第60話 大切なものが奪われたら
目が覚めると同時に、俺は上体を跳ね起こした。
すぐに居間を見回すが、居間の状況はほとんど予想していた通りだった。
俺の両脇に控えるように、ラグナルとラゴスが膝をついている。おそらく、先に目が覚めて俺を起こしていたのだろう。
窓の外はすっかり夜になっており、アトリに眠らされてから最低でも一時間は経っていることが推測される。
唯一意外だったのは、イヴリスがまだ居間に残っていて、椅子に腰掛けていることくらいだろうか。
そして当然――ジャファルとアトリの姿は、居間のどこにもない。
「ラグナル、アトリはどこに連れて行かれた?」
「わかりません……が、おそらく、領主の屋敷かと」
「そうか」
ならば、するべきことはひとつしかない。
俺が立ち上がって装備を整えようとすると、イヴリスが声をかけてきた。
「もしかして、ジャファルくんちに行くつもり? やめといたほうがいいと思うなぁ〜」
「お前に止められる筋合いじゃない」
「そうかもだけど〜。お姫様もそんなこと望んでないんじゃない?」
「どうしてお前にそんなことがわかる?」
「ん〜。実はあたし、お姫様から伝言を預かってるんだよね〜」
「…………なんだと?」
「ん〜。やっぱ気になる?」
「……………………」
「もぉ〜、にらまないでよ。ちゃんと教えてあげるから」
イヴリスはもったいぶってから、伝言を口にする。
「わたしは自分の意思で、領主の下に身を寄せた……だそうだよ」
「……それだけか?」
「うん。それだけ」
イヴリスから伝えられた言葉に、俺は怒りが爆発しそうだった。
自分の意思で領主の下に行っただと? そう言えば、俺がお前を諦めるとでも思ったのか。
(今のセツナには、もうわたしは必要ありません)
俺を眠らせる直前、アトリがそう言っていたのを思い出す。
やたらと自己肯定感の低いアトリのことだ。ラグナル一家やラゴスのギャング集団を味方につけて、もう自分は必要ないとでも勘違いしてやがるのだろう。
街に入ってからは特に自己主張が減ってたから嫌な予感はしてたが、まさかここまで思い切った行動に出やがるとは。
俺の中で、あいつと交わした約束は今でも色あせていない。
だがアトリはあの約束を反故にして、俺を勇者として自由な立場に置いてやりたいとでも考えているのだろう。
それこそ、余計なお節介ってやつだ。
俺が怒りを堪えているのを見て、イヴリスは肩をすくめてから椅子を立った。
「さて、そろそろあたしは帰ろっかな〜。一応もう一回忠告しておくけど、ジャファルくんちには行かないほうがいいと思うよ? 戦ってもどうせ勝てないし、あたしの立ち会いがない以上、今度は殺されても文句は言えないからね?」
「忠告は受け取っておくよ」
「……聞く気はない、って顔で言われてもねぇ〜。まぁ、あとは年の功の説得に任せるとしようかな」
ラグナルを一瞥して言うと、イヴリスは家から去っていった。
彼女の姿が見えなくなるのを見届けてから、俺はラグナルに尋ねる。
「ジャファルのやつは、これからどう動くと思う?」
「確証はありませんが……おそらく、今夜中にアトリ殿を軟禁場所に移そうと考えるでしょう。軟禁するにしても、情報漏えいの恐れがない軟禁場所と、魔法封じの魔道具が必要になりますが……アトリ殿の魔力量を押さえられるほどの魔道具はそうそうありませんし、おそらくジャファル様が使える手駒は総動員されるでしょう」
「……つまり、今の内ならまだアトリの警護が薄いってことか」
「おそらく」
ラグナルの推論を咀嚼してから、俺はラゴスに視線を向ける。
「ラゴス。お前、まだ俺に命を預けられるか?」
突然話を振られて驚いたようだったが、ラゴスはすぐにうなずきを返した。
「当然っす。領主様に楯突くなんて自殺行為っすけど……どのみち、俺たち
「なら、ギャングどもを率いてやつの屋敷を見張るように手配してくれ。アトリが屋敷にいることと、警備状況を把握しておきたい。ジャファルは鼻が利くから、臭いを嗅がれないくらい距離を取って監視して欲しいが……『視力強化』を持ってる
「了解っす! 任せてください!」
威勢良く答えると、ラゴスは凄まじい勢いで部屋を飛び出していく。
「ラグナル。ミーシャとクーファはどうしてる?」
「客間のほうで眠っております。おそらく、アトリ殿の魔法で眠らされているのでしょう」
「……そうか」
さすがにあの二人は巻き込めないし、戦力としても正直あてにはできない。事が終わるまでそのまま眠ってもらっておいたほうがいいだろう。
それに――今から話すことも、彼女たちが寝ている内にしかできないしな。
俺は怒りを抑えるために深く息を吐いてから、ラグナルをにらみつけた。
「お前、
「……なんのことですかな?」
「とぼけんじゃねえ」
吐き捨ててから、俺はラグナルに
「どうもおかしいと思ってたんだ。あまりもトントン拍子に
「どういう意味ですかな?」
「大通りで他の
最初のひとつが倒れれば、あとは連鎖的にすべてが勝手に倒れていく……それをわかってて、お前は最初のドミノを倒したんだろう?」
「セツナ殿は、わたしがアトリ殿が捕まるよう仕組んだとおっしゃりたいのですか?」
「他にどう聞こえるってんだ?」
ラグナルは動揺した様子もなく、世間話でもするみたいに答えてきやがる。
「逆に聞きますが、アトリ殿を領主に捕らえさせて、わたしに何のメリットがあると?」
「決まってる。
「……………………」
「領主にはお前らを守る力があるのに、ジャファルはそれをしないどころか、積極的にお前らを虐げている。ジャファルを殺して領主の座をすり替えられれば、お前らの状況を改善できるかもしれない……そう思ったんだろう?」
ラグナルはなにも言い返さず、黙って俺の言葉を受け入れている。
ラグナルがなにか企んでいることは最初からわかっていた。やつに明確な動きがなかったため、一旦考えるのを棚上げしていただけだ。
だが冷静に考えれば、最初の一手はとっくに打たれていたのだ。
俺たちの侍従としてミーシャとクーファをつけると言った時、やつはすでにこの状況まで想定していたに違いない。だから侍従の件についてだけこだわって見せ、そのせいで大通りでの騒動に誘導されてしまったのだろう。
俺がミーシャたちを守ろうとするかは賭けだったんだろうが……二人を侍従としてつける時に、俺が二人の意思を尊重してしまったからな。そのへんの甘さをうまく利用された形か。
ミーシャとクーファはそういう演技ができるタイプとも思えんし、おそらくラグナルにうまく動かされた感じだろう。
ラグナルは諦めたように溜め息をついてから、俺に苦笑してみせた。
「さすがセツナ様、ご明察でございます」
「……お前、ただで済むとは思ってねえだろうな?」
「無論です。こちらはわたしの命だけでなく、猫目種と兎耳種の命運がかかっていますからな」
鋭い眼光でラグナルが言う。普段の飄々とした態度からは想像もつかないほど、ぎらついた戦意を放射している。
それほど、本気で領主を殺したいと願っているということか。隠居した老人かと思っていたが、匂い立つ殺気は野獣のそれだ。
「……そこまで言うなら、やつを殺せる策があるんだろうな?」
「少なくとも、確実につける弱点はわかっています」
「その割りには、さっきはあっさりと負けちまったみたいだが?」
「ええ。これで襲撃の際にはしっかり油断してくれるでしょうね」
「……あの場で殺されてたらどうするつもりだったんだ?」
「一撃で殺されるようなヘマはしませんよ。気絶で済むとわかっていたから、打撃を受けたまでです。気絶させたあとに、いつでも殺せるようなザコを殺すような男ではありませんから」
「ジャファルのこと、随分理解してるみたいじゃないか」
「十年も虐げられてますからな」
恨みつらみも年季が入ってるってことか。
しかも十年前からってことは、クーファの両親が亡くなった時期とも符合するな。もしかしたら、その頃からの因縁があるのかもしれない。
……どちらにしろ、今はこいつとジャファルの因縁などどうでもいい。
そんなことに時間を費やすなら、より確実にジャファルからアトリを取り戻す術を検討すべきだった。
「それじゃ、そろそろ聞かせてもらおうか? お前のシナリオで、この先どうなるのかを」
「わかりました」
鋭い眼光のままうなずくと、ラグナルは作戦を話し始めた。
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