第一章 日常は突然に
1-1 神社
「この神社の注連縄、ふつうと逆なんだってさ」
そんな話を聞いたのは誰からだったであろうか。覚えてはいなかったが、それでも古びた鳥居をくぐる度に思い出すのは、その言葉だった。
地域で一番大きな祭りも鏡戸神社で行われており――つまりは、古いながらに今でも寂れることなく、なんとか上手くやっている神社の一つだ。
美邑はその神社に続く、長い長い階段を跳ねるように登っていた。石造りで、段の高さがまちまちである。一歩踏み出すごとに、長いポニーテールが背中でさらりと揺れた。
階段の麓にある一の鳥居をくぐり、階段を登り終えた先には、一の鳥居より一回り大きな二の鳥居がある。それを階段の中程から見上げると、階段の一番上に男が一人、腰かけているのが見えた。
突っ伏しているため、顔は見えない。しかし見事な白髪から、おそらく老人であろうことが伺える。この地域は年寄りが多いため、早朝に老人が一人、神社にいたとしてもさほど不思議はない。ただ、目立つのはその格好だった。鮮やかな緋色の着物は、無地だが派手で珍しいものだ。
軽く息を切らしながら、美邑はその横を通り過ぎた。ちらりと視線を向けると、老人の背は小さく上下しており、眠っているのだろうかと首を傾げてしまう。
二の鳥居をくぐると、拝殿が見えた。美邑は制服のスカートの裾を払い、そちらに近づく。財布を取り出そうと、左手をスクールバッグに突っ込みながら歩いていくと、常と違う様子に気がついた。
拝殿には、太い注連縄が掛けられている。それが、真ん中から切れて垂れていた。
「うわぁ……昨日の風かなぁ」
昨夜は風が強く、ここに来るまでの道にも、あちこちに枝葉だのゴミだのが転がっていた。ビニールハウスが飛んでいってしまった畑もあるようで、余程の風力だったことが知れる。この注連縄も、そんな風の被害にあったのだろう。
拝殿をちらりと覗くと、奥の祭壇が見えた。この神社には、御神鏡が祭られているのだが、普段はふたのある箱に納められ、参拝者が見ることは叶わない。神社の関係者ですら、もうかなり長いこと御神鏡本体を見ていないらしい。
参拝者に見えるよう、立て掛けられるようにして祭壇に飾られた黒い木箱。そのふたが、開いていた。
ふたのない箱には、鏡が一つ収まっていた。鏡と言っても、歴史の教科書などで見たことがある「銅鏡」に近い形をしている。反射面は、外から射し込む光に輝いてはいるが、おそらく百円均一の手鏡ほどにも鮮明に物を映さないだろう。
だが。
その鈍い輝きを見た途端、美邑は思わず目をそらしてしまった。門外不出の御神鏡を見てしまったためだろうか、やたらと胸がドキドキ鳴っている。
「あれ……いいのかな」
見てはいけないものを見てしまった。
そんな気持ちにさせられるためだろうか、美邑は鞄を胸の辺りで抱き締めると、きょろきょろと周囲を見回した。神社の人間は、少なくとも見えるところにいない。
そのことが残念なのか、それとも安堵したのか――自分でもよく分からないまま、美邑は足早に階段を駆け降りた。美邑は階段下に停めていた自転車にまたがると、鞄をかごへと投げ入れてこぎだした。
ふと階段を見上げると、緋色の着物は見当たらず、美邑は頭を軽く振って駅へと急いだ。
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