第17話 森の死闘
「さぁて、それじゃあ――正々堂々殺し合うとしようか?」
無論、俺とやつの辞書には『正々堂々』なんて単語は載っていない。
俺は即座に『鑑定』を起動した。
【無名】
種族:ドッペルゲンガー
クラス:戦士
状態:正常
レベル:35
魔力:253/321
スキル:
変身(レベル:9)
闇魔法(レベル:5)
毒耐性(レベル:9)
なるほど。それがお前の正体か。
納得すると同時に、そのピーキーな能力に呆れてもいた。
戦闘スキルはまったく持たず、変身だけを得意とする魔物ね。そんなやつ、いったいどんな使いみちがあるっていうんだ?
…………いや、あるか。
思い出す。アトリの祖国、バルディア王国が滅ぼされたことを。その惨劇に、王国内の内通者がいた可能性があることを。
こいつの能力があれば、王国内への潜入も工作も容易だろう。
そして、足の速い魔物に変身してその能力まで擬態することができるなら、王都からこの森まで数日と立たずに移動することも可能なはずだ。
そして、当然こいつにはそれができる。
なにせアトリを騙せるほどに、マイラの性格や記憶まで完璧に擬態してみせたのだ。
能力を擬態できないなんて、とてもではないが考えられない。
やつ――ドッペルゲンガーは姿を変え、巨大な鬼のような姿に变化した。
三メートル近い巨体に、全身を覆う分厚い筋肉。血のように赤い肌に、額からは二本の角が飛び出している。
鋭く尖った牙は口からはみ出し、あざ笑うような眼光がこちらを見下ろしてくる。
「行くぜ、人間」
「来い、化物」
凄まじい拳圧に怯みそうになるが、俺はすんでのところで『俊敏』を発動して後ろに飛び退った。赤鬼の拳が地面をえぐると同時に、
だが赤鬼はまるで痛がる様子もなく、すぐに傷口を塞いで右腕を振り回してくる。
それもバックステップで回避しながら、俺は再度赤鬼に『鑑定』を使用した。
【無名】
種族:ドッペルゲンガー
クラス:戦士
状態:正常
レベル:35
魔力:248/321
スキル:
変身(レベル:9)
闇魔法(レベル:5)
毒耐性(レベル:9)
なにも変わってない……いや、魔力が5減っているか。
マイラに『変身』していた時は、『鑑定』の結果まで欺いていたが、今回はそれができていない。
ということは、つまり――
「……お前か。マイラを殺したのは」
呟くように問うと、赤鬼はぎょっとしたように動きを止めた。
その隙を逃さず、俺は畳み掛ける。
「お前の『変身』能力には、完全版と不完全版がある。不完全版は今の姿みたいに、姿を真似できても能力や記憶までは真似できないもの。そして完全版は、マイラの時のように記憶や能力まで再現できるもの。まともな戦闘スキルを持っていないお前が、いま後者を使わないってことは……当然後者のほうにはなんらかの制約があるってことだ。そして、その制約ってのは……相手を殺すこと、ってところか?」
赤鬼はシラを切ろうと一瞬だけ迷ったあと、すぐに無駄だと判断したのだろう。開き直ったように嘆息をついた。
「あぁ、そうさ。あの人間どもはまとめてボクが食ってやったよ。そこがボクの能力の難儀なところでね。変身対象を生きたまま食わないと、記憶や能力を再現できないんだ。魂はもちろんだけど、肉体に染み付いてる記憶っていうのもあるからね。生きた人間をバリボリ
「…………」
「でも、そこまで指摘できるってことは……君、『鑑定』スキル持ちだね?
「迂闊? バカ言え」
俺は吐き捨ててから、背後のアトリを見やった。
アトリは燃え盛るような怒りを込めた眼光で、赤鬼を見上げていた。彼女の体内から凄まじい魔力が立ち昇り、渦巻くように彼女の全身にまとわりついている。
爆発寸前の爆弾みたいな不穏さに、赤鬼も完全に警戒を俺からアトリに移していた。
アトリは整った顔立ちに冷たい怒りを湛えたまま、静かに問うてくる。
「…………セツナ」
「なんだ?」
「この魔物、わたしが倒してもいいですか?」
明確な殺意のこもった声に、俺はきっぱりとうなずいた。
「あぁ。やっちまえ」
答えると同時に。
アトリの全身から放射していた魔力が、凄まじい勢いで形を成し始める。
魔力が無数の炎の槍に
「バースト・ランス――《
言葉とともに、火槍が一斉に赤鬼に襲いかかる。
一本一本が凄まじい威力を持った火槍は、赤鬼の体にぶつかる度に爆発を起こし、赤鬼の巨躯を削り取っていく。
火槍に押し返されて前に出ることもできないのか、赤鬼は絶叫を上げながら、必死にその場で守りを固める。
だが、そんな虚しい抵抗など意味をなさないほど、アトリの攻撃には容赦がなかった。
彼女は微塵も表情を変えないまま、爆煙の中の赤鬼へと数えきれない量の火槍を打ち込み続ける。
赤鬼の体が完全に塵と化したあと――ようやく、火槍の雨が収まった。
アトリは肩で息をしていたが、毅然とした表情で赤鬼が消えたあとを睨み続けていた。
やはり、アトリにとってマイラは大事な存在だったのだろう。
例え主従の関係を越えることがなく、友人にはなれない相手だったとしても、彼女を命がけで守り続けてきたかけがえのない人だったのだ。
アトリがそんな大事な人を失ったのだと思うと、俺も少しだけ胸が痛んだ。
それ以上に――マイラの記憶と肉体を
気持ちの整理はまだついていないはずだろうに、アトリは大きく息を吐いてから、無理して微笑を作ってみせた。
「マイラの
「……いや」
こんな時にかけられる言葉なんて、対人経験の
俺は彼女の視線から逃れるように、地面に視線を落とし――
――アトリの足元の地面から頭を出した、毒々しい色の蛇にようやく気がついた。
同時に、気づく。
アトリの攻撃は爆発を伴うため、煙で視界が悪くなっていた。
あの視界の悪さでは、赤鬼がまともに動いていたのかさえわからない。
その上で……もし、やつがふたつの魔物に同時に化けられるとしたら。
赤鬼の体を囮にして安全な地中に逃げ、タイミングを見計らってアトリを攻撃するくらいのことは、当然考えるのではないか?
――そもそも、わざわざマイラの殺し方を詳細に語ってみせたのは、この状況を作って俺たちを油断させるためだったのではないか?
「アトリっ!」
叫ぶが、遅い。
蛇は瞬時にアトリの脚に絡みつくと、白い肌に牙を突き立てた。
「痛っ!」
アトリが悲鳴を上げると同時に、その場にくずおれる。
俺はとっさに駆け寄りかけたが、理性で必死にブレーキをかけた。
体長1メートルにも満たなかった蛇が、
「やだなぁ。あんな単調な攻撃で、ボクがやられるわけないじゃないか」
再びマイラの姿となったそれは、口が裂けたような不気味な笑みを浮かべた。
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