第27話 不寝番

 二時間ほど外の警戒を続けると、ようやくアトリが目を覚ました。


「…………んぅ……セツナ……?」


 ベッドからもぞもぞと起き上がるなり、俺を探して視線をさまよわせる。

 かたわらに立っている俺に気づくと、親を見つけた迷子みたいに安心した表情を見せた。


「よかったぁ……無事だったんですね、セツナ」

「アホ」

「痛っ」


 嬉しそうなアトリの額にデコピンをくれてやると、アトリは不満そうに唇を尖らせた。


「……もー。セツナってば、いきなり何するんですか」

「やかましい。人には無茶するなと言ったくせに、勝手に無茶しやがって」

「うっ……そ、それは……」

「ああいうことは先に言っといてもらわないと困るぞ。先にわかってれば、他の方法を考えるとかもできたってのに……」

「わ、わかりました! わかりましたから! それよりセツナ、今の状況を説明してもらえませんかっ!?」


 話題をそらしたいのは見え見えだったが、確かにそちらの話も重要だ。

 アトリも反省しているようだし、お説教はここまでにしておこう。

 無茶な行動でいえば、俺も人のこと言えないしな……


 城壁を越えてからの経緯を簡単に話すと、アトリは真剣な表情で考え事を始めた。


「なるほど。では、ここはセリオンの居住区なのですね」

「……セリオン?」

「いわゆる獣人種の総称ですね。エルフやドワーフなどと同じく人類の一種です。他の種族と比べて極めて身体能力が高く、種族が細分化されていることでも知られています」

「……身体能力が高い、か」


 言われてみると、ミーシャとクーファもかなり肉弾戦向きのスキルセットだったな。

 となると、二人の祖父とやらもその上位互換な能力値なんだろうな……できれば真っ向勝負は避けたい相手だ。


「魔法大国であるバルディアには獣人種は少ないので、わたしも実際に接したことはないのですが……気性の荒い方が多いと文献には書かれていたのですが、優しい方たちもいらっしゃるのですね」

「あんまり油断するなよ。あいつらがなにか企んでる可能性だってあるんだからな」

「そうかもしれませんが……だとしたら、なぜわざわざ助けてくださったんでしょう?」

「おいおい、マイラの件をもう忘れたのかよ?」


 マイラに擬態ぎたいしたドッペルゲンガーは、俺たちを油断させて楽に事を運ぶために、あえて味方のフリをして近づいてきた。

 人間だって、あれと同じくらいえげつないことはやってくる。


 マイラのことを思い出したのか、アトリの表情に暗い影がよぎる。

 だが、油断して甘い判断で身を滅ぼすよりも、疑心暗鬼になってギリギリまで最悪の状況を想定しておくほうが、生存の可能性は高まる。

 癒えていない傷口をえぐったことに罪悪感はあるが、俺はあえて無神経に続けた。


「正直、俺はまだミーシャたちを疑ってる。俺たちみたいな怪しい連中を助けるなんて、どう考えても不自然だ。お人好しが過ぎるし、俺たちのことを詮索せんさくしてこなかったのも怪しい。裏があるとしか思えない」

「……そうですね。わたしも、油断しないよう気をつけます」

「そうしてくれ」


 正直、アトリに猜疑心さいぎしんを植えつけるのは本意ではなかったが……俺がいつも、アトリの側にいられるとは限らない。

 アトリにもある程度、警戒心を持っておいて欲しかった。


「……ま、気詰まりする話はここまでにしよう。疲れてるだろうし、さっさと寝てくれ」

「そうですね……って、セツナはどうするんですか?」


 俺が一向にベッドに入る気配がないのを見て、アトリは怪訝そうに首を傾げた。

 その目聡めざとさに苦笑しつつ、俺は曖昧に返す。


「俺はまだ、やることがあるからな」

「やること…………もしかして!?」


 思案げに虚空を見つめてから、アトリは急に顔を赤くした。


「そ、そんな、セツナったら……確かに約束してましたけど、早速だなんて……それも、わたしが眠ったあとに……わ、わたしとしては、もっとこう、雰囲気を大事にしていただきたいのですけど……」

「…………は? なんの話だ?」

「え? ですから、その……約束を果たしてくださるのではないのですか?」

「約束?」

「で、ですからっ! あ、あの……森を抜けて街までたどり着けたら、わたしのことをもらってくれるっていう……」


 ……………………あー。そう言えば、そんな話もあったな。


 というか、このタイミングでそれを思い出すか。

 こいつ、やっぱ油断しまくってるんじゃなかろうな……


「アホ。言っとくが、今はまだ『即全滅の危機』から逃れられたわけじゃないぞ」

「えー……? じゃあ、やることって……?」

「外の警戒だ」


 俺の回答を予測していたのか、アトリは大げさに溜息をついた。


「まさかセツナ、そのまま一晩中警戒し続けるつもりですか?」

「当然だ」

「明日の朝、ミーシャさんたちのお爺さまと会うんですよね? 徹夜明けの状態で会って、付け入る隙を与えるのはセツナの本意じゃないのでは?」

「それはそうだが……今だって、油断して警戒を解くわけにもいかないだろ」

「夜襲の可能性は確かに警戒すべきですが、その負担をひとりで背負う必要はない、と言っているんです」

「…………なら、どうするって言うんだ?」


 なんとなく話の流れは読めていたが、あえて切り込む。

 俺の予想通り、アトリは得意げに豊かな胸を張って答えてくる。


「交互に警戒しましょう。先ほどまで気絶してましたし、わたしが先に不寝番ふしんばんを担当します」

「…………いや、素直に寝ておけって」

「ちょっと! なんでそんな不審そうな目で見るんですか! わたしにだって不寝番くらいできますよ!」

「いや、お前一応一国の王女なわけだし……そういうの、やったことないだろ。俺は徹夜で働いてたこともあるけど、お前は徹夜自体したことないんじゃないのか?」

「甘いですよ、セツナ。わたしなんて所詮、お飾りの王女でしたから、公式の催事に呼ばれることなんてありません。つまり、他人の都合に合わせる必要などないので、徹夜で本を読んだりし放題だったのです」


 えへんと胸を張ってやがるが、それ胸を張って言うことじゃないからな。


「……アトリは病み上がりだし、魔力も切れてるだろ。それじゃ不寝番をしてても、なにもできないじゃねえか」

「結構気絶してたみたいですし、体調は大丈夫ですっ。魔力も多少は回復してますし、本当に問題が起きた時は真っ先にセツナを起こしますよ!」

「まぁ、ひとりで対処されるよりは、そのほうがよっぽどありがたいが……」

「…………やっぱり、わたしじゃ信用できませんか?」


 アトリが不安げな表情で、上目遣いで尋ねてくる。

 泣き落としの表情にぐらっとくるが、俺は咳払いをして心を鬼にした。


「……あぁ、信用できない。提案はありがたいが、やっぱり不寝番は『魔力感知』を持ってる俺のほうが遥かに向いてる」

「そうですか……」


 はっきり告げてやると、アトリは落ち込んだようにうつむいてから――ニコニコと妙に明るい笑顔で、顔を上げた。

 明らかな作り笑いの向こうには、微妙に怒りの気配を感じる。


「じゃあ、こうしましょう。交替で不寝番をするか、わたしがセツナを強制的に魔法で眠らせるか。どっちがいいですか?」

「は……? いや、お前、俺の話を……」

?」


 有無を言わせぬ迫力で繰り返され、さすがに俺も反論を諦めた。

 ……というか、これ以上反論したら、マジで魔法で眠らされそうだ。そうなったらシャレにならん。


「……………………ぜ、前者でお願いします」

「わかりました! では、セツナは寝ててくださいね。一、二時間経ったら起こしますから」


 俺をベッドに押しやると、アトリはニコニコと明るい作り笑いを浮かべたまま、俺が寝入るのを観察してくる。

 …………こいつ、怒らせると結構厄介なタイプだな。


 俺は仕方なく装備を外し、寝たフリをするためにベッドに潜り込み――どっと押し寄せてきた疲れにあらがえず、ものの数分で眠りに落ちた。

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