第3話「俺はただの詐欺師の悪人」
「結局渡したんだな、薬」
フーレンの隣にしゃがみ、顔を覗き込みながらシュイロンが言う。少年と会話をしている間は割り込んでこなかったのは、シュイロンなりの気遣いなのだろうか。いや違うな、人間同士が話しているのを外から眺めて愉悦に浸ってただけだなと思い直す。
「違う。あれは、あいつの労働に対する正当な対価だ」
シュイロンは右に首を倒し、
「ふぅん?」
「水筒に関しては、大人から子供への当然の配慮。こんな暑い中水も持たず歩いて帰るなんて、熱中症にでもなられたら寝覚め悪いだろ」
今度は左に首を倒し、
「ふぅん?」
にやにや笑いながらフーレンを見つめ続けた。しゃがんで顔を覗き込んでいるくせに、やっぱり地面に足がついていないのがなんとも気持ちが悪い。しかししゃがんでくれたおかげで大分目立たなくなったからか、シュイロンに気付いて立ち止まる人間はほとんどいなくなっていた。それだけは本当に有難かった。絶対に礼など述べたくないが。
「……何だよ、言いたいことでもあんのか」
「べっつにぃ。ただ、やっぱりお前商才なさそう。いい奴すぎて」
いい奴、か。
フーレンは鼻で笑ってしまった。不思議そうに、シュイロンがさらに覗き込んでくる。普通の人より少し尖った耳についた、三叉の槍みたいな形の耳飾りが、しゃらと音を立ててゆれた。
「別にいい奴じゃねえよ。むしろ逆。俺はただの詐欺師の悪人」
人通りの多い雑踏で蹲み込んでいるとはいえ、誰に聞かれているかわからない。フーレンは小声でそう告げた。驚いた顔も怪訝そうな顔もせず、ただただ先ほどと同じ、上機嫌そうな笑顔のままシュイロンは答えた。
「そーかー?」
「そうだよ。俺は、薬師じゃない。死んだ親父の薬の本を勝手に読んで、その記憶を頼りに適当に材料集めて適当に調合して売ってるただの詐欺師だ」
「そのわりに、お前の薬は良く効くと評判のようじゃないか」
「あれは、俺の薬が効いてるからじゃない。俺の言葉が効いてるからだ」
「ほう」
「人間、横になって三日間くらい休んでりゃ大抵は治る。そうできない環境で無理するから長引くだけで」
だから、あの少年にも「お前が手伝ってお母さんを休ませてやれ」と言った。
きっと母親は赤児が生まれたばかりで、とても休める環境ではなかったのだろう。まだ夜に何度も起きて、睡眠も十分に出来ない。けれど家のことも育児も待ったなしだ。だから悪化してしまったのだろう。
もっとも、あの少年は「母親の具合が悪くなって二日経った」と言っていた。リンチュァンの薬屋の薬も飲んでいただろう。何もしなくても、今日明日には母親の熱は下がっていたかもしれない。俺は必要が無い薬を、あの少年の小遣いの五百ルゥンで売りつけた、極悪人ということになる。
一箇所に留まらず旅を続けているのだって、俺の薬が全く効かない、もしくは材料や調合を間違えていてとんでもない副作用があったときに糾弾されたら困るからだ。
「いい奴」なんていう評価、完全に間違っている。
「三日休んで治らなきゃ、怪しい薬屋が売ってるような薬独断で飲んでないで、さっさと医者に診てもらえって話だよ」
ふぅん、とやはり、興味がありそうななさそうな返事を、シュイロンはフーレンに返した。響いているのかいないのか、全くわからない。
そもそもこいつ、ちゃんと俺の話を聞いているのか。多少会話が成り立つところもあるものの、なんだか全てが暖簾に腕押しで、全く手応えがない。
「……なあ、神の器っていうのは」
フーレンは、あえて相手の乗りそうな話題を口にした。すると、今までの表情を一転させ、金色の瞳をキラキラと輝かせ、
「うんうんうんうん」
きゅっと自分の足を抱きしめて、シュイロンはフーレンに話を促す。
あっこいつ意外と分かりやすいやつだ。自分の興味のある話題にはめちゃくちゃ食いつく。
……つまり、何か。今までの話は、とりあえず話題を振っていたものの一切興味が無かったってことか。なんだかさらに疲れが増した気がする。
「お前の伴侶になって、この国のやつらのために、災厄と戦う。……そういうことだよな?」
「んーまあそうだな。なんだ、興味わいたか? お前商才無いもんな。本物の薬屋じゃないもんな。人を騙していることへの良心の呵責がしんどいもんなー?」
悪気は全くないのだろう。シュイロンは今までで一番楽しそうに、まるで歌うような声色で人の胸をぐさぐさ刺してきた。
今までの話を、そういう風に受け取っていたのか。確かに、全部が全部間違っているわけではない。むしろ当たっている。だからこそ、神ってやつは人の心が分からないのだろうか。少なくとも、今話していてもこいつの伴侶になりたいなんて思いは全く生まれてこない。一事が万事こうやって全く人のことを省みずずかずかと踏み込んで来られるなんて、たまったもんじゃない。
「いいや。……もうついて来られたら迷惑だから、ここらではっきりさせとく」
柳行李を背負い、立ち上がった。おっと、なんて言いながら、シュイロンもフーレンに合わせて立ち上がる。相変わらず、足は地についていない。
思えば最初からこれが嫌だった。いくら飛べるからと言って、地に降りられないわけでもないだろうに、お前と俺とでは立場が違うとでも言いたいのか、ずっと宙に浮いたまま。人と視線の高さを合わせようとしないし、見ようとするのは表面的な顔ばかりで、表情や中身なんて何一つ見ちゃいない。
神とはこんなに身勝手なものなのか。それなら俺には、そんなもの必要ない。
「いくらお前に器になれと言われても、どんなに今の仕事が向いてなかったとしても、これは俺がやりたくてやってることだ。俺は、俺のために生きると決めてる。結婚して伴侶のためにとか、器になってシャンチャンの民のためにとか、そういうのは……やりたいやつがやればいい。俺には無理だ。絶対に嫌だ」
市井の男にここまではっきりと否定をされたことなど今までで無いのだろう。俺だって神様なんてやつに正面切って喧嘩売るつもりなんて毛頭なく、逃げたり無視したりで、出来るだけ波風立てずに終わりにしたかった。でもそれではこいつはきっと俺のことを見逃してはくれないだろうし、もしこれで天罰が当たるようなら望むところだ。言いたいこと、言わなきゃいけないことはきちんと言った。
さすがに閉口したらしい。形のいい薄い唇をへの字に曲げて、押し黙った。目は大きく見開かれ、わざとらしいほどにぱちぱちと二、三度瞬かせている。そのたびに長い紺碧の睫が、まるで鳥の羽みたいにふぁさふぁさと揺れた。
二の句を告げずにいるシュイロンを見て、ふんっとフーレンは荒く鼻から息を吐くと、顔を背けた。
「それに、どれだけ器になれと言われても、俺は絶対的に条件に合わないしな」
「……条件……」
顔を背けたフーレンからは見えなかったが、シュイロンはそうぽつりと呟いた後、顎に手を当て、黙り込んだ。
神に接するには、条件がある。浅学で一般常識が欠けているとよく言われるフーレンでも、そのくらいは知っていた。
女性が穢れの時期になるべく社に近寄らない方が良いのと同じように、神に接する立場の者には一度踏み越えてしまうと覆らない、絶対的な条件があるのだ。特に、神の器、伴侶になるものには、それが強く求められるだろう。
俺はそこから、外れている。
「だから、お前に何をどう言われても、俺は器にはなれないんだよ」
だからいい加減諦めろ。そう言おうと口を開き、
一瞬、呼吸が止まった。視界がほんの一瞬だけ、真っ黒に染まったからだ。そして心の臓が、外に聞こえるのではないかというほどに、大きな音を立てて跳ねた。
背筋に冷たい物が走り、指先から肩までぞわぞわと何かが這い上がる感覚。肌という肌が粟立って、もはやしびれているに等しい。
――来る。
向こうから何か、とてつもなく、嫌なものが。絶対的にかなわない、すべてを食らいつくす、大きな存在が。
「……な、んだ……?」
できれば息を吸いたくない。思わず手で口をふさぐ。別に色や匂いがあるわけではない。けれど急に空気が重々しく、不味く感じた。周りを見回してもほかの通行人には何も感じないらしく、先ほどまでと変わらない雑踏がそこにはある。
なのに、
「お前、カンが良いな。……そう遠くは無い」
自分の隣にいる神、シュイロンだけは、大きな琥珀の瞳をほんの少しだけ細め、何かが来る方向を睨んでいた。先ほどまでとまるで違う、威圧感さえある表情に、思わず生唾を飲む。
ああ、本当にこいつは、神なんだ。
その横顔だけで、思い知った。こんな恐怖を覚えるほど完璧な、美しい以外の形容詞を与えられない横顔を持つものが、神でないはずがない。別に何かの力を表しているわけではないのに、表情だけで、こんなにも周りに畏怖を与えるものなのか。
そして、その神が睨む存在。
「……まさか」
「ああ。……災厄が出たな」
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