第4話 瀧宮家の式神
どうやら縁切り屋というのは、唯一無二の仕事らしい。競合相手がいない、とでも言おうか。青磁が独占している状態で、そのために客が途絶えずやって来た。
内容は様々だが、術を間違えて式神との契約状態が絡み合ってしまったので、それを無効にしてほしいという依頼が多かった。青磁に言わせれば『技術的な過ちの尻ぬぐい』だ。
それにしても、とひよりは授業のさなかにぼんやりと思う。
どうして青磁はあんな井戸に閉じ込められていたんだろう。
それに、あの大きなはさみ――あれは、まるで神さまの持ち物のような気配を放っていた。あれはいったいどこから来たのだろう?
そもそもひよりは、青磁の縁切りをぼんやりと眺め、すごいすごいと言っているだけだが、自分の無知が、青磁の足を引っ張っていないだろうか。
悩んでいたひよりの頭に、一筋の光明が差し込む。
「……あ、そっか」
青磁本人に尋ねてみればいいのだ。
難しいことはない。ひよりがこうして唸りながら考えているよりは、よっぽどためになるだろう。
そう思って大学から意気揚々と帰宅したのだが、生憎と青磁は不在だった。埼玉の方に出張に出かけるという書置きがあって、なんだ、と拍子抜けする。
のんき者の悲しい性で、やる気が持続しない。あれほど聞くぞ聞くぞと身構えていたのに、青磁の不在で、すっかり炭酸の抜けたジュースのようになってしまった。
夕飯は野見山家特製オムライスにした。牛ひき肉だけで作る簡単なチキンライスに、ピーマンを刻んで混ぜたオムレツを乗せるという、ちょっぴりずぼらなメニューだ。
けれどそれも平らげてしまうと、手持無沙汰だ。
「もう寝ようっと」
ひよりの寝室は、きちんと額に入った映画のポスターで飾られている。鮫だの怪獣だのが大口を開けている構図ばかりなのだが、部屋の主であるひよりには、その微妙な違いがたまらないらしい。
新生活の疲れもあったのだろう。ひよりはすぐにうつらうつらし始めたが――。
その耳が小さな足音を拾う。忍び足のつもりだったのだろうが、野見山家の廊下はうぐいす床並みにうるさいのだ。
青磁ならこんなに足音を殺さない。こみあげてくる恐怖を飲み下し、高鳴る心臓の音をどこか他人事のように聞きながら、ひよりはゆっくりと起き上がる。
その瞬間。
視界の端でぎらりと何かが光る。それが何なのか考えるより前に、金色の光を帯びたそれが急接近してくる。
「あ――」
敵意のない光だと思った刹那、ひよりの体を抱き寄せる強い腕を感じた。
誰かがチッと舌打ちする音が聞こえる。と同時に、光が遠ざかってゆく。
「誰だ! 顔を見せよ!」
青磁の声がすぐ上から響いてくる。ならば、後ろから自分をしっかりと抱いて離さないこの腕は。
ぱっと明かりがつく。青磁の巻き起こした風は、明かりのスイッチをオンにするついでに、逃げようとした侵入者の足元に絡みついた。
「ぷぎゃ!」
猫のくしゃみのような声を上げて、部屋の真ん中で転んだ少女は、こげ茶色のくりくりとした髪をしていた。
青磁はひよりのベッドの上で膝立ちになり、自分の主を掻き抱いている。ひよりはと言えば、青磁の力強い腕が、無防備な自分の胸元をしっかりと抱いていることに対して、ばくばくと心臓を高鳴らせていた。
「あ、あの、青磁さん」
「遅くなってすみません。間に合って良かった」
そう言って、ぎゅっと強く抱き寄せる青磁の手のひらの行き所が、気になる。今はパジャマで、胸元があまりにも無防備すぎで。
いや今はそんな場合ではない。ひよりは、ぶすっとした表情でこちらを睨みつけてくる少女に視線を移した。
十代前半ほどだろうか。金色に近いとび色の目が、活発な印象を与える。
髪を結わえた赤いリボンがひょこんと揺らし、少女は叫んだ。
「あたしの縁切りをやってほしいの!」
「なら深夜に窓から入るな。私の主を襲うな」
「襲ってなんかない! ただちょっと声をかけようか迷ってただけ!」
「どうだか。結界を超えられた以上、悪意があったわけではないようですが」
耳慣れない言葉にひよりが首を傾げる。
「結界ですか? うちにそんなものありましたっけ」
「私が作りました。商売をやるからには、防犯もしっかりしなければ」
「色々と考えているんですねえ」
「お前が考えなさすぎなだけです。今までよくそれで生き延びられましたね」
「悪運と体力には自信がありますからね!」
むんっ、と拳を作ってみせるひより。と、それを呆れたように見下ろす青磁。
珍妙な主と式神を見て、少女は呆れたように眉をひそめた。
「あんたの主、間抜けすぎじゃない? いかにも昼行灯って顔してるけど、ほんとに縁切りしてくれるのよね?」
「縁切りをするのは私だ。それに、ひよりが昼行灯なのと、私の縁切りの能力に関係はありませんから」
その言葉にひよりはほっと胸をなで下ろす。
「そうなんですね。良かったー、主の私がぼけぼけの素人でも、青磁さんはお仕事ができるんだ」
「そうですが、念の為に言っておきますと、昼行灯というのは悪口ですからね? そういう店屋物ではないですよ?」
「分かってますよ。言われ慣れてますから」
「慣れるな。少しは怒りなさい」
「こら、ちょっと、あたしの話を聞きなさいよね!? こっちはこんなに困ってるんだから、だって、ばあちゃんが死んでから、家から少し離れた場所までしか行けてないの! このままじゃ消滅しちゃうんだから!」
少女はいつの間にか立ち上がって、地団駄踏んで怒り狂っている。髪の毛が逆立って、赤いスカートがぶわりと揺れた。
少しどきっとするような覇気だが、青磁はそよ風が吹いているような顔で、
「不法侵入しておいて、話を聞けとは。躾のなっていない奴だ」
「でも、話くらいは聞いてあげましょうよ、青磁さん」
「は? 馬鹿ですかお前、慈善事業じゃないんですよ。何が悲しくて夜中に侵入してきた奴の話を聞いてやらねばならないのか」
「そ、そうかもですけど! 消滅しちゃうって言ってますし」
消滅とは穏やかではない。彼女が消滅しかかっているのに、青磁はその依頼を断ろうとしているのだろうか。
「青磁さん……だって、消滅しちゃうって言ってるんですよ? 話だけでも聞いてみましょうよ、ね?」
そう青磁に訴えると、彼は苦々しい顔で少女を睨んでいた。
そうして長いため息をつく。
「……はあ。分かりました」
そうしてひよりを腕の中から解放し、部屋の真ん中で立っている少女に向き直る。
「事情を話しなさい。縁切りできるかどうかは、それから判断します」
「うん、うん! あのねあたしね、瀧宮のお家の式神なの。それでね、ばあちゃんが死んじゃってから、どこにも行けなくなったの! ここに来るのが精いっぱいって感じ?」
それでねそれでね、と少女はいとけない口調で続ける。
「きっとそれってあたしの縁が複雑に絡み合っちゃってるからで、だからその縁を切ってもらいたいの! そしたらあたし、どこへでも行けるでしょ?」
青磁はじっと少女の顔を見つめている。
「……あなたの望みは、家から出ることでしょうか」
「うん! なるべく早くね、そうじゃないと消滅しちゃうから!」
「分かりました。ではあなたの家に行ってみましょう」
「えっ? ってことは、縁切りをやってくれるってことね!? なんだもう、そうならそうと言いなさいよ、もったいぶってないで!」
先ほどまでの不機嫌が嘘のように、にっこりと晴れやかな笑みを浮かべる少女。
すっくと立ち上がって、猫のような俊敏さで部屋を出て行こうとする彼女の背中に、青磁が冷たく言葉を投げる。
「ただしそれは今日ではない。――今週土曜日にあなたの家に行きます」
「ええー!? 今すぐじゃないの?」
「縁切りにも時流というものがあります。今はその時ではない」
にべもなく言い放つ青磁に、少女も言葉を詰まらせる。
「……っ、分かったわよ。今週土曜ね、絶対よ。ちゃんと来なかったら呪ってやる!」
そう言うと少女は軽やかな足音を立て、部屋を出ようとする。だが急に思い出したようにくるりと振り返るなり、ひよりに名乗りを上げた。
「あ、言い忘れてた。あたしは百(もも)。ばあちゃんの専属式神! ……厳密に言えば、元・専属式神だけど」
「かわいらしいお名前ですね」
思ったことを口にすると、百は満足そうに、にっこり笑って言った。
「あたしもそう思う!」
中庭の引き戸が開き、勢いよく閉じられる音が聞こえた。凄い場所から出て行くんだなあ、とひよりはぼんやり思った。
はあ、と青磁の長いため息。
「慈善事業はあまりやりたくないのですが、仕方がない。どうやら私の主は、私のことを冷酷無比な式神だと思っているようですからね」
「そ、そんなことはないですけど」
ちょっぴり図星だ。顔に出ていないといいがと思いつつ、ひよりは、頭のどこかで何かが引っかかっていることに気づいた。
瀧宮のお家。そうだ、あの百という子は、瀧宮家から来たと言った。
「あれ? 瀧宮家の、おばあちゃん?」
ひよりは二週間ほど前に回ってきた回覧板を思い出す。春の催しのお知らせとは別に、素っ気なく回ってきたその紙には、黒い縁取りがされていて。
『瀧宮リツ子殿 ご逝去のご連絡
瀧宮リツ子殿 八十九歳 三月二十九日に永眠されました』
書かれていた文言を思い出したひよりは、首をかしげながら、
「瀧宮さん家にも、式神がいたんですねえ」
「……」
青磁は答えず、面白くなさそうに少女が去った方を見つめている。
「普通、主が死んだら式神との契約は切れるものなんですがね」
そう呟いた青磁は、すっくと立ち上がると、部屋を出ようとする。
「明日の朝の献立は」
「あ、えっと。焼きおにぎりのお茶漬けと、さわらのむしりにしようかなって。あと煮卵の残りと、ひじきですかね」
「献立の栄養価はよろしいようですね。明日は私も手伝いましょう」
「あ、煮卵はレンジでチンしちゃだめですからね」
「……分かっています。早く休みなさい」
つい先日、慣れない電子レンジで煮卵を爆発させた苦い経験のある青磁は、少しばかり照れくさそうに部屋を出て行った。
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