本日も全戦線に異常なし

竹槍

プロローグ

 自分達が住んでいる世界とは別の世界があり、その別世界をのぞき見ることができるようになったとしよう。

 もし、そこに自分達のものより遙かに進んだ知識があったとしたら、果たして欲しいと求めるだろうか。それとも身に余るものと拒絶するだろうか。

 求め、手に入れたとした場合、それをどう使うのだろうか。そしてどのような結果をもたらすのだろうか。


 もしこれから語る出来事に、人智を超越した存在の意図が介在したのであれば、彼あるいは彼女は、そんなことが気になったのかもしれない。



 大陸において、時に手を取り、時に戦火を交える七つの国家があった。

 偶然か否かは定かではないが、ある時各国に一人ずつ、高度な知識を持った異界からの迷い人が現れた。


 その時から、人々の生活は一変した。


 鍬をもった農民ではなく自動式の農業機械が畑を耕し、主だった街道には真っ黒のアスファルトが敷かれ、馬や牛は自動車や鉄道に取って代わられた。

 鳥の世界であったはずの空を飛行機が音より速く飛び交い、石油やボーキサイトやタングステンといった多彩な新資源の採掘が始まり、国からの布告は御触書ではなく携帯電話で確認するものとなった。


 そしてそれら変化は戦場においても例外ではなかった。





 プロシア帝国軍レジオン駐留軍司令部


「捧げ筒!」

 軍用自動車から純白の軍服に身を包んだ少年が降り立つや、周囲に控える兵士達は一斉に銃を縦に構え敬礼をした。

「ご苦労」

 彼は一言そう言って答礼を返すと、足早に宿舎へと入っていった。



「殿下、宰相閣下がお越しです」

「わかった、今行く。あとあなた達は席を外してて」

「かしこまりました」

 秘書官から報告を受けた少女は、椅子から立ち上がり半ば駆け出すような歩調で自ら客間へ向かっていった。


「殿下!? あ、ただいま参りまし……」

 ドアが開いた先にいたのが、秘書官ではなくその主人であった事に驚いた少年が挨拶をし終える前に、少女は彼の胸に飛び込んだ。

「え、えーと……」

「この半年寂しかった」

「ご、ごめん……」

「別にあなたが謝ることじゃない。でももうちょっとこのままでいさせて」

「わかった。それと、おつかれさま」


 客間内にいた護衛の兵士が、口元を緩めながらそそくさと退席するのを気にも留めず、少年を抱きしめる少女と、抱きしめ返す少年。


 片や覇権国家プロシア帝国の皇太女ヘレナ・フォン・ザルツァ、片や覇権確立の立役者たる異界人にして帝国宰相リョウト・フォン・ザルツァ、しかし今はただの夫婦、と言うよりむしろ年頃の恋人同士のようだった。


 いち早く自国の異界人、リョウト・ハルマエに目をつけたザルツァ帝国は、僅か五年の間に大改革を成し遂げた。決して驕ることなく、あくまで余所者として謙虚に振る舞い常に周囲を気にかけていたリョウトは、周囲の信頼を勝ち得、改革は予想以上にスムーズに進んだ。


 彼を語る上で外せないエピソードは、皇太女ヘレナとの逸話だろう。

 プライドの高い彼女は当初彼と彼の持つ技術を嫌っており、公然と批判を繰り返して周囲に渋い顔をされていた。しかしそんな彼女に対してもリョウト気遣う姿勢を崩さず、それを最初は挑発と受け取っていた彼女も、彼に諭される内に次第に態度を軟化させていき、リョウトもまたヘレナとの交流を通して自身の弱さと向き合うようになり、最終的に恋仲となって婚姻に至った


 国民も、急激すぎる発展に戸惑う者も多かったが、それでも多くが新たな時代の訪れを喜んだ。


 生来のリーダーシップやひたむきさに加え、伴侶との出会いで協調性を身につけた皇太女と、常に温和な物腰であまり自己主張をする方ではないが、心の中には伴侶との出会いで手に入れた芯の強さを秘めた宰相とが夫婦として並び立つ姿は、広く国民の支持を集めたのだ。


 その折、帝国の飛躍に恐れを感じた隣国、レジオン・アゼルスタン両王国が帝国への軍事侵攻を開始した。二カ国も、異界人の活躍により発展を遂げており、国力でレジオン・アゼルスタン連合が勝っている以上、帝国の苦戦が予想されたが、皇太女ヘレナ自ら前線で指揮を執り、連合軍を各地で撃破、その姿に将兵の士気は天を衝かんばかりとなった。


 そして帝都で留守を預かるリョウトもこれを援護すべく、義父である皇帝と協力し、迅速に戦時体制を構築。揺れる銃後を纏め上げ、戦費の捻出、分配に物資の調達と輸送、予備兵力の召集に編成などの職務に昼夜を問わず邁進した。


 最終的に戦争は帝国の勝利で終結。彼らの権威は絶対的なものとなった。




 非神聖ルーシ統合政府 首都リューリク


 一人の男が、総統執務室で時計を気にかけながらデスクワークをこなしていた。

 彼こそが、非神聖ルーシ統合政府の異界人、マシニであった。


 もともとこの国はこのような国名ではなく、彼もまたこのような名前ではなかった。


 当初、彼が降り立ったのはルーシ神聖連合という国であった。そして神聖連合にとっては不幸なことに、彼には確固たる理想があった。そして、神聖連合はその理想にそぐわなかった


 彼は面従腹背で政界の海を泳ぎ抜き、最終的にはクーデターでもって権力の奪取に成功。そして国の名前と自身の名を改め、国家総統に就任した。


 最高権力者となった彼が最初に行ったのは反対派への大弾圧だった。その中でも一際激しい弾圧を受けたのは国教たるラティウム聖教であった。


 もともと政教分離があまり進んでいなかった連合において、ラティウム聖教会は国政を大きく左右する力を持ち、その影響力は同じラティウム聖教を信奉する近隣諸国の比では無かった。


 当初は「神の使い」を名乗り、聖教会に協力的だったマシニだが、教会の協力を得るための方便に過ぎず、権力を握ってからは掌を返して教会の弾圧を始めた。

 弾圧は苛烈を極め、教会施設は残らずほとんどが打ち壊しに遭い、聖職者とその家族は例外なく国外追放処分が下され、それに反発し国内に残った者は、事前の告知通り片っ端から処刑された。


 当然この大弾圧に眉を潜める者も多かったが、国政と癒着して私腹を肥やしたり、権力を背後に庶民に乱暴狼藉を働いたり、異端審問の名の下に敵対者を異端認定して処刑したりなど、素行の悪い聖職者が少なくなかった聖教会に不満を持っていた者はもっと多かった。


 特に庶民の目には、今まで権力を笠に散々威張り散らしていた聖職者達をまとめて追放し、彼らがあくどい方法で貯めていた金をすべて公共事業や慈善事業に投じたマシニの姿はとても痛快なものに写った



 だが、ラティウム聖教の総本山、ラティウム聖教国は当然激怒し、統合政府へ宣戦布告した。

 しかし、聖教国と統合政府は、巨大な内海であるヴァンノディオ海を隔てて遠く離れており、一年経っても大規模な交戦は行われていない。


 一応統合政府から弾道ミサイルによる攻撃を行うも現状全て撃墜されて失敗している。


 一方で聖教国側も、神の奇跡と呼ばれる超常の力を行使する精兵が連合領内に潜入させ、各地で破壊活動を繰り広げており、こちらは統合政府にて社会問題となっていた。


 総統マシニは、今まさにそれを打開すべく準備を進めているところであった。


「……私だ。準備は整ったか?」

 携帯にかかってきた電話に、マシニは開口一番にそう返す。


「よろしい。艦隊を進発させろ。ラティウムの方も事前の予定通りにやれ。地獄を造れるのは造物主だけではないことを証明するのだ」


 マシニの口から、大陸を揺るがす一言が発せられた瞬間であった。

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