1-2 通学路

 美邑の通う高校は、隣の市にある。電車でおよそ三十分ほど。駅に着けば、そこから更にバスで十五分弱。


 春先市内にももちろん高校はあるが、将来大学への進学を希望していることに加え、春先市よりも拓けた立地であることが、高校を選んだ理由だった。美邑と同じような考えの学生は一角地区にもそれなりにいて、幼い頃からの顔馴染みが、進学先の高校にも意外に多かった。



「ミクちゃん」



 電車の中で後ろから話しかけてきたのも、そんな顔馴染みの一人だった。



「モモ」



 モモと呼ばれた少女は、ふわりとした茶色い髪の毛を耳にかけながら、にこりと微笑んだ。ほんのりと薄化粧された顔は華やかで、リップを塗るのが精々の美邑とは大違いである。



「ミクちゃんてば、なんか朝から疲れた顔してるー」


「え。そう、かな」



 今朝はダッシュしたから、と笑い、袖で軽く額を拭った。


 田舎のローカル線とは言え、通学通勤時間帯の車内はかなり混んでいる。左右のサラリーマンからそれぞれちらりと視線を向けられ、美邑は後ろを向くのを止めて、声をひそめた。



「また、あとで話そ」



 話し相手がすぐそばにいるのに、喋ることもできない窮屈な時間は、やたらと長く感じた。電車の揺れに合わせて揺れる視界に写る窓の景色は、のんびりとした田園風景から徐々に建物が多い無機質な物へと変わっていく。朝焼けの中で青くそびえる山々は、段々と遠くなっていった。


 やがて駅に着き、電車の狭いドアから乗客の集団と共に吐き出されると、美邑は周囲を見回した。



(モモ……見失っちゃったなぁ)



 すぐ後ろにいると思い込んでいたが、途中に停車する駅での人の流れにのって、少しずつ立ち位置がずれていってしまったのかもしれない。そうなると、この人の群れの中から探し出すのは難しそうだった。



「まぁ……どうせ学校で会うから良いか」



 あきらめて独りごち、歩き出す。バス停で合流できるかもしれないという、期待もあった。



 しかし、バス停で会ったのはモモではなく、同じ一角地区に住む鏡戸かがみど理玖りくだった。鏡戸神社の孫息子で、美邑とは小学生の頃からの顔馴染みだ。


 理玖は眼鏡の奥の目を閉じながら、バスを待つ列の最後尾にいた。両耳からイヤホンコードが伸びている。音楽でも聴いているのだろう。


 美邑はその後ろに並び、少し大きめの声で「おはよ」と声をかけた。それで気がついたのか、理玖は目を開けるとイヤホンを片方外し、「なに?」と訊き返してきた。



「おはよ、って言ったの。あ、ねぇ。今日、神社に寄ってきたんだけどさ」



 ふと今朝の光景を思い出し、少し胸をドキドキさせながら美邑は切り出した。心持ち、声をひそめる。



「御神鏡……だと、思うんだけど。拝殿にある箱のふたが開いて、見えてたの。あれ、良いの?」



 途端、理玖の顔がぎくりと強ばるのが分かった。



「あ……その。やっぱり、見ちゃまずかった?」


「いや。それは別に良いんだけど」



 おずおずと訊ねる美邑に、理玖はあっさり首を振る。かと思えば、コードの先端が繋がったスマートフォンを制服のポケットから取り出し、フリックし始めた。


「昨日、夜中に腹減ったからカップ麺食ってたんだけどさ。じいちゃんに見つかると小言言われるから、拝殿で隠れて食ってたんだよな。そんとき、暗くてこけて、御神鏡の箱にスープぶちまけちゃってさ」


「……それで、ふた開けて、乾かしてたの?」



 オチが読めて訊ね直すと、あっさりと「そうそう」という答えが返ってきた。



「ラーメンの匂いもめっちゃついちゃってさ。空気の入れ換えがてら、拝殿の扉も開けてそのままにして寝ちゃったけど……すっかり忘れてた。じいちゃん、まだ気づいてなきゃ良いんだけど」



 言いながら、スマートフォンを再びしまう。おそらく、今の件について家族にヘルプのメッセージでも送ったのだろう。


 なんとも間の抜けた理由に、美邑は少しがっかりしている自分を自覚した。長いこと秘匿され続けていた御神鏡が、そんなくだらない理由とうっかりとで、あんなふうに晒されてしまっていたとは。



「なーんだぁ……注連縄も切れてたし、少し、なんか特別なことでもあったのかなって思ってた」


「切れてた? 注連縄が?」



 驚いた声が、訊ね返してくる。普段は眠たげな目が、少し大きく見開かれていた。



「うん……それも知らなかった? こう、真ん中からぶちんて」


「知らなかった。てことは、夜中のうちに切れたんかな」



 やはり、あれだけ太い注連縄が急に切れたとなると、かなり珍しいのだろう。理玖の反応になんとなく満足していると、バスがやってきて列が前に進んだ。お喋りもそこで終わり、理玖が再びイヤホンをつけるのをぼんやり見ながら、美邑も列に続いてバスに乗る。


 車内は冷房がかかっているのかやや冷えており、まだ暑くなりきらない外の気温との差に、身体がぶるりと震えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る