第059話 サイレントフラグクラッシュ
――――もしかして付き合ってたりするの?
イリスチュアのその発言から約30秒が経過したけど、依然として周囲は水を打ったように静まりかえっている。
何これ、凍れる時間の秘法? イリスチュアも狼狽して『え? なんで?』ってしきりに呟いているけど、誰も答えない。
けれど次の瞬間、沈黙は一気に破られた。
「おいおいおいおい! ちょっと待ってくれよ! 突然何だよ! 訳がわからないよ!」
「マジかよ!? 嘘だろ? ティシエラさんに恋人!? 嘘だと言ってよイリスチュアさん!」
「えーヤダヤダヤダヤダ! 無理! ティシエラ様が男と付き合うとか絶対無理!」
大勢の観客が一斉に騒ぎ初めた。アイドルがコンサート会場で突然恋人の存在を匂わせたらこんな感じになるんだろうか。
野郎連中はともかく、女性からも悲鳴が多数あがっているのは凄いな。百合のカリスマじゃん。
にしても、最近親しくなった男って……まさか俺の事?
いやでもなー、自意識過剰かなー。話はするようになったけど、そこまで親しい訳じゃないし頻度も低いもんなー。冷静に考えたら、多分違う……
「誰の事を言っているのか大体想像は付くけど、親しい知人の関係者ってだけよ」
「またまたー。付き合い長いけど、ティシエラがあんなに楽しそうに男と話してるの初めて見たんですけどー? しかも密室で二人っきりでさー。どうなのよ、ねーどうなのホントのところ」
あ、これ俺だわ。
密室っつっても半ば監禁されてただけなんだけどね。あと楽しそうとかどんなガセ情報だよ。会話の途中で微かに笑顔になる場面があるにはあったけど、概ね真顔だったぞ。
「密室ゥ!? それもうヤってんじゃん! っていうかヤリ部屋じゃん!」
「嫌ァァァァァ!! ティシエラ様はそんな事しないのォォォォォ!!」
そんな真相など知る由もない見物人の方々は、気が動転してるのか泣き出す人まで出て来る始末。ネットの炎上と違ってダイレクトに泣き声聞こえてくるから心が痛い――――とかは特にない。寧ろ興奮する。
いやだってさ、完全に誤解とは言えだよ? 男女問わず大勢のやっかみを一身に受けている訳ですよ、今の俺ときたら。実際に羨ましがられているのは虚像の俺であって、実態の俺とは何の関係もないと重々承知した上で、それでも流石に気分が高揚します。
そうか、この大勢から注目される快感が欲しくてみんな嘘松になっていくんだな。なんでそんなしょーもない嘘をつくんだろって不思議に思ってたけど……今ならわかるよ。誰の心の中にも嘘松はいるんだね。
それにしても、まさかこんな瞬間がやって来るとは。虚無の14年の頃には想像もしてなかった。なんだよ、異世界生活最高じゃん。聞いてた話と違って全然周囲からチヤホヤされないから、てっきり解釈違いとばかり思ってモヤモヤしてたよ。
ああ……みんなが俺を羨んでいる。別に何にも成し遂げていないけど。この責任を伴わない薄っぺらな多幸感が程よい感じで心地良い――――
「あ! あんな所に本人いた! それじゃ本人に直接インタビューしよっか!」
!!!!????
しまったーーーーーー! まさかこの人混みの中で見つかるとは! 完っ全に油断してた! イリスチュア……おそろしい子! 野鳥の会城下町支部の人かよ!
おいおいちょっと待ってよ、このままだとついさっきまで愉悦の燃料だったやっかみが直接的な罵倒と暴力になって俺に襲いかかってくるんじゃないの!? 実際には何の好意も持たれないのに、痛い目だけ見るって最悪じゃん! 急転直下が過ぎるって!
ヤバいよヤバイよ……今の俺、FXで有り金全部溶かす人の顔してるだろ。ウソみたいだろ。死んでるんだぜ。これで……いや本当に一度死んでるんだけどさ。
「ねー! ねーってば! そこにいるのトモくんだよねー? こっち来て真相を話してくれなーい?」
トモくん? 知らない人ですね。俺の名は藤井友也。例え死んでも自分の名前は決して捨てない男。だってそうしないと、この周囲の殺気を全身で受け止める事になるからね。さっきから小声で『どこのどいつだ殺してやる』とか『ティシエラ様と楽しく会話してる時点で死罪』とか聞こえてくるんだよ……マジ怖い。
このままだと俺の第二の人生は濡れ衣で集団暴行という最悪の終わり方をしてしまう。ほんの少しでもおいしい思いをしたのならまだしも、本当にただフツーの会話を何回か交わしただけなのに!
嫌だ……絶対嫌だ。こんなんでせっかく拾った人生を棒に振りたくない! 誰か、誰か助けてくれ――――
「投げさせてくれよ!!!!!」
音量に拘わらず、人の腹の底から出した声というものは、耳を劈くように聞こえてくるもので……ディノーの魂からの叫びは見物人全員を沈黙させた。
「もうよくない!? ティシエラさんの異性関係とかさあ! 今やってるの魔王城目がけて武器投げる大会じゃん! ティシエラさんのこと諦めさせる大会とかじゃないじゃん! 俺に早く投げさせてくれよ! 後がつかえてるんだからさあ!」
半泣きしながらのその訴えは、正論以外の何物でもなかった。というか助かった。ありがとうディノー、君はとても良い奴だ。
ただ――――
「そ、そうだねー。なんかごめんね? ちょっと話長すぎたよね。ホントごめん! ね、ティシエラも反省してるから」
「私は純粋に被害者なんだけど」
「いいから謝って! あと今の話題に乗っかった見物の人達もみんなディノーさんに謝って! せーの、ごめんなさいでした」
ごめんなさいでした、と全員が唱和するその光景は、まるで学級会で担任が問題児達を教壇の前に立たせて無理矢理謝らせているようだった。当然、空気は最悪。あとディノーに対し『空気読めねぇ奴だな』とか『お前の投擲マジ興味ねーから』とか心ない言葉を呟く奴もいる。酷い。
「そ、それじゃあらためて次の選手はディノーさんでーす! 抱負とか聞かせて貰えるかな?」
「……一生懸命投げるだけです」
あーあ、ふて腐れちゃった。そりゃそうだよ、これは正直かわいそうだ。ザクザクだったら今頃自爆してるぞ。
「これまでで最高の飛距離は、一日目にコンプライアンス選手が鉄球を投げて記録した376メロリアです! 魔王城まであと2645メロリア! ディノーさんはこれ以上に距離を伸ばせるでしょうか!?」
「冥府魔界の霧海、ね」
あくまでその名前に拘るティシエラ。かなり気に入っているらしいけど、魔界と霧海って語感が被ってるからちょっと微妙だよね。苗字と名前が韻踏んでるとなんか微妙に感じるアレと似ている。いや批判とかじゃないけど。あえてそのネーミングをやって大ヒットした作品とかあるし。
それはともかく、メロリアってのはこの世界の長さの単位だな。昔、そういう名前の英雄的冒険者がいて、そいつが両腕を広げるポーズが大流行したらしい。その腕を広げた長さが1メロリア。約2mだ。
つまり、酒場のマスターは鉄球を376×2m=752m投げたって事になる。ヤバ過ぎでしょ……砲丸投げの世界記録って20mちょいだぞ。まあ砲丸よりは軽い鉄球なんだろうけどさ……
そして何気に今回判明したのが、霧の出るエリアの面積だ。霧が出るギリギリから投げて376メロリア、それで魔王城まであと2645メロリアという事は、霧が出ているのは半径約3000メロリア。つまり、周辺6kmものエリアに死の霧が広がっている訳だ。そりゃ攻略出来ない訳だよ。
「それじゃディノーさん、どうぞ出発して下さい! みなさん拍手で送ってあげてくださいねー!」
申し訳程度の疎らな拍手に後押しされ、ディノーは護衛と共に街を出て行った。
この街から霧が出るエリアまでは15000メロリアくらいあるらしい。30000m、つまり30km。魔王城までは40km強といったところか。車で一時間とかからない距離だ。新宿から八王子より近い。でも自動車も電車も飛行機もないこの世界では、そこまで近距離って感覚はないかもしれない。
とはいえ、魔王討伐とは無縁の生活を送る俺にとって魔王城までの距離は大した問題じゃない。モンスターもこの街には入って来られないし。
それより遥かに重要な問題に今は直面している。イリスチュアが俺の名前を出した所為で、『ティシエラにちょっかいを出している野郎』の汚名を今後着せられるかもしれない……というか既に着せられている点だ。ただでさえルウェリア親衛隊からあらぬ疑いをかけられてるっていうのに、更に誤解が増えるとか……
コレットだったらまだわかるんだよ。結構わーきゃー言い合う仲になってるし、それを楽しんでる自分もいるし、誤解されても仕方ない。実際ギルドには誤解してた奴いたし。でもルウェリアさんとティシエラは全然そんな関係じゃないから、マジ誤解され損。向こうにとってもいい迷惑だろうし、これで俺に悪感情が芽生えたらどうしてくれる? サイレントフラグクラッシュじゃん。略してSFC。今後使う事があればこの略語を推していきたい。SFC!! SFC!!
そんな訳で、イリスチュアに差し入れを持っていく案は却下。それより、今後どうするかを考えないと。
にしても……
「ディノーさん、順調に冥府魔界の霧海へ近付いています。中継のアメリーちゃん、今はどんな感じ? 普通? ああ、普通……普通だそうです。でも本番で平常心を保てるって凄くない? ね、ティシエラ!」
「それくらい普通よ」
「そ、そっかー。まあ普段から命賭けてモンスターと戦ってる人達だもんね!」
「レベル60以上ともなると、この街の周辺のモンスターは余程油断しない限り楽勝よ。命を賭けるほどの敵ではないわね」
「あ、あはは……」
……責任感じてどうにか盛り上げようとしているイリスチュアが何を言っても塩対応。これティシエラ、ちょっと怒ってないか?
そしてそれ以上に、周囲の醒めた空気よ。なんかもう、嫌でも伝わってくる。求心力の低下が。たったあれだけの事で、ほんの一分にも満たない時間キレただけで、こうも民衆は引いてしまうものなのか。
これもう、選挙もダメっぽいなディノー。民衆が直接投票する訳じゃないけど、ここまで一般受け悪いと冒険者も投票を躊躇するだろうし……敵が一人減ったとはいえ、素直に喜べない。性格良い人だから余計気の毒だ。
で、その後――――ディノーは酒場のマスターの記録を塗り替える380メロリアをマークし、無事帰還した。
「見事暫定1位に輝いたディノーさんが帰って来ましたー! みんな拍手! ホラもっと大きく! ちゃんと言った通りにやって! 盛り上げて!」
最後の方、イリスチュアも自棄になって煽っていたけど、ダメだ全然盛り上がらない。その空気を察してディノーさんも表情が晴れない。メカクレ野郎がいたら『やっちゃいましたね』と嬉しそうに言うんだろうけど、それすら救いと思えるレベルの地獄。死の霧より死を司ってるよこの空気。
出来れば目立ちたくないけど……仕方ない。
「ナイス投擲! 暫定1位おめでとう!」
こそこそ隠れつつ、ガヤのような感じで申し訳ないが、この声援と全力の拍手が俺の精一杯だ。
幸い、俺の声をきっかけに疎らだった拍手は多少ボリュームをアップさせ、最低限の体裁は取り繕われた。
「……ありがとう」
遠巻きに見えるディノーの口元が、そう呟いていたように見えた。尚、若干涙目だった。
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