第16話 マイラ(3)

「――マイラっ!」


 背後から、アトリの甲高い悲鳴と足音が聞こえてくる。

 だが俺は振り返ることもできず、マイラの喉笛に剣鉈マチェットを突き立てたまま、彼女の瞳を真っ直ぐに見据えていた。


「セツナ、これはいったいどういうことですかっ!? どうしてこんな――っ!」

「落ち着け。よく見ろ」


 短く告げると同時に、背後でアトリの足音が止まった。

 俺も真っ直ぐ、マイラの喉笛に視線を向ける。


 剣鉈が突き立てられた彼女の喉からは、一滴の血も流れてはいなかった。


 傷口をえぐるように剣鉈を動かしながら、俺はマイラに告げる。


の次は死んだフリか? いい加減、猿芝居はやめろ」


 その言葉に反応して――驚いたように見開かれていたマイラの黒瞳こくとうが、ぎょろりと俺の顔をねめつけてくる。


「……おかしいですね。どうして気づかれてしまったのでしょう」

「教えてやる義理があるか?」


 俺は冷たく吐き捨てるが、アトリも動揺に震える声で尋ねてきた。


「こ、これはいったい……どういうことなんですか……? どうしてマイラがこんな……セツナ、マイラ……誰か教えてくださいっ!」

「考えるまでもないだろ。こいつはマイラの偽物――姿


 背後で、アトリが息を呑む音がした。


「で、ですが……そんなバカな……マイラにはちゃんと記憶もありましたし、とても魔物だとは……」

「思えなくてもそうなんだよ。これがなにより物語ってるだろ」


 マイラの喉笛に刺さった剣鉈を軽くえぐってみせる。

 当然血は一滴も流れず、マイラは微塵も表情を変えない。むしろ面白がるように、剣鉈と俺とを見下ろしている。


「そもそも、こいつは最初っから怪しかったんだ。魔物の囮になって、味方は全員殺されたってのに、ひとりだけ無傷ってのはどう考えてもおかしいだろ」

「それは、確かにそうですが……」

「その上、こいつの格好は。二日間も森をさまよって魔物を倒して回っていたってのに、土や草の汚れもなけりゃ、返り血ひとつ浴びてない。そののエプロンを見た瞬間から、俺はこいつを疑ってたんだよ」


 俺の考えを聞いてようやく確信を得たのか、背後でアトリが後ずさる音が聞こえた。

 マイラ――いや、マイラの姿をした魔物は、三日月のような不気味な笑みを浮かべた。


「なるほど。そんな簡単に見破られちゃうなんて、ボクもまだまだ未熟だなぁ」

「……それがお前の本性か」


 軽薄な言葉遣いに眉をひそめつつ、俺は自分の考えをまとめ直す。


 初めて遭遇した時、俺の『魔力感知』が感知したマイラの魔力量はアトリと同等だった。

 だが実際に『鑑定』をしてみると、マイラの魔力量は俺と大差ないほどに少なかった。

 なにか魔力源となるアイテムでも持っているのかと思ったが、『鑑定』しても武器はただの剣鉈だし、メイド服もただのメイド服だった。

 つまり――こいつはなんらかの方法で、俺の『鑑定』の結果をごまかしていたのだ。

 そして『鑑定』の結果をごまかす目的など明白だ。

 その時点で、が『マイラの姿を借りた魔物』であることを疑い始めた。


 決定的だったのは、こいつのステータス変化だ。

 魔物が潜む森の中を二日間も歩き回っておきながら、こいつの魔力はたったの1すら変動していなかった。

 しかも、俺が『毒物生成』で強力な痺れ薬を仕込んだ果実を口にしても、こいつは状態が正常のままだった。

 そもそも――いかに訓練を積んでいるとはいえ、二日間も魔物を倒しながら森をさまよっていて、疲弊していないのはどう考えてもおかしい。


 故に、俺はマイラを魔物と断定し、確実に殺せるタイミングで仕留めるチャンスを狙っていたのだ。

 作戦は功を奏し、相手の片手を封じた上でこちらの利き手を自由にし、『暗殺剣』のスキルで確実に急所を貫いた。


 ――はずだったのだが。


「……その様子じゃ、どうやら奇襲は失敗したみたいだな」


 言いつつ、俺は喉笛から剣鉈を引き抜いて、魔物から静かに距離を取った。

 魔物はすぐに傷口をふさぐと、ごきっ、ごきっと音を立てて骨格を作り変えながら、不気味な笑みを深めた。


「もちろん、そんな簡単にやられるわけがないさ。でも、おかげでこっちもいい情報をもらったよ」

「…………ほう?」

「そこまで理屈を並べておきながら、問いただす前に奇襲してきたってこことは……君、実は相当弱いだろ?」

「おいおい。俺は破壊神討滅のために召喚された勇者様だぞ? 弱いわけないだろうが」

「ボクもそう思ってたから、しばらく様子を見てたんだけどね……君の動きは武術をやってる人のそれじゃないし、魔力量も大したことない。その上、奇襲の腕だけは鋭いとくれば……君がどういうスキルの持ち主なのか、嫌でも想像がつくよね?」


 魔物のくせに極めて冷静な分析をされ、俺は思わず舌打ちしそうになった。


 ――しまった。奇襲が完全に裏目に出た。

 だが、あのまま野営に入ってしまったら、俺が寝ている間に確実にアトリがさらわれていただろう。

 仮に俺が不寝番ふしんばんをしたところで、それで疲弊してしまえば結果は同じだ。

 仕掛けるなら今しかなかったとはいえ、少し焦りすぎたか。


 俺の奇襲は『暗殺剣』に裏打ちされていた、完全な攻撃だった。

 それが効かなかったということは、こいつは急所も擬態しているということだ。

 ゴブリンのような人型の魔物感覚で急所を狙ったために、こいつ本来の急所を見過ごしてしまっただろう。


 だが……『暗殺剣』のサポートが効かないのなら、俺ではこいつに太刀打ちできないんじゃないのか?


 背筋に冷たいものが走り、俺は震えを必死で堪えなければならなかった。

 呑まれるな。気持ちまで負けたら、本当に勝機がなくなってしまう。


 アトリをかばうように腕を広げ、両手で剣鉈を構える。

 剣術の構えなど知らないので、とにかく本能で戦うしかない。


 魔物はすでにマイラだった頃の面影すらなく、全身のっぺらぼうのような異形へと変化していた。

 やつは凹凸のない顔でこちらを見下ろし、口が裂けたような不気味な笑みを浮かべて告げる。


「さぁて、それじゃあ――正々堂々殺し合うとしようか?」

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