業務委託契約を結んだ格好だ。今回の場合、報告義務はあるけど完成責任を負うものじゃないから請負契約じゃなく委任契約って事になるのかな。どっちでもいいけど。


「交渉成立ね。違約金については穏便に済ますつもりは一切ないから、くれぐれもイリスへの接し方には注意しなさい」


 本契約よりそっちの方が本命だったと言わんばかりに、最後まで念を押してティシエラは帰っていった。


「はぁ……全く」


「大事にされてるね」


「でしょ? 愛が深過ぎてちょーっと困るけど、最高の上司で最高の友達!」


 イリスの赤毛は笑顔が映える。屈託のない彼女の姿は、このギルドにまで明るさをもたらしてくれそうな、なんか御利益がありそうな気さえする。ムードメーカーってきっと彼女みたいな人を言うんだろう。


「でも多分今日来た理由は、私の事がメインじゃなかったと思うな」


 いやいや、どう考えてもイリスの件がメインだったでしょ。契約成立後でもまだ機嫌良くなかったし。恐らくだけど、事前登録の特典の件で若干俺にキレてたんだろなあ……


「で、マスター。ギルドの営業開始はいつにする? 仕事もあるし、ギルド員も集まったし、箔も付いたし、そろそろ頃合いじゃない?」


「ああ、ようやくだな。これから下準備を始めて、張り紙も貼って、明後日には始められるようにしよう」


 時は来た。時は来た来た。時……来てるぞ! 





 そんな訳で――――





 アインシュレイル城下町ギルドのオープン初日。


「え、んん、んんっ! え、えー。この度は? 僕達、私達のギルドに加入して頂き、ありがとうござりまっしゅ……ございます」


「マスター、深呼吸深呼吸!」


 大勢の人前で話す機会に慣れていないから、当然ながら緊張がエグい。声が上擦るしまともに言葉が出て来ない。


 きっと生前なら、こんな感じの失敗をしたらずっと後まで引きずるくらい傷付いて、落ち込んで、萎えてしまった事だろう。でも今は違う。不思議と大して気にならない。


 理由は何となく自覚している。友達付き合いもない、大きな仕事もない生前だったら、20数名の前で話をする事自体が一大イベント。恥をかくのが嫌で仕方なかったから、とにかく億劫だと嘆いていたに違いない。でも現在の俺は他にも厄介な問題やしなくちゃいけない案件を抱えているし、日々色んな立場の人間と会話しているから、この瞬間にそこまでの比重がないんだ。


 底辺警備員が底辺冒険者になって、底辺ギルドのマスターになったところで、何一つ出世した訳でもないんだろうけど、少なくとも生きている実感はある。毎日違う事で動いている。だからなのか、一つの事、一つの失敗に囚われなくなってきた。


「……えー、アインシュレイル城下町ギルドは、この街を様々な問題から守る事を目的に設立しました。魔王城のすぐ近くにあるこの城下町は、高いレベルの冒険者やソーサラーら強者が大勢いて、景気も良く景観も美しく、一見すると何も懸念はないように感じられます。でも、余所者だった俺の目には、小さいものから大きいものまで問題が山積しているように映りました。それらの問題に対し、このギルドは抜本的解決や根絶だけを目的とはしていません。守るという行為は、未然の防止や取り敢えずの回避なども含みます。小さい仕事、地味な仕事も沢山あります。派手な仕事しかしたくない人もいるでしょう。それは構いません。どんな仕事を選ぶかは皆さんの自由です。でも、街を守るのに大きいも小さいもないとだけは言っておきます。だから、俺が取ってくる仕事は多種多様になると思います。それでも良ければ、どうか皆さん、力を貸して下さい」


 奇跡的に、一度も噛まずに言えた。

 まあ挨拶の内容は青臭いというか、如何にも世間を知らない人間の理想論に近い戯言とか思われてそうだけど、最初は誰だってそんな感じだろう。


「いいじゃねーか! 俺らでこの街を支えてやろうぜ!」


「おうよ! イリスちゃんの住むこの街を守る為だったら何でもやるぞオレは!」


 アラサー、アラフォーの中年エロオヤジ共には受けが良かった。世界が違っていても、同世代には通じ合う何かがあるのかもしれない。


 対して――――


「ボクは……お金をいっぱいもらえるお仕事をしたいな……」


「……妹を性の捌け口を見るような目で見ている腐れ野郎が四人、五人……速やかに住所を調べないと……」


 アウターゾーン圏内にいるクリーチャー達は案の定、俺の話をまともに聞いちゃいない。あの自称イリス姉は特にヤバいな。共食いとかしそうで。


 入院中のダゴンダンドさんは当然いないとして、あとは……


「……」


 バフォメットさんは被り物をそのままに、フツーに突っ立ってた。なんか疲れてるっぽいな。憑かれてるっぽくもあるけど。


 斯くして、俺のギルマス人生は賑やかに幕を開けた。


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