第18話 約束を果たす時
マイラの顔に不気味な笑みを浮かべたまま、やつは気楽な調子で話しかけてくる。
「それにしても、君もなかなか悪いやつだね。わざわざこの子の怒りを煽るようなことを言って、ボクに全力の魔法攻撃をしかけさせるなんて。まぁ急所を狙えないボクを倒すために、魔法攻撃でまるごと吹っ飛ばそうって発想は的確だったけどね」
嫌味ったらしくこちらの考えを解説してくるが、俺は無視してやつの足元に転がるアトリを『鑑定』で
アトリーシア・エル・ディード・バルディア
種族:ハーフエルフ
クラス:賢者
状態:麻痺
レベル:20
魔力:105/1500
スキル:
全属性魔法(レベル:4)
虚無の因子(レベル:9)
……とりあえず、命に別状はなさそうだ。
とはいえ、アトリはすでに麻痺毒が全身に回り始めているのか、横たわったままほとんど身動きもしない。震える腕で立ち上がろうとしているが、まるで成功していなかった。
…………まずいな。
はっきり言って、俺とドッペルゲンガーは相性が最悪だ。
不意をついて急所を一撃する以外の戦い方を知らない俺に対して、急所を持たないドッペルゲンガーは天敵としか言いようがない。
アトリの魔法攻撃も当てにできないとなると、とてもではないが勝ち筋が見えない。
「…………て、ください」
震える声が聞こえてきて、俺はアトリに視線を戻した。
アトリは麻痺した身体を動かして、こちらに儚げな微笑を向けていた。額には汗が浮かび、彼女の苦しみが否応なく伝わってくる。
「…………セツナ……逃げ、て、ください」
「アトリ、お前……」
「わたしは……大丈夫、ですから……っ」
アトリは息も絶え絶えに、必死に笑顔を浮かべて訴えてくる。
そんな彼女の姿に、俺は――猛烈な怒りを覚えていた。
……こいつ、また自分を犠牲にするつもりかよ。
王都や砦で自分を殺して生きていた時のように。自分を殺せと俺に懇願した時のように。
怒りとやるせない気持ちを噛み殺しながら、俺はきっぱりと吐き捨てた。
「ふざけんな」
「…………セツ、ナ?」
「言っとくがな、俺はお前との約束を破る気はねえんだよ。忘れたのか?」
俺の言葉の意味を理解したのか、アトリの瞳に理解の色が浮かび、儚げな微笑に微かに喜びが滲んだ。
――そう。俺は必ず約束を果たす。
(あんたが生きることを世界が許さないってんなら、世界中を敵に回してでも、俺があんたの人生を守ってやる。誰が敵に回ろうと、徹底的に抗ってやる。
それでも、どうしてもダメな時は――その時こそ、俺があんたを殺してやる)
今が、その時だ。
正面のドッペルゲンガーに視線を戻す。
やつはマイラの顔で退屈そうな表情を浮かべながら、俺たちのやり取りを眺めている。
アトリをすぐに殺さなかったのは、こいつの目的がアトリの捕獲だからだろう。
アトリも言っていたが、『虚無の因子』を持つアトリは対破壊神用の兵器にもなりうる存在だ。魔物に捕まれば、地獄のような人体実験を受け続ける可能性が高い。
それに――目の前のドッペルゲンガーは「生きたまま対象を食う」ことで、記憶や能力をまるごと擬態できる。
アトリがこいつに食われるかもと考えるだけで、
――そうなるくらいなら、俺がここでアトリを殺してみせる。
ドッペルゲンガーを殺すことはできなくても、それくらいならできるはずだ。
ドッペルゲンガーは俺の顔を見て、呆れたようにかぶりを振った。
「まいったなぁ。まだ戦う気満々って顔じゃないか」
「……当然だ」
「正直、ボクとしては君をここで殺したくはないんだよね。なんと言っても君は勇者で、破壊神を殺すために必要な手駒だ。活かしたまま利用するほうが都合がいいし……なにより、今の弱っちい君を食っても、ボクにメリットがないんだよね」
「言ってくれるじゃねえか」
まぁ実際、こいつからしたら俺なんて、いつでも殺せる
むかつくが、事実なので反論のしようもない。
――だが、そうやって俺をなめているなら、チャンスはある。
こいつと戦うフリをして、隙をついてアトリを殺す。
そのためならば、腕の一本どころか俺の命までくれてやる。
俺は腰を落として『俊敏』を発動できる体勢を作り、マイラの
それを見て、ドッペルゲンガーは大仰に溜息をついた。
「まったく、君ってやつはとことん邪魔をしてくれるね。せっかく『虚無の因子』を捕まえるために色々お膳立てしたっていうのに、正体を暴いてくれちゃった上に、まだこうして邪魔してきて……正直、だいぶむかついてるんだよね」
「お膳立てだ? 他人の身体と記憶を奪っただけで、でかいツラするんじゃねえよ」
「なんだ。君、意外にバカなのか? 弱っちい君と魔力欠乏の『虚無の因子』がこの森で生き延びられたのは、誰のおかげだと思ってるんだい?」
やつはマイラの姿のままそう言うと、自分の胸に手を当てた。
「……そういや、森の魔物を殺して回ってたって言ってたな。あれはマジだったのか」
「当然だろ。だって、他の雑魚どもに『虚無の因子』を奪われでもしたら、ボクの手柄が台無しになっちゃうじゃないか」
それだけのために、こいつは仲間であるはずの魔物たちを殺しまくっていたのか。
移動中に死体を見なかったところを考えると、そいつらもほとんど食ったのだろう。
俺が出くわしたゴブリンどもも、アトリを探していたのではなく、むしろこいつを警戒していたのかもしれない。
魔物同士の殺し合いなんぞはどうでもいいが……自分の都合のためだけに、そこまで自分勝手に振る舞えるところは、最高に気に入らない。
当のドッペルゲンガーも、俺に対して同じようなことを思っているようだった。
「まぁ、君とはもうちょっとだけ遊んであげるよ。ただ……本気でむかついてるから、うっかり殺しちゃっても文句は言わないでよね?」
「やれるもんならやってみろ」
月並みなセリフを返しながら、俺はドッペルゲンガーをどうかわすか思考を巡らす。
俺の目的が「アトリを殺すこと」だと気づかれたら、やつはすぐにこの場を離脱するか、俺の殺すだろう。
ギリギリまで目的を隠しつつ、たった一度のチャンスを確実にものにしなければ、アトリは連中の実験動物にさせられてしまう。
――クソ。ダメだ。
体を突き動かすような焦りのせいで、まったく思考がまとまらない。
ドッペルゲンガーの手の内もわかっていないし、確実に隙を作れる保証などどこにもない。
かかっているのが俺の命だけならいくらでも博打が打てるが、アトリがかかっていると思うと、とても冷静ではいられない。
なにより――俺の中の「アトリを殺したくない」という気持ちが、完全に思考を乱していた。
こっちの焦りなど知る
「そっちがこないから、こっちから行くよ……?」
言って、やつはこちらに向けて魔力を解き放つ。
周囲の地面から黒い影が立ち上がり、俺の周囲を瞬く間に暗闇で取り囲んだ。
三六〇度完全に闇の
森や草いきれの匂いもなく、足場を踏み直しても草葉の感触も感じられない。まるで、一瞬にして闇の檻の中に囚われたようだった。
おそらく、『闇魔法』を使われたのだろう。
だが、おかしい。
周囲を闇で囲んだだけで、どうして今まで感じていた匂いや感触まで消えてしまったのだ? この、まったく見知らぬ世界に放り出されたような、奇妙な感覚はなんだ?
いったい、どうなって――
「――こんなところにいやがったのか、
聞き慣れただみ声が聞こえてきて、俺は頭が真っ白になった。
全身に震えが走るのを感じながら、なんとか声の方向に身体を向ける。
そこに立っていたのは、嫌というほど見慣れた男だった。
ぼさぼさの髪、生えっぱなしの無精髭。明らかに酒が抜けておらず、焦点が怪しいやぶにらみの目。無駄に鍛えられた筋肉の上に、Tシャツとジーンズだけのラフな格好。
「な、なんで……あんたがここに……」
「あんた、だぁ? おいおい。随分生意気なクチきいてくれるじゃねえか、バカ息子よぉ?」
――数日ぶりに会った親父は、獣のような顔で俺を嘲笑っていた。
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