第58話 獣の王

 ジャファルが告げた冷徹な一言に、俺は椅子を蹴って立ち上がった。

 腰の剣鉈マチェットに手を添え、ジャファルに対して本気の殺気をぶつける。

 だが、ジャファルは微塵も驚いた様子もなく、暗い瞳で俺を見返してくる。


「なんのつもりですか? セツナ様」

「……悪いが、お前の意見には従えない。俺にはアトリが必要だ。あいつを連れて行くっていうなら、俺にも考えがある」

「なら、セツナ様も『虚無の因子』とご一緒しますか?」

「冗談じゃねえ。お前にアトリは任せれない、って言ってんだ」


 アトリをモノ扱いするようなやつに、彼女を預けられるわけがない。

 俺は本気を示すために剣鉈を抜くと、ジャファルはつまらなそうに剣鉈を一瞥いちべつした。


「吐いたツバは呑めませんよ、セツナ様」

「んなこたぁわかってんだよ」

「…………そこの劣等種どもも、わかっているのか?」


 ジャファルは言って、ラグナルとラゴスに視線を向ける。


 いつの間にか、隣に座っていたラグナルも立ち上がって、腰の長剣に手を置いていた。ギャングと対していた時より遥かに鋭い眼光で、ジャファルを睨みつけている。

 同じように、ラゴスもまだ困惑が抜けきっていないようだったが、腰の双剣を抜けるように構えをとっていた。

 気の毒なくらいあぶらあせをかいているが、それでもラゴスはジャファルに吠えかかる。


「勇者様が決めたのなら、俺らはそれに従うだけっす。そのためなら、命だって惜しくないっす」

「同じく、我々はセツナ様のご意思を尊重します。それをはばむと言うなら、領主様でも容赦しません」

「容赦しない、か……わたしもめられたものだな」


 ジャファルは苦笑するでもなくぼやいてから、椅子から腰を上げた。


「いいでしょう、セツナ様。ここはひとつ、武功ぶこう八傑はっけつの実力を教えて差し上げましょう」

「ちょっ、ちょっとジャファルくん! いきなりこんなところで揉め事起こさないでよ!」

「揉め事ではない。武術の手ほどきをして差し上げるだけだ。関わりたくないなら、黙って下がっていろ」

「いや、無理あるって……もぉ〜、誰も殺しちゃダメだかんね?」


 イヴリスは文句を言いながらも、立ち上がって部屋の隅まで距離を取った。

 どうやら、人死には困るがいさかい自体を止める気はないらしい。


 ジャファルはテーブルに立て掛けていた斧槍ハルバードを手に取り、そのまま構えるでもなく静かに俺たちの動きを待ち受ける。

 なんら威圧的な構えを取っていないというのに、凄まじいプレッシャーにさらされ、俺は知らない内に冷や汗をかいていた。


 念のため、俺はやつの斧槍を『鑑定』で見る。

 やつの得物は如意にょい伸槍しんそうという魔道具らしく、使い手の意思に応じて自在に長さが変化するらしい。

 槍の時点で間合いが不利だというのに、更にそんな効果までついてるとは……とてつもなく厄介な武器だな。

 その上、ジャファルは『槍術』『棒術』『斧術』スキルを高レベルで持ち合わせている。

『剛力』のスキルも合わせると、得物を長くしても短くしても驚異的な強さを発揮するだろう。


 それでも、退くわけにはいかない。


 俺が動き出そうとした瞬間、ラゴスが動いた。

 腰の双剣を抜き放ってから、『俊敏』のスピードでジャファルの背面に回り込む。

 同時にラグナルも長剣を抜き、ジャファルを側面から斬りかかる。


 こいつら……即席のタッグの割りに、凄まじいコンビネーションだな。

 俺の動き出しに合わせて同時に仕掛けることで、即死系スキルを持つ俺の攻撃が通りやすくしてくれてるのか。

 冷静に分析しつつ、俺は剣鉈をジャファルの首めがけて『狙撃』で投げつける。


 正面からの剣鉈、背後からのラゴス、側面からのラグナル――その波状攻撃を前に、ジャファルは暗い瞳のまま斧槍を持ち上げた。


「――――っ!」


 剣鉈を紙一重の見切りで回避すると、振り向きざまにラゴスに斧槍を叩きつける。

 ジャファルの斬撃を双剣で受けるが、『剛力』のパワーを押さえ切ることはできず、ラゴスは壁まで吹っ飛ばされる。

 更に、ラグナルの斬撃は斧槍の伸びた柄で受け止められていた。

 とっさに下がろうとしたラグナルの腹を蹴り飛ばし、ラグナルも壁まで吹き飛ばされる。


 当然、攻撃はまだ終わりじゃない。


 ジャファルが二人の対応をしている内に、俺はテーブルの上に飛び乗って間合いを詰めていた。

 もう一本の剣鉈を抜き、いまだ背中を向けているジャファルの首筋を斬りつける――!


 だが、やつの反応は俺の予想を遥かに上回っていた。

 コマのように高速で回転しながら、斧槍で俺の剣鉈を床に叩き落とす。

 すべての武器を失い、これで万策尽きた――そうジャファルが思っていれば、俺の思惑通りだった。


「シャドウ・パス」


 準備していた闇魔法を解放すると同時に、俺は懐に隠していたナイフを抜いて、テーブルに落ちた影に腕ごと突っ込む。

 そして――テーブルに落ちた影は俺の影と重なり、俺の影はジャファルの体まで伸びている。

 その影をシャドウ・パスがつなげ、影に突っ込んだ俺の腕がジャファルの肩口から飛び出した。

 肩から飛び出した勢いのまま、俺はジャファルの首を斬る――


 ――寸前に、ジャファルは俺の手首をつかんでいた。

 つかまれたと同時に、ジャファルに手首の関節を外されて激痛が走る。

 ジャファルはすぐに俺の手首を放し、俺はシャドウ・パスから自分の腕を引き上げる。手首の関節くらいなら戻せるが、おそらく次は骨を砕かれるだろう。


 ジャファルは微塵の焦りも怒りもなく、無表情のまま俺を見下ろしている。


「あの一瞬で連続の奇襲をしかけたのはお見事ですが、根本的に実力が足りませんね。その程度では、わたしに傷一つつけることはできないでしょう」

「……クソったれ」


 吐き捨てつつ、理解する。


 この男は格が違う。ラゴスでさえ強敵だと感じていたが、その遥か上を行っている。

 俺のスキルならただ一撃与えるだけでも十分に勝てるというのに、その一撃があまりにも遠い。

 ラグナルが勝負にならないと言っていたのも、納得の強さだった。


 俺の目を見返しながら、ジャファルは問いかけてくる。


「さて、手品はこれでしまいですか?」

「……お望みとあれば、死ぬまで続けてやるさ」

「申し訳ありませんが、そこまでは付き合いきれませんね。ですが……もう少し痛い目を見ないと学習できないのなら、そうさせていただきましょう」


 言って、ジャファルは拳を振りかぶり――


「やめてくださいっ!」


 突然割り込んできた声に、動きを止めた。

 予想外の声に思わず視線をやると、そこにはアトリが立っていた。

 彼女は覚悟を決めた表情で、ジャファルに向かって歩き出す。


「あなたの望みはわたしでしょう? これ以上、セツナに手を出さないでください」

「アトリ! なんで出てきたっ!?」


 最悪、騒ぎの間に逃げてくれることを期待していたのだが……まさか居間に出てくるとは想定外だった。

 俺の悲鳴のような叫びに一度だけ寂しげに笑ってから、アトリはジャファルに視線を戻す。


「セツナに手出ししないのなら、わたしは抵抗しません。さあ、早く連れて行ってください」

「セツナ様はご納得していないようだが?」

「わたしが説得します」


 言って、アトリはこちらに近づいてくる。

 その顔には、冷徹な意思の仮面が貼り付いている。


「セツナ……今までありがとうございました。わたしは十分、自由を満喫できました。これ以上を望むのはわがままでしょう。わたしは、本来のお役目に戻ることにします」

「……ふざけんなっ! 幽閉されるだけじゃ済まないかもしれないんだぞ!?」

「だとしても、それが『虚無の因子』の役目です。これ以上、わたしのわがままで誰かが傷つくのを見たくありません」


 きっぱりと言い切ってから、アトリは俺の頬に手を添える。


「それに……セツナにはもう、ちゃんと仲間ができたじゃありませんか? 今のセツナには、もうわたしは必要ありません」

「お前……っ!?」


 反論しようとする前に。


「スリープ」


 アトリの魔法が、至近距離で発動した。

 急激な眠気に襲われ、俺は体中から力が抜けていくのを自覚する。

 それでも必死にアトリに取りすがろうとするが、彼女は悲しげに俺の手を振り払った。


「さようなら、セツナ。あなたのこと、きっと一生忘れません」


 薄れていく意識の中――最後に見たアトリの顔は、泣き出す寸前のような悲しい笑顔だった。

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