第59話 さよなら、勇者様
セツナが眠りに落ちるのを見届けてから、わたしは
「これでもう、セツナを傷つける必要はないでしょう? さあ、早くわたしを連れて行ってください」
「……………………」
ジャファルはなにも答えず、支えていたセツナを静かに床に横たえた。
代わりに、イヴリスが隣に近づいてきて尋ねてくる。
「ねえねえ、お姫様。せっかくセツナ様が時間稼いでたのに、どうして逃げなかったの?」
「逃げても無駄なのはわかってますので」
「だとしても、ちょっと諦めが良すぎない? お姉さん、もうちょっと抵抗するものだと思ってたよ」
「……前々から考えていたことですから」
「? どゆこと?」
「いえ、なんでもありません」
食い下がるイヴリスをかわしつつ、わたしは眠っているセツナの顔をじっと見つめる。
あの日――森で切断されたセツナの腕をつなぎ合わせながら、ずっと考えていた。
セツナに心を許せる仲間ができて、わたしの存在が
セツナの不器用な優しさは、きっと多くの人を惹きつけるとわかっていた。
そして遠くない内に、自分がセツナにとって邪魔な存在になるだろうというのも予想がついた。
ラグナルたちは暖かく迎え入れてくれたが、『虚無の因子』なんて本来忌み嫌われるだけの存在でしかない。
どれだけセツナが望んでくれたとしても、周囲がそれを許すわけがない。
……思っていたよりも早くその時が来てしまって、心の準備はできていないけれど。
それでも――セツナのために身を投げ出すことには、何のためらいもない。
今まで彼がそうしてくれたように、自分もそうせずにはいられないのだ。
そんなわたしの心境をよそに、イヴリスはジャファルに話しかけていた。
「ジャファルくんも、こんな強引なやり方しちゃってよかったの? セツナ様に恨まれちゃうんじゃない?」
「知ったことか」
「でも〜、もしセツナ様が他の権力者について、ジャファルくんに嫌がらせしてきたら困るんじゃない?」
「どれだけ勇者が『虚無の因子』に肩入れしようと、権力者がそれを認めるとは思えん。それに『虚無の因子』を帝国中枢に献上すれば、こっちも出世のいとぐちが開ける。皇族や帝国中枢の連中も、未熟な上に『虚無の因子』に肩入れする勇者より、忠義を尽くす替えの効かない
「うわぁ〜……ほんとえげつないなぁ、ジャファルくんは。出世欲の鬼だよね」
「弱肉強食はこの世の摂理だ。摂理にしたがって上に登っていくことの、どこに問題がある?」
「いや、別に間違ってるとは言わないけどさぁ〜」
「なら黙っていろ」
会話を強引に打ち切ると、ジャファルはこちらに視線を戻した。
「出る準備はできているのか? 荷物をまとめるなら待つが」
「お気遣いはありがたいですが、荷物などありません。すぐに出ましょう」
そうでもしないと、決意が揺らいでしまいそうだった。
「なら、さっさと出るぞ。こいつらが起きたら面倒だ」
言って、ジャファルは家の外へ出ていこうとする。
だが、それを遮るようにイヴリスがジャファルの前に立ちふさがった。
「……どういうつもりだ?」
「いや、このまま行かせるのはちょっと忍びないなぁ〜と思っちゃって」
とぼけた調子で言いながら、イヴリスはわたしに視線を向ける。
「お姫様、なにかセツナ様に伝言はある?」
「……なぜ、そんなことを聞くんですか?」
「ん〜? セツナ様に聞かれそうだし、このまま行かせちゃうのもあたし的に心残りだから?」
あくまで軽い口調だが、イヴリスは真剣な目でこちらを見つめてくる。
彼女は彼女なりに、わたしのことを気にしてくれているようだ。
程度は違えど、
それにしても、セツナに伝えたいこと……か。
伝えたいことなんて山ほどある。
今まで一緒にいてくれてありがとう。生まれて初めて生きろと言ってもらえて、本当に嬉しかった。
わたしなんかのために命をかけてくれてありがとう。森で腕を切り落とされた時、あなたが死んでしまうんじゃないかと思って気がどうにかなりそうでした。
森から助け出してくれてありがとう。あなたがいなければ、今頃魔物に囚われて地獄のような日々を送っていたことだろう。
それから――わたしのことは忘れて、幸せになって。
ミーシャとクーファがそうだったように、きっと多くの人があなたに惹かれて集まってくるだろう。
弱者を絶対に見捨てられないあなたのことだから、また危ないことに首を突っ込んで、虐げられている人たちの尊敬を集めてしまうに違いない。
その時に助けてあげられないことだけが、心残りだけれど。
次々に溢れてくる言葉をすべて飲みこんで、わたしはイヴリスに告げる。
「わたしは自分の意思で、領主の下に身を寄せた……それだけ、伝えてください」
「……りょーかい。伝えておくね」
イヴリスはそれだけ答えると、ジャファルの前から退く。
ジャファルはこちらのやり取りを気にした様子もなく、黙って家を出ていく。
胸を締める名残惜しさを振り切って――扉の向こうに広がる血染めのような夕闇の中へ、わたしは足を踏み出した。
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