第039話 ラッキースケベの正体
ラッキースケベなんて言葉がいつ頃から定着したのかは知らないけど、30代前半の俺は恐らくドンピシャ世代だ。なんならラッキースケベ世代と言っても過言じゃない。まあ、あくまで言葉が出来たのが……ってだけで、エロい事に積極的じゃない人間が偶然エロい事に遭遇する展開自体は大昔からあったんだろうけど。
何にしても、俺は生前からこのラッキースケベに対して、ちょっとした恐怖を抱いていた。もし同じような事が現実に起こったら……誤認逮捕は免れないだろうと。
例えば満員電車で揺られて偶然、女性の胸に触ってしまった場合。これ間違いなく痴漢案件ですよね。少なくとも裁判沙汰になる危険は十分にある。どれだけこっちが故意じゃないと主張したところで、それはあくまで俺側の真実であって、被害者女性の真実とは限らない。そのすり合わせが裁判なんだから、そこまでいかなきゃ決着は付かない。
故意を疑われ難いシチュエーションならどうか。学校の階段を踏み外して、偶々下にいた女子生徒にぶつかって、その拍子に胸を揉んでしまった場合。生徒と生徒なら大事にはならないかもしれないけど、教師だったら普通にアウトだ。故意じゃないと言い放ったところで、揉んだ事実があって女子生徒がそれを見逃さなければ、彼女の証言が唯一の真実となる。当人の言葉は言い訳としか見なされないだろう。この場合は裁判沙汰にもならない。瞬殺だ。
なら、余所の家にお邪魔している際、風呂場を開けたら偶々女性が入っていた場合は?
……実はこれ、経験がある。相手は従姉だったけど。物凄く気まずくなって、以降まともに話せなくなったっけ……
それでも身内だったから特に何の問題にも発展しなかったのは、俺にとって幸運だった。これが例えば友達の妹とか全くの他人だった場合、俺は無事でいられたんだろうか……と今でも思う。そして若干心が冷える。
ラッキースケベとはエロい事に遭遇するからラッキーなのか? いや違う。冤罪事件に発展しなかったからラッキーなんだ。誤認逮捕されなかったから幸運なんだ。何事もなくやり過ごせたからラッキースケベたり得る。走り高跳びで棒がグラグラ揺れるくらいのギリギリを飛び越えた、地獄と紙一重のエロ事象。それがラッキースケベの正体だ。
しかも、起こした人間の年代や顔の作りで成功率が大きく変わってくる。中高生のイケメンや童顔なら基本大丈夫。大学生イケメンでもなんとかなる。でも社会人だと例えイケメンでも中々厳しい。スーツ姿の人間が女性の身体に触れてしまえば、その時点で即事案。そこにはイケメン無罪さえ通用しないシビアな世界がある。
つまり、ラッキースケベが通用するのは学生まで。まして30代となると完全に対象外だ。まあ今の俺の場合、見た目は20歳だけど。
そしてここからが本題だ。
そんな俺の知り合いの女性二名が、これから水浴びをします。果たしてラッキースケベは発動するでしょうか?
する訳ない。仮に、どっちかが悲鳴を上げて俺がそこに駆けつけて裸を見てしまうってイベントが発生したとして、俺はその後無事でいられるかというと、当然そんな筈もなく、レベル78のコレットに殺されるか、社会的に死ぬかの二択だろう。この街で信頼を得ていない俺に『水浴び中の女性の裸を見た男』という汚名を着せられれば、周囲がどんな目を向けるなんて容易に想像出来る。青天井の10連ガチャの結果くらい容易に想像出来る。誰もいない部屋で『はいはい知ってた知ってた』とリアルに声に出して心を凍らせていくあの瞬間がやって来るんだ。
よって、俺の行動は既に確定していた。
「水浴びするんなら、変質者や動物がいないか事前に周囲をチェックしておこうか? 聖噴水と同じ水質なら、モンスターの心配はないと思うけど」
完全回避の構え!
この姿勢をアピールする事で、男としての信頼を勝ち取る。30代のラッキースケベなんてイタいだけですよ。わたくし、謙虚、堅実をモットーに生きております!
「あ……うん、そうだね」
「そ、そうですね」
あれ? なんか微妙な反応……?
まさか、事前にこういう事を言って油断させておいて覗くつもりとか思われてる!?
「……まあ、そこまでしなくてもいいか。じゃ、俺はここで待ってるから」
俺の翻意に対し曖昧な返事をして、二人とも気まずそうに離れて行く。
色々考えたのが裏目に出てしまった。そこまで盛大なやらかしじゃない分、逆に堪える。ナイフの腹の部分でぺちぺち頬を叩かれて金属アレルギーを発症するみたいな。いや違うか。
はぁ……世知辛い。異世界でも世知辛い。もっとこう、イージーモード的なのを期待してたんだけどな……
切り替えよう。女性陣の姿は見えなくなったし、ここからが本番だ。
俺は今、絶対に彼女達の裸を見てしまう事だけは避けたいと本気で思っている。そんな俺が――――
「運に全振り」
この、運に全てのパラメータ値を振った剣を持って湖に向かった場合、果たしてどうなるか?
さっきまで使っていたショートソードとは違って、この剣はベリアルザ武器商会の在庫品で【セラフィムキラー】という名称。呪われてはいないものの、血塗られた天使の意匠とか名前がちょっとやり過ぎた感があって発売を自粛し、でも捨てるのは勿体ないからと倉庫に眠らせていたそうだ。
物自体は終盤の街の武器屋に相応しい品質なんで、当然攻撃力をはじめ全体的なステータスは優秀。総パラメータ量もかなり高めと思われる。それを運に全振りした訳だから、もし武器パラメータに運という項目が存在していたら、突出した数字になっているだろう。
その上で、これを持って湖に向かった場合、一体どんな展開が待ち構えているだろうか?
1. 剣に運というパラメータはない → 死亡
2. 剣に運というパラメータがある → コレット達の裸を見てしまうも死亡回避
3. 剣に運というパラメータがある → そもそもコレット達の裸を目撃出来ない
考えられるのは、この三パターンだ。
1は論ずるに値せず。
2の場合はいわゆるラッキースケベ発動で、つまりは幸運の置物。
そして3の場合は、ラッキースケベを起こさない事で破滅フラグを回避している訳だから、幸運の置物というより魔除けグッズ。
つまり、このまま泉に向かえば単に運パラメータの有無だけじゃなく、運の数値を上げた武器の特徴までわかるって訳だ!
問題は、泉に向かう勇気が俺にあるか否か。
ぶっちゃけ……ない!
10代なら勢いとノリで行けたかもしれないけど、今の俺がそんな大胆な行動には出られないよなあ。
ま、机上の空論だな。
もし泉の方から悲鳴でも聞こえてくれば話は別だけど。
俺はルウェリアさんの護衛もやってる訳だし、危機的状況と判断出来る材料があるのなら、彼女の命を守るのは職務上の責務で――――
「きゃあああああああああああああああああああああああああ!!!」
……嘘だろ?
なんて言ってる場合じゃない! 今のはガチの悲鳴だ!
くそっ、やっぱ白い目で見られようと事前に安全を確認しておくべきだった!
でもモンスターは出現しない筈だし、一体何が起きた?
そもそも今の悲鳴がコレットとルウェリアさんのどっちなのかも判別出来ない。甲高い声ってみんな同じに聞こえるからな……
泉までの道は比較的整備されていて、森の中でも足場は悪くない。周囲の鬱蒼と茂っている謎植物に妨げられる心配はなさそうだ。ただし直進じゃない上に木々が視界を妨げているから、移動しながら様子を視認する事は出来ない。
「コレット! ルウェリアさん! 何があった!?」
泉に近付きつつ、大声で叫ぶ。走りながら叫ぶのは凄まじくキツい。泉はそんな遠くじゃない筈だから、もうすぐ着く筈だけど……
「こっち来るなああああああああああああ!!」
はい来ません! 行きませんよ! ソーシャルディスタンス大事!
でも、そんな余裕があるのなら無事……
「いやあああああああああああああああああ!!!」
……でもないのか。いやどっちだよ?
「コレット! 何があった!? ルウェリアさんは無事か!?」
取り敢えず悲鳴の主がコレットっぽいのはわかった。あと、この距離なら俺の声が聞こえる筈。
「トモ!? なんか人がいる! 助けて! でも今二人とも裸だから見ないように助けて!」
「注文ムズいな! 達人じゃないんだからそんなの出来るか! 水浴び中なら、水に潜ってれば大丈夫なんじゃないの!?」
「あのっ! ここの水は透明度が高いので、多分見えちゃいます……」
ルウェリアさんも無事らしい。それは良かったけど、完全にラッキースケベ発動のフラグが立ってるなこれ。
こうなると、もうこの武器が幸運の置物である事を願うしかない。状況的に魔除けの線はもう消えたし。弱ったな……この見た目で幸運の置物だと宣伝が大変だぞ……
「やめてっ! これ以上こっちこないで!! トモなんとかして!」
コレットの声が半泣きになってきた。この様子だと不審者で間違いなさそうだ。来るなってのはそいつに向かっての発言だったか。
ステータスを調整した今のコレットなら、恥さえ気にしなきゃ撃退は可能だろう。問題は……その攻撃力がいつ俺に向けられるかわからないってところだ。ラッキースケベは理不尽暴力までがワンセット。『これで殴られるのおかしくない!?』って状況でも大人しく餌食になるのが伝統芸ってやつだ。
頼むよセラフィムキラー、ちゃんと運を恵んでくれよ? 俺はまだ死にたくないからな?
「おい! 何者か知らないけど二人から離れろ!」
意を決して、泉のほとりに踏み入れる。泉の方は極力見ない……つもりだったけど、無理です。色んな意味でそれは無理です。すいませんこんな30代で。出家どころか人生から脱出した割に、煩悩は健在なので本当ごめん。
「ちょっトモ! 今チラってこっち見た!? 見たよね!? 私達の全裸見た!!」
「ちゃ、ちゃんと隠していますから全裸違います! 過度な既成事実作らないで!」
怖いよー怖いよー……この後も怖いけど不審者も怖い。こっちは終盤の街にそぐわない実力なんだから、出来れば一般市民のクソザコであってくれよ……
「……」
いた。
隠れている訳でもなく、やや遠目から泉の方をじっと眺めている人物が一人。
少しだけ癖のある亜麻色の髪は耳が隠れ、肩には届かないくらいの長さ。
目元は涼しげで、でもちょっと虚ろな雰囲気。
やや口が小さく、その所為か大人しそうにも見える。
これはまた……不審者のイメージとは程遠いイケメンが出て来たな。
ルウェリア親衛隊のあの変態とはタイプが違うけど、イケメン度合いでは引けを取らないレベルだ。
やっぱ終盤の街ともなると、美女とイケメンが多いな。モブ面の人間はここまで辿り付けないんだろな。
にしても――――顔立ちだけじゃなく格好まで不審者っぽく見えない。
緑を基調としたタキシードっぽい服は上品と言う他なく、胸元の真っ白なスカーフもそれをより強調している。
そして下半身を覆うのは黒いズボン。
パンツでもスラックスでもボトムスでもない。
ズボン。
兎に角、とても覗きを趣味にしているような人物には見えない。まずは警告してみるか。
「もし偶然この場に居合わせただけなら、即刻立ち去れ。そうすれば罪には問わない。あと泉の方をガン見するの止めろ」
「……」
ようやく不審者の視線が俺の方に向いた。おうおう、イケメンですなあ。見れば見るほど綺麗な顔をしてらっしゃる。
「……なんかトモ、私達の裸見た時より視線が熱帯びてない?」
「違うわ! 言いがかりにも程がある!」
単純に、目の前のあの男が次何しでかすかわからないから食い入るように見てるだけだ。なんかボーっとしてるというか、女性の裸を目の当たりにしておきながら、全然興奮している様子がない。しかも全然喋らないし。不気味だ。
「……キミ誰?」
あ、喋った。
にしても、この状況で誰何するか……? ますます意味がわからない。
「俺はベリアルザ武器商会の警備員をやってるトモってんだ」
「そうか。キミが……」
いや、何に納得したんだよ。俺の名前知ってるのか?
……って事は。
「ルウェリア親衛隊の一員……四天王の一人だな?」
あの黒コートの親衛隊、名前はなんだっけ、えっと……ファッキューとかそんな感じだったか。奴に名乗った記憶はないけど、対話中に御主人が俺の名前を呼んでた記憶はあるから、多分覚えられていたんだろう。
その上で、ベリアルザ武器商会の警備員と聞いてピンと来るイケメンとなると、自然と候補は限られてくる。
「四天王じゃないけど、親衛隊なのは事実だね。生憎、ボクはここから離れられない。だって無防備なルウェリアさんを襲う輩が現れるかもしれないじゃないか。そして、やっぱり現れた」
……はい?
なんか流れ変わったな。雲行き怪しくなってきたぞ。
「ファッキウの言っていた通り、キミは危険人物だ。水浴びをしているルウェリアさんに躊躇なく近付いて、裸まで見るなんて……」
「いや待て待て待て! それ全部お前がやった事だろ! 俺は悲鳴を聞いてここに駆けつけたんだぞ!?」
「ボクは見ていないよ。一切。彼女の裸体はボク如きの視界には収まらない。神の姿を人間が決して目視出来ないようにね。でもキミは見た」
ヤダもう全然会話にならない! こいつ、あのファッキューよりヤバくない!?
どうする……? って、向こうが殺す気ならもう戦うしかないのか? このセラフィムキラーで?
……もし運全振りの状態だったら、攻撃力も耐久力も皆無のこの武器で?
「死ぬよね?」
シンプルな殺意の塊の言葉が、俺の全身に冷たい汗を噴き出させた。
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