第14話 竹林にて君を待つ
いたい。くるしい。さむい、かなしい、さみしい。
じくじくと痛む傷跡を抱えた小鳥が、竹やぶを見上げるようにして倒れている。血の匂いを嗅ぎつけたからすたちが、小鳥の死を待つように上空を旋回していた。
どこかの手癖の悪い式神が、すれ違いざまに小鳥を攻撃してきた。必死になって応戦したが、精霊としては未熟な小鳥は、一方的にやられたまま、こうしてひとりぼっちで死を迎えようとしている。
乾いた枯れ葉を踏みしめる足音が聞こえた。からすだけではなく、犬猫もこのちっぽけな小鳥の死を狙っている。小鳥はせめて一矢報いてから死んでやろうと、そのくちばしを高々と空に突き上げた。
「おや、生きている」
それは人の声だった。
柔らかな声音は、小鳥の最後の覇気を呆気なく砕いてしまう。
包み込むような、慰撫するような。世の中の酷いもの、汚いものをたくさん見てなお、優しさを保ち続けてきた者特有の、芯の強さがある声だった。
「お前は精霊だね。こんなに酷いけがをして、かわいそうに……。うちの竹やぶに舞い込んできたのも、何かの縁だろう。おいで」
暖かな手が小鳥をすくい上げる。食事をしそびれたからすたちが遠くへ去ってゆくのを、小鳥はどこかよそ事のように見上げていた。
小鳥をすくい上げた男の名は野見山七生といった。
野見山家は一帯に竹林の加護が及ぶ名家で、そこで暮らすうちに、小鳥はあっという間に回復していった。
「七生。この恩をどう返してよいのか、私には分かりません。私をあなたの式神にしてはくれませんか。この命をあなたのために使いたい」
「うん? お前は律義な鳥だねえ。いいんだよ、あの時お前を助けたのは、俺の我がままなんだから。あの時死んでいた方が、こんな浮世を生きるより、よほど良かったかもしれないよ」
おどけて言う七生。彼は腕の立つ陰陽師で、戦火の匂い漂うこの国で、昼も夜もなく駆けずり回っていた。彼の使役する式神は、数こそ少なかったが精鋭ぞろいで、確かに小鳥の入る余地はなかったかもしれない。
誰よりも早く駆ける鹿。主の窮地を救う狼。けれどどの式神よりも、小鳥の闘争心を掻き立てたのは、主人が時折飛ばす伝書鳩だった。自分はあの鳩よりも早く届けることができます、と大真面目に訴えたら、七生は腹を抱えて笑っていた。
「ならばせめて、私にあなたのお世話をさせて下さい。あなたが好きな料理は、その、私には難しいですが……」
「いやいや、雀に台所仕事をさせるほど人手に困っていないから、大丈夫だ。そう気を遣わなくてもいいよ、青磁。俺はお前がここにいるだけで、結構満足してるんだ」
青磁。小鳥が七生からもらった素敵な名前。命を救ってくれただけではなく、見事な名をもらった恩返しをしなければ。
そう訴えると七生はちょっと笑った。
「そうだな、お前の精霊としての在り方は、舌切り雀の逸話に引っ張られているんだろう。ちっぽけな小鳥を精霊にして、式神にするには、昔話のような集合意識を核にする必要があったから。だからそう恩返しにこだわるのだな」
「舌切り雀、ですか。私ならば、小さなつづらと大きなつづらなんて用意しません。どちらにも金銀財宝を詰めて、ぜんぶあなたに差し上げます」
「それじゃあ昔話にならんなあ。それに俺は金銀財宝より、つづらいっぱいのたけのこご飯の方が嬉しいな」
「黄金よりご飯がいいのですか? やっぱり七生は食い意地が張っている」
くっくっと笑う七生は、それでも青磁との他愛ない会話を楽しんでいるようだった。
だが戦況はどんどん悪くなってゆく。
野見山家に嫁に来た娘は、花嫁衣裳さえ許されず、それでも精いっぱいの装いで七生の側に座っていた。頭に白い木蓮を飾った嫁との初夜でさえも、七生は仕事の呼び出しで、慌ただしく家を出て行った。
幸いなことに、七生の嫁は陰陽師の家に嫁ぐことの意味を理解している娘だった。七生自身が彼女を大切にしたということもあるが、彼女は七生の置かれた状況をよく呑み込み、家を守った。
「とはいえ、もう少しあの子と一緒にいる時間を持てたらなあ……。あ、青磁そっちには多分ないぞ」
嫁をもらって、ふた月ほどたったある日のことだった。青磁は七生と共に、蔵で探し物をしていた。
「確かばらして桐箱にしまったと思うんだが」
「では私は上の方を見てみましょう」
軽やかに羽ばたいて、蔵の二階へ降り立つ青磁。
りん。
「……?」
どこからか鈴の音が聞こえる。青磁は耳を澄ませ、音の方へぴょんぴょんと飛んでゆく。それは蔵の端の方に積まれた、小さな桐箱から聞こえてくるようだった。
もしかしたらこれが七生の探し物かもしれない。そう思った青磁が、箱をちょんと突いた瞬間だった。
「……あっ!?」
体の中心に、ぞぶり、と熱い球をねじ込まれたような感覚がした。自分ではないものが体内に侵入し、熱を放っている恐怖感。
「これ、は……!」
青磁は目を疑った。目の前に浮かび、りんと鈴の音を鳴らしているのは、糸切りばさみだった。けれど普通のはさみではない。それは神威すら帯びて、ちっぽけな精霊である青磁など吹き消してしまいそうなほどの迫力を持っていた。
だが、青磁は直感していた。
自分とこのはさみは、強く共鳴し合っていると。
思わず糸切りばさみに手を伸ばす。
手? そうだ、手だ。青磁の小さな翼は人間の手になり、ふっくらとした腹は、男の骨ばった腹になる。か細い足は今や大地を踏みしめ、くちばしは桃色の唇へと変じていた。
「青磁? おい、大丈夫か……ありゃ!?」
上がってきた七生は、驚いた顔で突っ立っている全裸の男を見て、ぎょっとしたような顔になった。青磁は訳が分からない様子で、七生の名を呼ぶ。
「七生、七生! 妙なところから声が出ます」
「うん、お前、人間になってるもん」
「人間? まさか、私はしがない雀で」
七生は側にあった古い鏡台の覆いを外し、青磁に向ける。
そこには、黒黒と濡れた瞳を持つ、美しい青年の姿があった。
「これ! だ、誰ですか!?」
「だから、お前だって」
「し、しかもこのはさみ、なんなんですか。私から離れない……」
七生は青磁の手のひらに載せられたはさみを見下ろす。
「ははあ。そりゃあうちの曾祖父の曾祖父が打ったはさみだわ」
「それは……ゆ、由緒正しいものなのでしょうか?」
「いいや。だが、針仕事をする妻のために、必死になって打ったはさみだと聞いている。そしてその妻が縫った服は、悪縁を退けるとも言われていたそうだよ」
「あ、な、七生、はさみが……」
糸切りばさみは、青磁の手のひらに吸い込まれていってしまった。手を振ってもつねってみても、出てこない。
うろたえる青磁とは対照的に、七生は面白そうににやにやと笑っている。
「こりゃあ、気に入られたな」
「気に入られた? は、はさみにですか?」
「前に言っただろう、お前が舌切り雀の逸話に引っ張られていると。舌切り雀の話では、ばあさんが雀の舌を切るのに使ったのは、この糸切りばさみだ。だからこのはさみは、お前を同じ種族だと見なしたんだろう」
「そんな……困ります。それに私はなぜ人間の姿に?」
「このはさみはもう付喪神に近い。それを吸収したから、精霊としての格が上がったんだろう。ただのはさみとはいえ、陰陽師が作ったものだし、百年以上の年月が経ってるからね」
七生は素っ裸の青磁に半纏を被せると、悪戯っぽく笑った。
「ちょうどいい。この広い家に嫁さん一人じゃ、ずいぶん不用心だと思ったんだ。俺の式神として、家の面倒を見てくれよ」
「は……はいっ!」
「間男はすんなよ。お前綺麗な顔してるからなあ」
苦笑交じりに言われた青磁は、むっとして
「七生の嫌がることは、絶対にしません」
「頼むぜ。さて、文字通り手が増えたから、探し物も楽になるな。さっさと幣串見つけて家に戻ろう。すいかを冷やしてあるんだ!」
「はい!」
晴れて七生の式神になった青磁は、野見山家の警護を任されるようになった。配給を取りに行ったり、その頃はもう妊娠していた七生の妻の面倒を見たり、小間使いのような仕事だったが、楽しかった。七生の役に立っているという実感があった。
ただ、一つだけ難があるとすれば――。
「大変だ、青磁、俺の人生の中で一番の焼き芋ができたかもしれん……!」
「口の端についていますよ。行儀の悪い」
「こんな甘くてしっとりほくほくな焼き芋を焼いてしまうとは……。俺は陰陽師じゃなくて焼き芋屋になるべきだったのかもしれん。見なさいこの断面を。絵に描いて残したいくらいだ全くもう俺は天才だな?」
そう言って七生は、焼き芋の切れ端を青磁に差し出す。青磁は顔を曇らせて、
「式神に食事はいりませんよ。それに、今は食料が貴重なのだと聞きました」
「何言ってんだよ、俺一応陰陽師だし、ちゃんと食料がもらえるようになってるんです。いいからほら、食べな」
青磁は両手で芋を掴むと、はむ、と齧った。
きっと美味しいのだろう。主である七生があれほど言うのだから。
――けれど、青磁には味が分からない。噛んでも舐めても分からない。
「……ごめんなさい。きっと美味しいのだと思います。ですが」
「分かってる。でもなあ、お前にそう言わせてしまうって分かっていても、美味いものがあれば、やっぱりおすそ分けしたいんだよな。これは俺の我がままだが」
「いえ」
七生がいつも自分と同じものを分けてくれることは、青磁も嬉しい。
けれどその味の感想を言えないのが辛かった。舌切り雀の逸話に引っ張られている青磁の舌は“ない”。口を開けてもそこに舌らしきものはないのだ。
だから、食べ物の味が分からない。
雀だった時も喋ることはできていたから、舌がないことで喋れないということはない。普通の式神としては全く問題がないはずなのだ。
けれど七生は食べるのが大好きだ。家族と食卓を囲み、縁側でおやつを頬張る、そんなときの彼の顔はいつも子どものように輝いている。
だから、いつの頃からか、青磁は思うようになった。
味の分かる舌が欲しい。七生が美味しいというものを食べて、美味しいと感じてみたい。甘さとはどういう感覚なのだろうか。白米に塩を振っただけのおにぎりを、野見山家の家族が、美味い美味いと言って頬張るのは、どうしてなのだろう。
「……いや、意味のないことだな」
青磁はふっと笑い、縁側から自分を呼ぶ七生の方へと歩いて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます