第一話 最初の波乱

 ラティウム聖教国にも他国と同じように、異界人と言える存在がいた。その名も聖女。人は皆彼女をそう呼び、彼女もまた、自らを「神の使い」と称しているため、彼女の本名を知る者は少ない。

 彼女自身も覚えているかどうか定かではないとすら言われるほどだ。


 統合政府が動き始めた直後、聖女により、聖教国の最高意思決定機関である枢機院が緊急招集された。

「今より少し前、主より啓示を授かりました」

 未だ二十歳に満たないであろう聖女は、厳かにそう切り出した。


「ほどなくルーシより放たれる破滅の炎が、この地に降り注ぎます。皆さんは市民の避難準備を整えてください」


「避難の件、かしこまりました。では、続いて迎撃についてですが……」

 会議を纏めるシクスティス議長は恭しく上座の聖女へ一礼した後、軍事を担う神殿騎士団団長、ティリーに話を振ろうとした。

 仰々しい表現だが、実態はルーシによるミサイル攻撃である。ラティウムには他国のような科学技術はないが、これまでも事前に聖女の予言があり、彼女によって与えられた超常の力でもって全て迎撃に成功している。

 最近はめっきりなくなったとは言え戦争中には変わらず、驚く理由はなかった。


「私が迎撃にあたります。仮に私が責務を果たすことができない状態になれば、後事はシクスティス議長に委ねます」

 しかし議長の発言を遮った聖女の言葉は場をどよめかせた。



「な!」

「そんな、何を!」

「聖女様! 何をおっしゃいます! 聖女様の御身に万一のことがあってはそれすなわち国家の大事!」

「その通りです! 聖女様の代わりが務まる者などおりません! 信徒達の為にもどうかご再考を!」


「ご心配くださりありがとうございます。しかしこれは主の思し召しなのです。此度の炎はこれまでのものとは一線を画します。よって私自ら防がねばならないと主はおっしゃいました。仮に私が倒れてもそれは私の献身が足りなかっただけのこと。皆様が案ずるべきことなどございません」

 しかし周囲の反対意見などまるで聞こえていなかったかのように聖女はそう続ける。


「……承知いたしました。ご武運を」

『主の啓示』を持ち出された以上議員達は反論のしようがなかった。


 かくして、聖女によるルーシ統合政府の新型ミサイルの単騎迎撃が決定された。



「……来ましたわね」

 緊急動議の直後、幾つかある聖堂のバルコニーには聖女の姿があった。


 その傍らには満場一致で避難を拒否し聖女に付き従う近侍の修道女達もいた。しかし彼女達には、聖女が虚空に見ている「何か」は見えなかった。



「天なる主よ。父にして母なる神よ。凶事へ立ち向かう息子達に、悪夢と戦う娘達に、どうか力を分け与え給え。信仰の敵を討ち滅ぼす剣を、破滅より教義を守る盾を、どうか教えの僕たる我らに貸し与え給え」

 天へ向かってほぼ垂直に手を伸ばし、祈りの言葉を述べる聖女。


 その姿は静かながらも威厳があり、恐怖を感じている様子は微塵も感じられなかった。


「ああ、天よ、聞き届けてくださったのですね」

 両腕を掲げることしばし。聖女の両手の間から眩い光が放たれ、空は真っ昼間よりも明るくなった。


 閃光に目がくらんだ修道女達が視覚を取り戻した時、そこには夕陽の中で仰向けに倒れる聖女がいた。





 リューリク 総統官邸 総統執務室


 ルーシ軍研究開発部局長、スモーノフ少将は極度の緊張状態にあった。

 原因は二つある。一つは自身が責任者となって開発した新型ミサイルがまったく効果を上げられなかったこと、そしてもう一つはその件について、敵対者に対する容赦のない弾圧で知られるマシニ総統に呼び出されたことである。


「スモーノフ技術少将、幾つか質問があるのだがよろしいかな?」

「は、はい。構いません」

 総統は抑揚に欠けた声でスモーノフへ尋ねる。上背こそあるがかなり痩せ気味な総統だが、彼の放つ威圧感に周囲は思わず萎縮せざるを得ない。


「先程ラティウム聖教国へ発射したミサイル、あれの弾頭には何が積まれていたんだい?」

「増粘ガソリン一トンと粉末状のプルトニウム五〇〇キログラム、そして拡散用爆薬が……」

「ああそうだな。それで着弾するとどうなる予定だったんだ?」

「増粘ガソリンとプルトニウムを広範囲に拡散させ、都市にも住民にも壊滅的な被害を与えることが……」

「うむ注文通りだな。仮に迎撃された場合どうなる?」

「迎撃された時点で拡散用爆薬を発破、直下地点へやはり壊滅的被害を……」


 スモーノフが答え終わる前に矢継ぎ早に質問を繰り出す総統。なにせあのミサイルは総統の指示で開発されたものだ。

 ナパーム弾などに使用され、広範囲を高熱で焼き尽くす増粘ガソリンと極めて強力な放射線を放つプルトニウムを組み合わせた弾頭を持つ大量破壊兵器。


 スモーノフ以下研究開発部はその非人道性に身震いしたが、最高指導者たる総統の指示に異を唱えることは許されない。


「それはすばらしい。で? 実戦投入した結果はどうなった」

「……は……目標地点への……効果は……一切確認されませんでした……単身迎撃を行った聖女は意識を失ったようですが、過労によるもので命に別状はなく程なく公務に復帰できるとの報告が既に……」

「そうらしいな。なぜだ? 拡散用爆薬の発破は確認されたのだろう?」

「は、はい。諸々のデータを鑑みた我々の結論といたしましてはおそらくは迎撃により弾頭がまるごと消滅させられたのではないかと……」

「消滅?」

「はい。こちらが拡散用爆薬発破直後の様子なのですが、先端部に取り付けられたセンサーが未接続になっております。これが仮に破壊されていた場合は未接続ではなくオフライン表記に……」

「いや、いい。分析については任せる。今回は示威行動としての側面が強く、本命はあくまで上陸部隊だ。それに目標自体は達成した。よって不問とするが、次はないぞ。わかったな」

「はっ。肝に銘じます」


 スモーノフはひとまず胸をなで下ろして部屋を後にした。

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