第四章 誰そ彼時の帰り道

4-1 記憶

 だんだんと、田舎の景色へと変わっていく窓の外。お洒落な店の代わりに木々や畑が増え、背の高いビルがなくなる代わりに農家の平屋がぽつぽつと見えてくる。

 帰りの電車に揺られながら、美邑はそれをぼんやりと眺めていた。


 いつもの駅を降り、無人駅で定期を機械にタッチする。ピロリンという間抜けな電子音の許可を聞き、改札を通り抜けた。どうしようもない田舎ではあるが、人手をかけないための機械化は、それなりに行われているものだ。そんなことを、今更ながら可笑しく思う。


 駅を出て直ぐの駐輪場へ、自分の自転車を取りに行く。目が覚めるような、真新しい黄色の自転車。向日葵を思わせるその明るさに一目惚れし、高校生活の供にと選んだものだ。実際には、短い通学時にしか使わないのだが、それでも気持ちを上げて一週間過ごすためには、絶対に必要だと買った当時思ったのだ。


 黄色い自転車に跨がり、緩く傾斜した道を下っていく。オレンジ色の空に照らされて、長い影がついてくる。涼しい風が肺に入り込んできて、身体の中を換気していく。思いきり息を吐き出せば、古い空気と一緒に、胸にたまった黒いモヤも出ていくような心地がした。


 ――と。

 がしゃんっ、と音を立てて、自転車が段差を落ちた。十五センチ程度の、ちょっとした段差だ。勢いが良かったのか、自転車は縦に大きく揺れた。バランスを崩すことはなかったが、気を取り直して踏んだペダルに手応えはなく、カラカラと音を立てながら空回りした。後ろのタイヤと繋がっていたチェーンが、弾みで外れてしまったらしい。



「うわぁ……やっちゃったぁ」



 少し上がりかけていた気持ちが、またみるみる萎んでいく。外れたチェーンをタイヤの中心部と噛み合わせれば元に戻るのだが、そういった細かい作業は苦手だ。


 ため息をつき、周囲をきょろきょろと見回す。幸い、人通りはほとんどない。

 よし、と思いきると、美邑はひょいと、軽々自転車を持ち上げ、そのまま歩き出した。


 美邑は、同学年の女子に比べ、力がある方だ。――実際には、この表現では語弊がある。美邑は常人離れした力と身体能力を、幼い頃から有している。


 具体的に言えば、小学生に上がる頃にはもう、駆け足で大人に負けることはなかったし、今では乗用車くらいなら持ち上げることができる。だからこそ、昼間の曲芸染みた、屋上への侵入も可能なのだ。


 小さい頃は、この力を奮うのが楽しくて仕形がなかった。大人が驚く様を見るのも愉快だった。

 だが、周囲が――特に、同年の友人たちが、奇異なものを見る目で美邑を見てくるようになるのに、時間はかからなかった。


 それが決定的なものになったのは、小学一年生の夏休み明けのことだった。

 夏休み中に美邑を見かけたという男子が、急にからかってきた。どんな内容でからかわれたのかすら、今となっては覚えていない。


 確かなのは、怒った美邑が必要以上に力を込めてその男子を突き飛ばしてしまい、結構な怪我をさせてしまったということ。それによってクラスが騒然となり、皆が美邑を「化け物」と罵り始めたということだ。



「――っふう」



 息をつきながら、人目を避けて林に入る。中は急な登りになっており、それを越えれば舗装された道を行くよりもだいぶショートカットになる。


 青々と茂る木々を避け、黒く湿った土を踏む。こんなところを見られたら、きっと澤口は必要以上に怯えた顔をするだろうし、理玖はしかめ面をするのだろう。想像すると、少しだけ笑えた。


 あの夏の日から、中学三年生までの約九年間――ほとんど顔ぶれの変わることのない、田舎の同級生達の中で、美邑は常に「化け物」として毛嫌いされてきた。いわゆる虐めのようなものを、受けていた時期もある。机が隠されたり、持ち物を棄てられたりすることもしょっちゅうだった。


 もちろん、全員が全員、いじめに加担していた訳でもなく、むしろそんな行動に出るのは少数派だったであろう。残りの半分は美邑を怖がり関わろうともしなかった。もう半分は――例えば理玖がそうであったが――面と向かって美邑を「化け物」と呼ぶこともなかったが、美邑の状況については知らぬ顔をして過ごしていた。


 そんな状況に置かれて、それでも美邑が心を折れずに過ごせたのは、唯一の味方がいたからだった。



「ミクちゃあん!」


「――モモ」



 林の頂上から、モモが手を振っていた。



「手伝おうかー?」


「大丈夫。もう、そっち着くから」



 モモがいるところまで行けば、ショートカット先の道に出る。励まされる気持ちで、美邑は足を速めた。

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