17-2 「りっくん」

 手のひらに感じるぬくもりを、握り返して確かめる。ゆっくりと目を開けば、見慣れた笑顔がそこにあった。


 モモ、と呼びかける前に、「起きたのか」という声が別の方向から聞こえてきた。



「おまえ、大丈夫かよ」


「りっくん……」



 出した声は掠れていたが、なんとか相手に届いたようだ。理玖の顔が、少し緩む。



「なんか騒がしいと思ったら、階段の前で倒れてんだもんな。マジ、一瞬死んでるかと思った」


「りっくんが……運んでくれたの?」



 見知らぬ天井。見知らぬ布団に寝かされている自分を自覚し、美邑はゆっくりと訊ねた。



「ん? まぁ……重かったけどな」



 そう言って笑う理玖に「どーせ重いですよ」と口を尖らし。だがすぐに、顔から力を抜く。



「でも、ありがと」



 「おう」とだけ返事をすると、理玖は頭を掻き、それから少し真面目な表情で美邑を見つめてきた。横になったまま、視線で疑問を投げかける美邑に「あのさ」と口を開く。



「最近、ちょいちょい調子悪そうだし。一度、ちゃんと病院とか、行った方が良いんじゃねぇの?」



 おそらく、善意の言葉なのだろう。確かにはたから見れば、急に早退したり、転んで怪我をしたり、気を失って倒れていたりと、心配になる要素は充分だ。


 もし――それには理由があると知ったら。もし、美邑が本当に鬼に成ると知ったら、理玖はどんな反応をするだろうか。



(やっぱり……馬鹿にされるのかな)



 角を見せてみようかと思ったときも、似たようなことを考えたが。どうしたって、モモのように信じてもらえる気がしない。


 昔だったら――一緒に遊んでいた十年前だったなら、そんな心配などいらなかっただろうに。


 そうだ。あの日だって、理玖は美邑の手をぎゅっと握りしめていてくれた。



『ぜったい、はなすなよ』



 そう言って――。



(あの日……?)



 ふと、自分の思考に違和感を覚える。まだ、なにかを忘れているのだろうか。

 だが、なにを思い出したところで。今更なにも変わりはしない。



「……あのね。あたし……もしかしたら、その。遠くに、行くことになるかも」


「は?」



 急な美邑の言葉に、理玖がきょとんとする。美邑はたたみかけるように続けた。



「それで、最近ちょっと悩んでて。行ったら、帰ってこられるのか、よく分かんないし。それで」


「それ……あの不審者絡みか?」



 不意に核心を突かれ、どきりとする。それは、理玖にも伝わったのだろう。はぁ、と一つ溜め息をつく。



「昨日も、帰り際おかしかったし。結局、親や他の大人に相談してねぇのかよ?」


「う、うん……相談しても、なんて言うか……どうしようもないっていうか」


「馬鹿。だからって、そんな倒れるほど一人で悩んでどうすんだよ」



 濁そうとする美邑に、理玖はどこまでも正論を投げつけてくる。思わず、モモの手を握る力を強くする。ちらりと見やると、モモは苦笑に似た笑みを浮かべていた。



「ミクちゃんの、思う通りにした方が良いよ」



 そう言われると、やはりダメもとでも、打ち明けたくなる。本当のことを。


 理玖は、「まったく」という顔をしてこちらを睨むように見ていた。それだけ、心配してくれているのだろう。なら――。



「その。あたし……」


「ほんと、マジ死んでるかと思ったんだからな、こっちは」



 美邑の決死の言葉に被さるようにして、理玖が言う。



「ご、ごめんなさい」


「謝んなよ。ほんと、お前はそうやって、すぐ謝ったりへらへらしてその場を誤魔化したりとか、多過ぎなんだよ。周りにいらない気ばっか使うから、アホどもがつけあがるんだ」


「アホ……って?」



 思わぬ言葉にきょとんとなると、理玖は「きまってるだろ」と続けた。



「この辺の同級生どもだよ。ちょっと力が強いからって、化け物だなんだって、田舎もん丸だしの迷信を、十年近く引きずりやがって」



 それは。


 美邑にとって、予想外の言葉であった。

 

 「化け物」と罵られ続けてきた美邑からすれば、同級生たちがそう言ってくるのは当たり前のことであったし、理玖もその一人だと、そう思い込んでいた。理玖は罵ってこそこなかったが、長いこと傍観者だったからだ。


 美邑の表情に気づいたのだろう、理玖は罰の悪そうな顔をして、少しだけそっぽを向いた。



「だから、おまえが一人でへらへらめそめそしてばかりいたから、そういうとこには俺だってむかついて……まぁ、ガキだったなって、今は思うけどさ」


「……」



 そういうものなのだろうか――そういうものなのだろう。

 閉鎖的な環境に置かれれば、視界が狭くなるというのは、きっと誰だってそうなのだ。美邑が、化け物と罵られるのをいつしか「仕方がない」と思っていたように。へらへらと笑って、波風立てないようにしていたように。



「……ごめん」


「謝んなよ。つか、俺こそ……悪かったな」



 ぼそぼそと、理玖が呟くように言う。それに、美邑は寝たまま思いきり首を振った。頭はまだ少し痛かったが、そんなことが吹き飛ぶくらいに、今は胸がいっぱいだった。



「いや……まぁ、だからさ。あんま一人で抱え込み過ぎんなよ。そんな、倒れるくらいにさ」


「……うん」



 理玖の言葉は心強いが、同時にきりりと首を絞められる心地がした。



(化け物だなんだって、田舎もん丸だしの迷信――)



 「田舎もん丸だしの迷信」に悩まされているのだと、どうして相談できるだろうか。その、迷信そのものに成り果てようとしているというのに。


 息を深くつき、起き上がるために手を床につく。



「おい、まだ寝てろよ」


「でも、そろそろ帰らなきゃ」



 幸い、痛みも堪えきれるほどになってきた。このタイミングを逃したら、また痛みだすかもしれない。それが、怖い。


 だが、理玖は更に「いいから」と引き留めてきた。



「さっき、おまえん家に電話したから。親父さんが迎え来るって」


「そんな。すぐ近くだし、そんな迎えに来てもらうほどじゃ」



 むしろ慌てて身体を起こそうとする美邑に、理玖は少し怒ったように「馬鹿」と語気を強くした。



「あんなとこに、一人でぶっ倒れてたヤツ、そのまま帰せるわけねぇだろ。じいちゃんも、迎え呼んでやれって」


「え……」



 そのときだった。ぱたぱたと、慌ただしい足音が廊下から聞こえてきた。

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