第040話 一秒だけ愛してる
目の前の出来事に、思わず目を見開いてしまう。一度、過去に似たような光景を視界に収めた事があった。
確か酒場での一幕。レベル60の冒険者……ザクザクって名前だったっけ、そいつがキレて自爆しそうになったところ、突然ティシエラが現れて幾何学模様の光を出現させていた。それは魔法だった。
で、今まさにそれと似た光が、不審者イケメンの手から放たれている。なら答えは簡単だ。俺は今、魔法を放たれようとしている。しかも明確な殺意と共に。
勿論、冷静に状況を見極めている暇はない。このままじゃ殺される。何しろ俺の抵抗力(魔法防御力)は2。濡れた手で触ったトイレットペーパー並に脆弱だ。幾ら生命力高めとはいえ、頭でも吹っ飛ばされようものなら即死は免れない。
「トモ! 避けて!」
「無理だね。今スグに首を落とす」
やや早口で捲し立てた不審者の言葉と同時に――――光がソニックブームのような形状に化けた。もう次の瞬間には、それが俺の首を狙って飛んでくるだろう。
俺の身体能力で避けられるほど甘い攻撃とは思えない。ならもう覚悟を決めるしかない。
どうか――――
「抵抗力全振り」
間違ってくれるなよ――――
「トモさん危な……!」
「トモーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
今まさに魔法が放たれたその刹那に聞こえて来たルウェリアさんとコレットの叫び声は、率直に嬉しかった。こんな俺でも、命の危機ともなればほぼ全裸の女性達が恥も気にせず叫んでくれる。これはちょっとした快挙ですよ。俺の人生にこんな名場面が訪れるとは。転生してみるもんだ。
そして次の瞬間、俺の首はというと――――
「……驚いた」
ちゃんと繋がっていた。不審者の言葉とは裏腹にクールな顔もしっかり見える。
奴の衝撃波のような魔法は、俺の右手に握られたセラフィムキラーに衝突し、綺麗サッパリ霧散した。
魔法を剣で切った訳じゃない。そんな技量は当然ない。奴が俺の首を狙ってくると決め付けて、そこに一か八か抵抗力を高めた剣を構えただけだ。もし抵抗力のパラメータがこの剣に存在していなかったら当然アウトだし、奴が『首を落とす』と事前に叫んでいなかったらどっちにしろ完全に詰んでた。コレットのヒロインっぽいあの叫びがなかったらヤバかったな……サンキューコレット、一秒だけ愛してる。
にしても……怖かった~……
今気を抜いたら腰抜かしそう。さっきの魔法、確実にオーバーキルだったぞ。凄かったもん音が。ギュルギュル言うとったわ。
それでもどうにか平静を装えているのは、前にベヒーモスと対峙したお陰だ。あれと比べれば、幾ら凄そうな魔法でも幾分かはマシ。それでも呼吸音がヒューヒューってなるくらいにはビビリまくってたけど。
「魔法を防ぐ武器なんて、生まれて初めて見た」
そんな俺の複雑な心理を知ってか知らずか、不審者は涼しげな目を潤ませて抑揚なく話す。なんか好奇心旺盛な少年みたくなってる気が……
「しかもその武器、ルウェリアさんの武器屋の商品っぽいのに。キミは一体……?」
「だから言ったろ。ベリアルザ武器商会およびルウェリアさんの警備やってるって」
「そうか。なら武器屋に行けば、キミにもまた会えるんだね」
「……?」
そんな不穏な発言を残し――――不審者はスッと姿を消した。
……幽霊?
いやマジで今の消え方そんな感じだったけど! 怖っ! 何だよこの突発的ホラー! あいつマジヤベーよ!
「トモ! 無事で良かった……トモ弱いから直ぐ殺されそうでハラハラしたよ」
そんな事より今ね、人が消え…って、待て待て待て!! え、ちょっと、マジ……?
今、コレットの声、俺の直ぐ傍で聞こえたんですけど……?
え、何、こいつ泉からあがってきたの? スッポンポンのまま? まさか殺されそうだった俺を助けようとして?
ヤバいよ……ラッキースケベの典型的なパターンじゃん。で、俺がその裸を見たらコレットが我に返って理不尽暴力振るうんだよな? 知ってる。本で見た。俺そういうの本でいっぱい見た。
レベル78の理不尽暴力って、それもう虐殺以外の何物でもないよ……? 再び生命の危機! っていうかさっきより死にそう!
どうする……? 振り向かずこのままでいるのが最善策だよな。幾らなんでも一瞬の眼福の為に振り向く訳にはいかないよな。俺もう32だぜ? 命賭けて女の裸見る年齢でもないし、そもそも俺そんなスケベでもないし……ああでもダメだなんか首の筋肉が引きつってる! 振り向けと本能が誘ってる!
おかしいぞ。これ絶対おかしい。どうなってるんだ? 肉体が20歳だから性欲も20歳の頃に戻ったのか?
いや、でもそれだけじゃ説明が……
あっそうだ! 今の俺って命の危機に鈍感になってるんだ! だったら生命維持の本能より性欲が勝っちゃうじゃん!
これはもう抗いようがない。20歳の性欲に鈍化した自己保存本能が敵う訳ない。それだけ全盛期の性欲は凄かったもんな。
あれは確か大学生になったばかりの頃。一人暮らしを始めた俺は『夜の郊外』ってシチュエーションに凄く惹かれていた。凄くだ。何故なら、そこには淫靡な空間があるからだ。青く姦しいのがお好きな盛りのついたカップル。酔って公園のベンチで寝てる無防備なお姉さん。なんらかの撮影。合コンでイケメンにお持ち帰りされている途中の女子大生。夜なのに一人自転車に乗って彷徨ってる謎の女子。そういうシチュエーションに遭遇するのを夢見て、毎日毎日真夜中に出歩いていた。今思うと中々ヤベー奴だったな俺……
そんな性欲の権化だった時代に戻っているのなら、直ぐ後ろに裸の女がいるのに振り向かないでいられる自信はない。だってしょうがないじゃない! 死の危険を感じられない体質になっちゃってるんだもん! これ俺の個性だよ。転生して異世界に来た俺ver.2の個性。殺しちゃダメでしょ個性は。30代? キモい? 知らねーよそんなの、自分以外の30代が同じ事やったらそりゃキモいって思うけど自分だったらそうでもねーよ! いったれもういったれ! コレットの裸を俺は見る! 見るぞ! 見るからな! 見ると死ぬかもだけど後悔しないな!? よし!
「……さっきから何プルプル震えてるの?」
「どぅぇ!? ……え?」
いつの間にか、コレットが前の方に回り込んでいた。俺の視界には今、彼女の上半身が映っている。服を着た上半身が。
「……は?」
「は? じゃなくて……もしかして素っ裸のまま近付いて来たとでも思った? そんな事する訳ないよ。痴女じゃないのに」
……そういえば今のこいつ、怪盗メアロに対抗する為に敏捷性2500にしたままだった。超高速で身体の水分を飛ばして超高速で着替えたのか。俺が不審者の消失にビビッてた最中に。
えぇ……えぇぇぇぇ……
「そ、そんなに凹まなくても……」
「はぁ……そういうの良くないよ。エイプリルフールでさえ期待させておいての嘘は歓迎されないのに、平日にそれはない。ないわ」
「ごめん、言ってる意味わからない」
ですか。はいそーですか。いいよもう。やっぱ30代のラッキースケベは客観的に見てイタいしキモいし、これからは仙人みたいに暮らすよ。もう何一つサービスイベントは期待しないよ。
「あ、でもチラッと見られたんだよね……裸。トモだけなら兎も角、他の男にまでって……私今日一日ですっごく汚された気分」
失敬な。でも今の『トモだけなら兎も角』って部分、もうちょっと詳しく伺いたい。思わず『俺には見られてもそこまで嫌じゃない』って解釈しちゃいそうになるけど、『見られても別にドキドキもしない兄弟やペットみたいな存在』も普通にあり得るんだよな……
「トモさん!」
熟考している間に、ルウェリアさんも着替え終わったらしい。なんかもう一点差で負けてるサッカーの贔屓チームがロスタイムに二点取られた感覚だ。二点差が三点差に? いいよどっちでも。死体蹴りは蹴られてる方は無痛だよ死んでるんだから。
「よくぞご無事で……私、棺桶とか持ってきてなかったんでハラハラしました」
「……もうちょっと他に言い方なかったんですか」
押し寄せる脱力感。
そうはいっても、主成分は安堵感だ。生きて切り抜けられた。それが一番。何よりだ。
それに、思いの外収穫はあった。とっさの事とはいえ、武器に魔法防御のパラメータが存在したとは。これなら魔除けに出来る。正確には魔法除けだな。
運の有無は結局わからなかったけど、それは後日調べれば良い。あの不審者の言葉が確かなら、『魔法を防げる武器』は相当レアな物。盾と違って持ち運びし易いのもポイントだ。今回は抵抗力全振りだったけど、攻撃力と耐久性と三分割にすれば殺傷力と魔法防御を兼ね備えた使い勝手の良い武器にも出来る。夢が広がるなー。
そういえば、あの不審者……
「ルウェリアさん。もしかしてさっきの男、見覚えあります? ルウェリア親衛隊の一人って言ってたし、一度くらい店に来た事あるんじゃないですか?」
「あ……はい。お父さんに言われてる『接客不要・接近厳禁リスト』の一人だったと思います」
これまで出会った親衛隊二名の変態具合を考慮すれば、決して過保護じゃないだろう。当然の処置だ。
「でも、男の方ではありませんでしたよ? 確か女性で……お名前はユーフゥルさんだったと思います」
え、あいつ女だったの……?
マジか。いやでも、そこまで中性的な印象はなかったような……声だって女声ってほど高くはなかったし。
そもそも、ルウェリアさんを恋い慕っているから親衛隊に入ったんじゃないのか?
「……素性を調べる必要があるね」
コレットの目が鋭い。それだけ危険視している訳か。
よく見ると、握っていたセラフィムキラーはもうボロボロで使い物にならない状態だ。耐久性を極限まで減らしたから当然だけど、さっきのユーフゥル(仮)の魔法で砕けたらしい。なんとか防げはしたけど、あの魔法はやはり相当強力だったんだろう。コレットがここまで警戒するくらい――――
「もし本当に男じゃなくて女だったら、裸見られてもそこまでダメージないよね! よかった、私そんなに汚れてなかったかも!」
「……」
「トモ酷くない!? 心も汚れてないもん!」
凄ぇ、言ってないのに俺の思った事が完璧に伝わった。ツッコミってアイコンタクト可なんだ。
「あの、そろそろ帰りませんか? 私がいなくてもお店は開けられますけど、お父さんが心配しているかもしれません」
「あーっ! 私も早く帰らないと約束が!」
結局その後、最寄りの乗合馬車を利用せざるを得ず、予定外の出費に財布が泣いた。サラマンダーよりずっと遅いのにタクシーよりずっと高い!!
……そして、その日の夜。
仕事を終えた俺は――――
「すいません。このギルドにユーフゥルって人物は所属していますか?」
単身、ソーサラーギルドへと乗り込んだ。
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