9-2 弁当

 ぼんやり俯きながら、美邑はとぼとぼと道を歩いた。


 朱金丸の言う通り、ナラズというものは街のあちこちにいるようだった。それらしきものが視界に入りそうになる度に、美邑は小さく息を飲み、急いで目をそらすことを繰り返していた。



(なんか、つかれた……)



 眼科に行くことも諦め、ウインドウショッピングなどするつもりにもなれず。真っ直ぐに、駅まで向かう。今はもう、家の布団にくるまり、なにもかも忘れて眠りたかった。


 確かに昔から、「化け物」と同級生には呼ばれていた。確かに昔から、力は人一倍強かった。


 だが、自分が本当に人間じゃないなんて。そんなこと、考えたこともなかった。



――家族だもの。



 浮かんだ言葉に、目をぎゅっとつぶる。朱金丸は、自分達――つまり、昊千代のことも鬼だと言っていた。


 もし、昊千代の言う通り、昊千代が美邑の本当の家族だとしたら? だからこそ、美邑が鬼に成るのだとしたら?



(お母さんとお父さんは、ほんとのお母さんとお父さんじゃないの……?)



 今朝の、理玖との会話を思い出す。――本当の親じゃないのかなんて、そんなこと。訊ける訳がない。


 早く帰りたいのに、足取りが重い。真っ直ぐ歩いているのかも、不安になる。自分は果たして、本当に道を踏みしめているのだろうか――そんなことさえ、不確かに感じる。これまで地面だと疑ってすらいなかったものが、そうでなかったような。そんな、恐ろしさ。



(あたし……あたし……)



 頭の中を、言葉がぐるぐると回り続ける。惰性で電車に乗り、普段よりもガラガラの車内でぼんやりと立ち続け。気がつけば、家の最寄り駅を降りて自転車を押していた。


 どうにもやはり、足が重い。このまま真っ直ぐ帰る気にもなれず、少し道を外れ、公園に入った。気がつけばもう昼近くで、ブランコと砂場しかない公園は無人だった。



「……ふぅ」



 ブランコに腰掛け、空を見上げる。やけに青い空が、今はなんだか作り物染みて見えた。


 心が沈んでいても、腹はなんとなく空くもので。そんな自分を口の端だけで笑いながら、美邑は弁当を鞄から取り出した。

 お気に入りのランチバッグに入った弁当箱には、でかでかと「スマイル」の文字とにっこりマークが印刷されている。


 蓋を開けると、母親が言っていた通り、ハンバーグがちょこんと入っていた。ピックの刺されたミニトマトに、きゅうりの漬け物、チーズが間に巻かれた卵焼きと、なかなかに色鮮やかだ。二段目のごはんの上には、汁気の切られたカレーが中央に載せられている。その香りに、今朝の朝食を思い出す。



「学校にいたら……モモに、一口分けてあげたのに」



 呟きながら、備えつけの箸で米とカレーを一緒にすくう。一口頬張れば、口の中いっぱいに、なんだか懐かしい味が広がった。



「……っ」



 不意に涙腺が弛み、ぽたぽたとまた涙が溢れ始めた。咀嚼している口の中が、しょっぱく感じられる。



「う……ふ、ぅぐぅ……ッ」



 泣きながら、ハンバーグを口にするが、最早味が分からなかった。ただ、涙は更に流れてきた。



「おか……さぁん、おかあさぁん……っ」



 知っている。母親は暗い顔で小、中と通っていた美邑を案じていた。だから高校生になり、環境が変わった美邑が少しでも明るい気持ちで学校生活を送れるように、こうして美邑の好物でいっぱいの、見た目にも明るい弁当を毎日持たせてくれている。



――物の怪になれば、人間の側になど、居場所がなくなる。



「……っそんな、の」



 学校には、元々居場所なんてなかった。

 だが、家族やモモだけは、別だと思っていたのに。



「そんなの……信じない……っ」



 呟き、ぐすりと鼻をすすって、弁当の中身を掻き込む。



(あたしは、人間だもん。鬼なんかじゃ)



『なんじゃ、なんじゃ』



 ふと、上からしゃがれた声が聞こえた。きょろきょろと辺りを見回すと、すぐ近くの木の枝に、カラスがとまっていた。いや――カラスに似た、なにかが。


 ソレはカラスよりも一回り大きく、頭が二つついていた。その両方に嘴はなく、人によく似た口がけらけらと笑い声を上げている。



『知らぬ妖気を感じて来てみれば』


『ただのかえ』



 二つの頭が、交互に喋っているのが聞こえる。美邑は視線をそらし、無視をした。

 アレもきっと、ナラズのような物の怪の一種なのだろう。こちらが反応を示すことで、襲ってくるかもしれないと、身体を固くする。

 カラスもどきは、呑気にお喋りを続けた。



『最近は、久しぶりに鬼どももうろついているからのう』


『それに引き寄せられたナラズかと思えば』


『なんじゃ昨今、成りかけというのも珍しいものじゃて』



 なにが可笑しいのか、そう言ってカラスもどきは二つの頭そろってけらけらと笑った。その声が耳障りで、美邑はぎゅっと両手で耳をふさいだ。それでも、その甲高い声は聞こえてくる。



『化けるかのぅ』


『化けねば、ナラズに変ずるだけよ』


『化けるも化けれんも、先は暗いのぉ――なぁ? 小娘』



 わざわざこちらに飛んできて、ぎゃははと笑うカラスもどきに、美邑はぎりっと歯を鳴らした。



「うるさいっ!」



 途端、カラスもどきはぎゃあぎゃあと声を上げて飛び去って行った。美邑は肩で息をしながら、それを睨んだ。



「あたしは……鬼にも、あんな化け物にだって、ならないんだから……っ」



 呟いた言葉は、不意に吹いた強い風に拐われてしまい。美邑は顔を袖口で拭うと、弁当箱とランチバッグを乱暴に鞄の中へ押し込み、自転車に乗って家に向かった。

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