第12話 子狐の式神
その客は玄関から手土産を持って現れた。
「弓削と申します。青磁さんにお目通り願えますか」
ひよりと青磁が客間に案内すると、流れるような仕草で座布団の上に座った。和室で生活し慣れている者の所作だ。
「こちら、つまらないものですが」
弓削は指先までひたりと揃えて、仙太郎と書かれた紙袋を差し出した。ひよりは恐縮しながら紙袋を受け取った。
三十代くらいだろうか。きっちりとスーツを纏い、髪をセットし、一分の隙もない大人という印象だ。少し冷たい印象を受けるのは、目が少し吊り上がり気味だからだろうか。
青磁の名を知っている人間ということは、陰陽師だろうか。だとしたらとんでもないやり手に違いないとひよりは思う。
青磁は自ら淹れた茶を出すと、静かに尋ねた。
「それで、ご用件は」
「式神の縁切りをなさっていると聞いた。私の式神との縁を切ってもらいたい」
「それはつまり、あなたの式神は、あなたとの契約を絶つことを嫌がっている、という理解でよろしいでしょうか」
「そうなります」
要するに、人間はその式神を解雇したいが、式神はそれを嫌がっているということだ。ひよりはまた少し切なくなる。
嫌がるものを無理矢理断ち切る必要なんて、あるのだろうか。人間の都合で、いらないからと切り捨ててしまうのは、あまりにも自分勝手なのではないだろうか。
もやもやするひよりの様子など意に介さず、弓削は自分の式神を呼ぶ。
「出てこい、小狐」
それは一人の少年だった。甚平を纏い、くりくりと茶色い髪の毛が愛らしい。
だがその頭には、ふわふわした耳が生え、お尻には美しい毛並みの尻尾があった。人間になりそこなった狐、という感じだろうか。
恥じ入った様子で、畳の上に直接正座する式神に、ひよりは思わず座布団を薦めた。
「あ、あの、よければこの座布団、使ってください」
「結構。使えぬ式神にもてなしは不要です」
弓削の言葉は鋭利な刃物のよう。それは式神の心だけでなく、ひよりの心にも突き刺さる。
有能でない者は、丁寧な扱いを受けることさえかなわないのか。
青磁は目を細めて弓削を見る。
「この家にいらした以上、皆お客様です。座布団をどうぞ。茶も持って来ましょう」
「……そういうことならば」
小狐は弓削の顔色を伺いながら座布団に座る。青磁が使役する雀たちが、茶碗を入れた籠を持ってぱたぱたと台所の方から飛んできた。
その様子を見、弓削が口の端を吊り上げる。
「断ち切りばさみ。雀。……なるほど、これならば確実に縁を断ち切って頂けそうだ」
鈍いひよりにも分かる、嫌味っぽい言い方だ。人に対して「嫌い」と思ったことのないひよりだったが、弓削に対してだけは妙な敵意を抱かされた。
「あの……主様。やっぱり僕は、いらない式神なのでしょうか」
「同じ問答をよそ様の前でする気はない。聞き分けろ」
「でも、これからもっと頑張ります。修行もしますし、術の訓練もします、主様のお口に合うお茶を淹れられるようにしますから、だから……!」
「そういう問題ではない。お前の性質が、そもそも私に合わないのだ」
そう言って弓削は青磁の方を見る。
「弓削一門と言えばあなたにも分かるはずです。私たちは卜占に長けた一族であり、その占いの内容を巡って、日々張りつめた生活を送っている。だと言うのに、この小狐ときたら、放っておけば本を読み、いらないものばかりを引っ張り出しては騒ぎを起こす」
「……卜占の才能があったから、彼を式神に引き立てたのでは?」
「いいえ、志願してきたのです。私の式神になりたいという彼の心を汲んで、一時は式神に召し抱えましたが、勘所を掴む力が弱すぎる。卜占には向いていない」
小狐の肩が震える。自分のふがいなさを、他人の前で言われてしまうのは、どれほど悔しくて恥ずかしいことだろう。
ひよりの心がつきんと痛む。どういうわけだか今日は、この式神にひどく感情移入してしまう。ともすれば、自分を重ねてしまいそうになる。
何にもできない自分。誰の助けにもなれない自分に。
「向いていないのでしたら、仕方がない」
「えっ?」
ひよりは思わず顔を上げて青磁を見た。
彼は既にあの糸切りばさみを取り出している。
「青磁さん、縁切りするんですか」
「それが仕事ですから」
食い下がろうとするひよりを、青磁は目線で制した。その眼差しの冷たさに、今回ばかりはどんな懇願も通用しないのだと悟る。
小狐は、観念したように背筋を伸ばした。それでもその口元は震え、今にも泣きだしそうに顔を歪めている。
「僕は、主様に憧れていました。僕もあんな風に未来を予知して、人の役に立てたらって……。あんな風に悪いものを退治して、皆を助けられたらって、思ったんです」
少年はそう言って、ふふっとか細い声で笑う。
「でも、だめでした。卜占に必要な才能が僕にはないし、そもそも高度な術を操れるだけの力もない。頑張ったけれど、全然だめでした」
諦めたような口調がひよりの胸を締め付ける。
才能もない。力もない。頑張ったけど、だめだった。
――そんなことを、言わせたくなかったのに。
小狐の悲しさが伝染し、ひよりも泣きたい気持ちになってくる。やっぱり縁を切るのは少し待って欲しい、と言いかけた時だった。
弓削が吐き捨てるように言ったのだ。
「私はもうお前の主ではない。主と呼ぶのはやめなさい」
何かがことりと音を立てた、ような気がした。
ひよりは立ち上がると、小狐の体を抱きかかえて部屋を飛び出した。待ちなさい、と制止する声は青磁のものか、それとも弓削のものだったのか。
分からない。ただ必死になって玄関まで走って、サンダルを突っかけて、家を飛び出した。
「お姉さん」
腕の中の小狐が途方に暮れたように呼ぶ。ひよりは答えない。ちょうどやってきたバスに飛び乗って、スマホの電子マネーで運賃を払った。
のろのろと座席に座る。小狐は大人しく抱かれたままだ。ただ、時折気遣わし気にひよりを見上げてくる。
ひよりは黙って車窓を流れる景色を見つめていた。
バスが駅に着くころには、さすがのひよりも思考力を取り戻しつつあった。
かなりまずいことをした。どうして衝動的に式神を連れ出してしまったのか。いや理由は何となく分かるのだが、これでは青磁の顔に泥を塗ったも同然だ。
しかし、このまま帰ればこの式神は、主から無理やり縁を切られてしまうのだろう。ただ向いていないだけなのに、使えない式神と言うレッテルを貼られて。
そんなのは嫌だ。
「お姉さん、どうするの」
小狐が尋ねる。ひよりは駅の改札にある路線図を見上げる。
調子が悪そうだったけれど、小夜子の家にでも転がり込もうか。けれどその場合、この小狐をどう説明するべきか。
「……あ」
ひよりの脳裏を、ある人の言葉が過った。慌ててポケットのスマホを取り出す。
スマホとスマホケースの間に忍ばせていたのは、あの弦狼堂の名刺だった。
*
木の上でチェシャ猫よろしく昼寝をしていた土地神は、その知らせにけらけら笑った。
「へえ、ひよりが式神をさらって逃げ出した?」
面白そうに言う石蕗とは対照的に、青磁の顔はひきつっている。
「やるじゃないか。あの小娘、ああ見えてなかなか骨太だな」
「どこが骨太だ! 様子がおかしいと思っていたが、あんな馬鹿げた行動に出るなど!」
「まあまあ。たまには反逆も必要だ」
「悠長なこと言いやがって、このド腐れ土地神が」
「お、今の物言い、ひよりにも聞かせてやりたいねえ。どうせあの小娘は、お前のことを礼儀正しいスマートな奴だと考えてるだろうからな」
「七生は粗野な物言いを好まなかった。ひよりもそうだ、だからそれに合わせていただけのこと」
「献身的なんだか不誠実なんだか分からんな」
ぞっとするほどの美貌に嘲笑を浮かべ、石蕗は青磁を見下ろす。手負いの虎のように木の下をうろうろする式神は、なかなかの見ものだ。
「あなたの所にもいないなら、一体どこへ行ったんだ? 式神を抱えて頼れる場所などないだろうに。ああそうだ天気予報は雨だった、もうじき降るんじゃないか?」
「降るね」
「ひよりは財布を持って行っていない! 傘を買う余裕なんてないのに」
青磁の脳裏に、雨に打たれてべそべそ泣いているひよりのイメージが浮かぶ。濡れた段ボールの中できゅんきゅん鳴いている捨て犬のイメージと、ほとんど変わらない。
「落ち着けよ。スマホは持ってったんだろう? じゃそこにいくらかの電子マネーが入ってるかも知れないし」
「電子マネー? ああ確かに、携帯電話があれば買い物もできると言っていたが」
「それなら大丈夫。あれだって子どもじゃないんだ、雨が降ったら雨宿りするくらいの分別はあるだろう。……あるよな?」
「口を慎めよ。ひよりを馬鹿にしていいのは私だけだ。……そうか、金を持っているなら、駅の方に行った可能性もあるな」
青磁の懐から、おびただしい数の雀が飛び出す。
「駅の方を探せ。何かあったら知らせなさい。――玉木薫のことでひよりが狙われているかもしれない今、座して帰りを待ってはいられない」
雨の気配を含んだ、重苦しい大気の中を、小鳥たちはいっせいに飛んでゆく。
その後ろ姿を、ほとんど睨みつけるようにして見つめている青磁。
石蕗は苦笑し、
「お前は相変わらず主のことが見えてないねぇ」
「……なんだと?」
「ひよりを探すのも無論大事だが、見つけてどうする? 説教でもするか? 人の仕事の邪魔をするなと」
「いや――そんなつもりは、ないが」
「お前が今考えるべきは、ひよりの居場所じゃなくて、なぜひよりが式神を連れて家から飛び出したのか、じゃないのか」
「……」
青磁は視線を落とす。染み一つない足袋の先端に、ぽつんと雨粒が落ちる。
「七生がなぜ、お前を井戸に閉じ込めたのか。ひよりはなぜ、式神を連れて家を飛び出したのか」
「……理由は同じだと言いたいのか」
「いいや。俺が言いたいのは、予兆はあっただろう、ということだ」
「私の目が節穴だと」
「そうじゃない、違う。――かしずいているだけでは見えないものがある、ということだよ。お前の主たちは、どうしてそういう行動に至ったのか。一度じっくり考えてみてもいいんじゃないか」
そう言うと石蕗は木の上から飛び降りる。そして何気なく尋ねた。
「最近、ひよりは料理を楽しんでいたか?」
青磁は弾かれたように顔を上げる。
出会ったときは、青竹を握り締めて、これでたけのこご飯を炊くのだと誇らしげに言っていたひより。何品もおかずを作っては、テーブルいっぱいに並べていた主。
今は台所に立っても、簡単なものしか作っていない。青磁がいなければ、何も食べていない時もあるだろう。
石蕗は自分の問いかけが正しく青磁に届いたことを見届けると、本殿の方に足を向けた。
「一雨くるぞ」
「……ああ」
勢いよく落ちてくる雨粒が、乾いた石畳に染みを作る。
式神を抱えて飛び出していったひよりの、くしゃりと歪んだ表情を思い出す。
あの顔は、青磁を封じた井戸を閉める直前の、七生の顔そっくりだった。
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