第031話 ガガンボメンタル

「どうだぁオイ! 見たかこの力を!! この超弩級パワーを!!」


 酒場のマスターは酔っているのか素面なのかわからないが、とにかくご機嫌だった。

 その足下には、見るからに屈強な若い男が蹲って腕を押さえている。

 様子から察するに、腕相撲で負けたっぽい。


「嘘……あの人ってアイザックだよね」


 マスターのイカレ具合に驚いていた俺とは違って、コレットはやられた男に関心を示したらしい。

 その時点でなんとなく嫌な予感はしていた。


「強いの?」


「レベル60だったと思う。この街の冒険者でレベル60越えは私を入れて10人もいなかった筈だよ」


 それってつまり、この世界で十本の指に入る冒険者って事か……?

 そんな奴を力でねじ伏せたのかよ、あのマスター。


「ふゥ……信じらんねえ……若い頃だってここまで力が漲った事はなかった……一体どうなっちまったんだオレの身体は」


 道理でテンションがおかしな事になってる訳だ。

 前回会った時は渋い感じだったのに、まるで別人じゃん。


「おいおい、ヤバい薬でもやってるんじゃないだろな?」


「まあ別に良いんじゃね? 強ぇ奴は何やっても許されるんだよ。だからこの街はギルドが支配してるんだしさ」


 野次馬達の高揚感も最高潮に達している。

 腕相撲とはいえ、レベル60の冒険者が敗れた事はそれだけ大きな出来事だったんだろう。


「ザック、しっかりして! すぐヒーリングかけてあげるからね!」


「信じられない……ザックが力で負けるなんて……しかも酒場のオヤジに……」


 アイザック君の仲間と思しき三つ編みの女の子とポニーテールの女性も露骨に狼狽えている。

 彼女達も相当なレベルの冒険者なんだろう。


「ちょっとアンタ! 一体どんな手を使ったのよ! ザックがアンタなんかに負ける訳ないでしょう!?」


 他にも仲間がいた。今度はツインテールの子だ。

 女ばっかのパーティだな……よく見りゃアイザック君、結構イケメンだ。一昨日店に来たルウェリア親衛隊の変態には及ばないけど、爽やかな顔立ちしてやがる。


 正直その顔面は羨ましいけど、女性ばかりのパーティは気苦労多そうだし個人的にはそこまで惹かれない。

 もしハーレムものの主人公に生まれ変わるとしたら、即座に都落ちして植物のように生きる道を選ぶ。俺のガガンボメンタルでは到底耐えきれないもの。


 そういう訳で、彼の事は心の中で勝手にザックザック君と呼ぶ事にしよう。大判小判ザックザックって感覚で女性と接しているに違いない。偏見だったらゴメンなさい。その時は謹んで訂正しますんで。


「イチャモン付けて貰っちゃ困るぜ。オレに挑んできたのはそっちだろう? 『マスターは変わってしまった』とか偉そうに言ってよ。確かにオレは変わったさ。当然だろう? こんなパワーを手に入れたんだ。同じでいられる訳がねぇ。オレは破壊神に愛されたんだ」


「何よそれ……」


「ミッチャ、止めろ。彼の言うように、挑んだのは僕の方だ。そして負けた。現実を受け止めるさ」


 なんとなく想像は付いていたけど、ヒーリングというのは回復魔法だったらしい。無事腕を治癒して貰ったザックザック君は、笑顔でマスターに握手を求めていた。


「完敗です、マスター。僕は思い上がっていたみたいですね」


「いいって事よ。オレだってまだ信じられねぇさ。腕相撲とはいえ、お前に勝つなんてな」


「一体いつ、そんな力を得たんですか? 今の貴方なら魔王討伐さえ実現させてしまいそうだ」


 和解したようで、その実ザックザック君の目は猜疑に満ちている……ように見える。俺はあれと似た目を何度か見てきた。


 機械警備において、発報――――要するに警備用の感知器などが作動して警報を発した状態なんだけど、それがあった時には現場へ向かい、少しでも侵入者の形跡があった場合は警察に通報しなくちゃならない。その時に到着した警官の目は大抵あんな感じだ。『どうせ誤報だろ?』『いちいち呼ぶなよ』って顔をされてしまう。

 ただこれは警官が悪い訳じゃなく、発報は夜間に多いのと、実際誤報が多い為、どうしてもそういう空気になり易い。とはいえ、通報するのは職務なんだからそんな目で見ないでくれってのが本音だったなあ。


「ここ数日の事だよ。なんだ? オレが何かヤバいクスリでもやってると思ってるのかい? 冒険者ギルドは」


 どうやら、そういう嫌疑がマスターにかけられているらしい。

 それで、実力者のザックザック君が仲間と一緒にやって来て、腕相撲で力を試した……ってとこか。


 よし、状況は大体わかった。


「出直そう。ここだけなら、市場調査は後日いつでも出来るし」


「トモ……!? このトラブル全部無視する気!?」


 いや、そんな事言われても……俺もう冒険者ギルドとは関係ないし、この酒場にも本当は来たくなかったくらいだし。

 何より、今はルウェリアさんと一緒にいる。もし変な騒動に発展して、彼女を巻き込んだらシャレにならない。俺は彼女の警備も担ってるんだから、彼女を危険な場所から遠ざけるのは当然だ。そしてそれを大義名分に一刻も早くこの場を立ち去りたいのも当然だ。死にたくないっつってんのにどうしてこうヤバい場面に出くわすかね。


「でも……あ。そっか」


 俺の視線がルウェリアさんに向いているのを察したらしく、コレットは納得したように俯いた。

 友達いないから、味方を巻き込むって発想がそもそもないんだろう――――なんて言うのは止めておこう。完全にブーメランだ。俺も逆の立場なら多分その発想はない。


「トモ。ルウェリアさんを送って行って。私はここに残るから」


「コレットさん……?」


 まだ状況を飲み込めていないルウェリアさんは、驚いたような顔でコレットの切羽詰まった顔を見つめている。


 今の状況だと、ザックザック君だけじゃなく冒険者ギルド全体が悪し様に言われそうな雰囲気だ。そうなると、次期ギルマスの可能性さえあるコレットに無視は出来ないんだろう。それでなくても、真面目だからなコレットは。


「証拠はあんのかよ証拠はーっ! 殺すぞ!」


「大体、冒険者ギルドは傲慢なんだよいつもよー! 俺ら傭兵を毎度見下しやがって! 潰れろ! 全員死ね!」


 案の定、周囲が殺気立ってきた。『くたばれ冒険者ギルド』コールが鳴り止まない。

 随分と嫌われてるんだな冒険者ギルド。

 まあ、現ギルマスが変態だからね。こればっかりは仕方ないね。


「……やっぱり選挙出るのやめよ」


 コレットの心がひっそりと折れていた。うん、これも仕方ないね。


 これ以上ここにいるのは危険だ。そろそろ暴動になりかねない。

 このままコレットが残って応戦しても火に油を注ぐだけだし、そう説得してさっさとこの場を――――


「黙りなさい!」


 離れようとした、まさにその時。

 驚くほど良く通る女声が、酒場内を駆け巡った。


 いや……蹂躙したと言うべきか。

 たった一言で、あれだけいきり立っていた客達が押し黙ってしまった。


 何者だ……?


「大勢で少人数を苛めるように威圧する……そういうの、好きじゃない。度し難い、って言うのかしらね。この感情は」


 勿体振ったような言い回しで、その女性は椅子から立ち上がった。

 客の一人だったらしい。


 にしては、酒場が全く似合わない格好をしている。

 水色を基調としたドレスのような服は見るからに高級素材で、装飾品の数も多い。でも全てシンプルなデザインだから下品な印象は全く受けない。

 髪は明るい金髪で長さはミディアムで、編み込みが上品さを醸し出している。顔立ちは凛としていて目付きは鋭く、睫毛が凄く長い。


 一言で言えば……ご令嬢。

 ただし気の強さをそのまま表情に出していて、お淑やかな印象はない。


「お、おい。あの女……」


「ああ。顔つきも服も前と全然違うみてーだが……フレンデリアで間違いねー」


 フレンデリアって名前らしい。

 なんとなくお嬢様っぽい。


「この場は私に預けて頂戴。私も冒険者ギルドには言いたい事の一つや二つや三つや四つ、んー……八つくらいあるけど、ここで憂さ晴らしみたいにして彼等にぶつけるのは違うと思うの。そんなの弱い者イジメじゃない」


「なっ……」


 ザックザック君とその仲間の顔色が露骨に変わる。そりゃそうだ。レベル60の冒険者を弱い者呼ばわりじゃ、とてもフォローに入ったとは言えない。

 でも、恐らく彼女は敢えてそれを口にした。この場を収める為に。『私はこいつらの肩を持っている訳じゃないの』と示す事で公平性をアピールし、発言に客観性を持たせたかったんだろう。そうでもしなけりゃ、野次馬達は納得しそうにないからな。


「……ま、確かにな」


「俺たちゃ弱い者イジメはしねーよな。冒険者じゃねーんだからよ」


 酒場内にどっと笑いが溢れかえる。

 それを、ザックザック君達は震えながら耐えていた。


 いや――――


「フザ……けるな」


 耐えきれなかった。


 でしょうね。そこそこイケメンでレベル60。笑い者にされるのに慣れてる訳がない。


「えっ、何?」


「フザけるなぁ……フザけるなぁ……フザけるなぁああああ! うふぅ……ふぅ……わぁぁ……うわぁああうわあああブッ殺す! 殺害してやるぁあああああ!!!!」


 うわビックリした! これは想像以上のキレっぷり。

 発狂だよ、ギラギラしてるよ。

 髪が逆立ちそうな勢いだ。


「えっなんで!? 私何か悪い事言った!?」


 ……あれ?

 もしかしてあのお嬢様、意図的に言ったんじゃなく単なる天然?


「笑った奴全員殺す! 一人残らず殺してやる! 弱者だと!? この僕が!? イジメ!? はあ!? ナットニア地方を支配していたカトブレパスを倒したのはこの僕だぞ!? ヴァルキルムル鉱山に巣くっていたマンティコアの群れを殲滅したのも、ガガーダンの液胞を浄化したのも僕の功績だ! そんな僕が、レベル60のこの僕が一山幾らの荒くれどもにイジられる!? 何それ何それ! 信じらんない信じらんない!!」


 凄い勢いで人格が変化してるけど……これ大丈夫?

 っていうか、この街の男連中総じてヤバいよな。それに引き替え、俺すっごい平凡。平凡過ぎて逆に非凡。何それ何それ。

 

「嫌だ……こんな現実……全部壊してやる……僕ごと全て何もかも……」


「ちょ、ちょっとザック! まさかこんなところで自爆する気!?」


 ……今、ポニテの女性がとんでもない事口走りましたよね?


「なあコレット。まさかとは思うけど、あいつ自爆のスキル持ってる? っていうか自爆って出来るの?」


「いや……そんな話は聞いた事ないけど。そもそも私、他の冒険者の事そんなに深く知らないし……」


 あ、これぼっちには聞いちゃダメなやつだった。ぼっちにはぼっちの気持ちはわかるけど、ぼっちへの配慮は行き届かないんだよな。これぼっちあるある。


「アンタ、なんて事言うのよ! ザックは元々イジメられっ子で、努力してここまで強くなったの! トラウマ抉られたら自爆するに決まってるでしょ!?」


「えっ!? 私そんな罪深い事言っちゃった!? 私またやらかしたの!?」


 ……この期に及んでまたピンと来ていないらしい。なんだろう、この微妙にイラッとする感じ。俺の心が狭いんだろうか?


 っていうか、もう実況してても仕方ない。逃げないと。


「ルウェリアさん! 早く! コレットも!」


「ふえっ!?」


「そ、そうだね。巻き添え食らう前にここを離れないと――――」



「その必要はないわ」



 不意に聞こえて来た、冷たく、そして耳に食らいつくような声。

 これも女声だった。

 今まで聞いた誰の声でもない。


「魑魅魍魎の夢の跡。幻想郷のなれの果て。今ここで爆ぜ交わらん」


 意味不明の言葉が紡がれ、そして――――



「帰結せよ。【プライマルノヴァ】」



 次の瞬間、酒場全体に心臓の鼓動のような音がこだました。


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