4-2 友達

「とーちゃく、おめでとー」



 美邑が登りきると、モモがパチパチと手叩きをして迎えてくれた。すぐそばの道に、美邑の物と似た黄色の自転車が停めてある。


「よく、あたしがここ通るって分かったね」


「わたしはミクちゃんと一心同体だから、なんだってお見通しなのよぅ」



 冗談めかして言ってから、「まぁ、いくら漕いでも追いつかないから、もしかしてって思って」と付け加えてくる。



「ミクちゃんてば、昔からよくこの林を通り道にしてたもんね。楽チンだー、なんて言って。みんな、坂が急過ぎるから使わないのに」


「……でもモモは、ついてきてくれたじゃん」



 美邑の言葉に、モモはあっさりと「そりゃ、わたしはミクちゃんが行くなら何処へだって」と、気軽に言ってのけた。


 モモは昔からそうだ。当たり前のように側にいて、当たり前のように笑っている。美邑が友人みんなから「化け物」と疎まれ、途方に暮れそうだったときも。

 都会の高校に上がったことで、進歩的な周囲の目を気にして上辺を取り繕い、まるで何事もなかったかのように美邑に接してくる同郷の者たちに対し――内心、苛立ちを募らせているときも。



「あー、チェーン外れちゃってるんじゃん」



 美邑が抱えている自転車を眺めながら、モモが小首を傾げる。



「……段差で、外れちゃってさ。普通に押して歩くより、担いでここ通っちゃった方が早いかなって、思って」


「確かに、ミクちゃんならそうかもねぇ」



 けらけらと、モモは屈託なく笑う。その笑顔と声に心地好さを覚えながら、気づけば自分も笑いながら、美邑は林を抜けた。


 林から舗装された道に出ると、斜め向かいに鏡戸神社が見える。

 美邑は担いでいた自転車を地面におろし、両手で押しながらゆっくりと歩き出した。モモも隣を、自分の自転車を押しながら鼻唄混じりについてくる。



「今日ね。体育の時間に、バレーやったんだけど。飛んできたボール打ち返そうとしたら、天井に思いきり当たっちゃって」


「うわぁ。ミクちゃんてばドジだなぁ」



 あっさりと、モモが笑い飛ばす。それだけで、あんなにもこびりついていた「化け物」の一言が、さらりと消えていくような気がした。



「……モモが、同じクラスだったら良かったのに」



 ぽろりと、思わず胸のうちが口から溢れた。もし、あの体育の時間に。澤口にどんな目で見られようと、笑ってくれるモモがいれば。それだけで、救われる気持ちがしただろうに。


 モモはきょとんとした顔をすると、またすぐにクスクスと笑い出した。



「ミクちゃん、甘えん坊だなぁ。そんなにわたしと一緒じゃなきゃ嫌だなんて」


「あ、その言い方むかつく」



 「甘え」と言われたことが、あまりに図星過ぎて。そのことを自覚した途端、頬が熱くなるのが分かった。思わずツンと顔を反らすと、「ごめんごめん」と軽い調子の謝罪が飛んでくる。



「わたしだって、ミクちゃんと一緒に勉強したいよー。体育だって、一緒にできたら楽しいだろうなー」



 朱色の濃くなった空を見上げるようにしながら、モモが言う。美邑はその言葉に満足して、同じ空を見上げた。


 神社を通り過ぎ、更に道を登りきると、駅前よりも緩やかな下り坂になる。心持ち、自転車を握る手に力を込めながら、ゆっくりと道を歩いていく。


 話す内容は他愛のないものばかりだ。夜に放送されるドラマだとか、そのドラマに出ているアイドルだとか、アイドルと同じグループのメンバーが出ている他の番組だとか。途中、顔見知りの――この地域に住んでいるほとんどは強制的に顔見知りだ――佐藤さんの奥さんに挨拶をし、すっかり通りすぎてから今度は気の早い夏休みの話などして。


 時折、ちらりと見やったモモの横顔は、やはり笑顔で。高校に入ってから染めた栗色の細い髪が、夕陽に透けてやけに綺麗だと思ったりもした。



「そうそう。あのね」



 それまで話していた、夏休みに公開される映画の主演女優についての、いかにも続きのように。モモが切り出す。



「一角って、古い話が結構、残されてるらしいよ。昔は、人柱とかあったみたいだし」


「え? 人柱?」



 唐突な単語に、美邑は眉を寄せた。途端、モモが不思議そうな顔を作る。



「あれ? 今度の映画って、そういうのじゃなかった? 古い集落に残された民謡にまつわる、怪奇ミステリーみたいな」


「あー……そう、だったかな」



 確かに、最近放送されるようになった告知CMを思い返せば、そんな内容だったような気もする。正直、役者にしか目がいっていなかったが。



 「そうなの!」とモモは口を尖らせて続けた。



「一角もさ、田舎だし、なんかそういうのないのかなーって思ったんだけど。結構ふるーい歴史があるみたいで、ほら、神社とか。あそこもね、なにげに千年近く昔に建てられたんだって」


「へぇ……そんな古い神社だったんだ」



 確かに由緒ある神社だという認識はあったが、まさかそんなに歴史のある場所だとは思っていなかった。



「それじゃ、注連縄が反対なのも、なにかいわれがあるのかな?」



 ふと頭に過った言葉が、そのままぽろりと口から溢れた。



「注連縄が、反対?」


「うん、誰に聞いたんだったかな……なんか、鏡戸神社の注連縄は、普通の神社の注連縄と反対巻きなんだって」



 モモは、今一つ関心がなさそうに「ふぅん」と軽く唸ってみせた。



「注連縄に、向きなんてのがあるんだー」



 そう言われると、そもそも美邑自身詳しいわけでもないため、自信がなくなってくる。肩をすくめ、小さな声で「たぶん……」とだけ返事をする。


 それを気にしたのか、モモは声をワントーン上げて、「でもさぁ」とすでに通り過ぎた神社のある方へ、顔を向けた。



「神社って、神様お迎えしたり、住んだりする場所なんでしょ? そこを飾る注連縄が、普通と逆ってことはさぁ」


「……神様をお迎えするのの――逆、ってこと?」



 「そうかもねぇ」と、神社を見遣ったまま、軽くモモが首を傾げてみせる。



(神様をお迎えする……その、逆)



 心の中で、もう一度呟き。

 美邑もまた、大きく首を傾げた。



「それって――結局、どういうこと?」


「さぁ?」



 けらけら笑って、モモが再び歩き出す。美邑もそれに倣い、自転車を押し始めた。一度、ちらりと振り返るが、とうに通り過ぎた神社が見えるわけもなかった。


 モモは、すでに話題を映画から今晩の夕飯についてへと、がらりと切り替えていた。



「あー。わたし、今晩はカレーが食べたいなぁ」


「そう言われると、あたしも食べたくなってきたなぁ……。納豆と生卵入れてさ」


「ミクちゃんて、昔からそれ好きだよねぇ」



 モモがからからと笑う。まだ、どこの家庭もそうするものだと思っていた頃、うっかり外でその話をしてからかわれたものだ。反射的に頬を膨らましはするものの、モモに笑われるのは、そう嫌な感じはしなかった。



「て言うか、うち、今晩カレーだって。朝、お母さんが言ってたんだよね、そう言えば」


「いいなぁ。わたしもミクちゃん家のカレー、食べてみたいなぁ」



 あまりにも、モモが目を輝かせるものだから、美邑は思わず「うちに来たら、納豆と生卵だよ」と冗談めかして口にした。それに、モモが「別にいいもん」と胸を張る。



「ミクちゃんが美味しいって思ってるなら、試してみるのもありだしね!」



 あっさりとそう返ってきた言葉に、美邑は思わずにやついた。



「あたし、モモのそういうとこ、好き」



 その言葉に、モモが一瞬きょとんとし、それから、小さくはにかんだ。

 坂を下りきり、分かれ道で手を振る。



「じゃあ、また明日ね」


「うん。気をつけてね」



 同じようにバイバイと手を振るモモに、美邑はハッと気づき――「ねぇ」と、声をかけた。



「ん? なぁに」



 まさに歩き出そうとしていたモモは立ち止まり、不思議そうに振り向いてくる。



「……モモさぁ、昨日の不審者のこと心配して、わざわざ帰り道で探してくれたんでしょ」



 美邑が言うと、モモは視線をさ迷わせてから、指を髪に巻き付けながらしぶしぶと頷いた。



「まぁ、そりゃ。ちょっとはね。ミクちゃん、怖がってたし……」



 その言葉に、美邑は深々と息を吐いた。

 モモは、本当に美邑をよく分かっている。先程、鏡戸神社の前を通るときでさえ、もしかしたらまたあの緋色が石段にいるかもと思うと、気になりつつも見ることさえできなかった。



「……あいつ、本当になんなんだろう」


「うーん……」



 ぼそりと呟いた美邑に、モモが小さく唸る。髪から指を外し、「まぁ、さ」と明るい声を出した。



「よく分かんないけど……ミクちゃんが怖いなら、忘れた方が良いよ。また来るかなんて分かんないもの気にして、夜眠れないとか。そんなの、ぜったいお肌にも身体にも良くないから」



 顔に出ていただろうか――確かに昨晩は、面の男の言葉を考えると、ふと部屋の窓を開けて入ってくるのではなどと妄想してしまい、気づけば鳥が囀ずる時間になっていた。


 目の下の隈を擦りながら、美邑は「そうかな」と呟いた。



「そうだよ。大丈夫、もしものときは、わたしが駆けつけて助けてあげるから」



 「だから忘れよう」と、そう言うモモの言葉の気持ちよさに寄りかかりたくなり、気づけば「うん」と頷いていた。



「もう、忘れる」


「――うん。それがいいよ」



 にこりと、モモが屈託なく笑う。それに美邑も微笑み返し、「じゃあね」と今度こそ別れた。


 一人、壊れた自転車を押しながら、頭にぼんやりと言葉が過っていく。



――切れた注連縄。


――座っていた緋色の着物。


――神様をお迎えする、反対。




「貴様を、迎えに来た」




 それらの言葉全てに蓋をし、美邑はからからと音のする自転車を押した。日が落ちて気温の下がった風が、首筋を撫でていくのに、ぞわりと一つ、身震いしながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る