第12話 遭遇

 移動を再開してしばらくすると、『魔力感知』が反応を示した。


「アトリ、この先にいる」


 腕に抱えたアトリに小声で伝えつつ、手近な木陰に隠れる。

 アトリは緊張したように身を固くしたが、口元を押さえて俺の指示を待っている。


『魔力感知』に反応している魔力は五つ。小さな四つの魔力が、中央の大きな一つを囲むように動き、交互に中央の魔力にぶつかっている。

 普通に考えれば、四対一で群れと何者かが交戦しているのだろうが……動物にもわけのわからん求愛行動があることだし、魔物の習性かなにかという可能性も捨てきれない。


 それに――仮に交戦しているとして、俺たちには関わりのない話だ。

 人間と魔物が戦っているのだとしても、どちらもアトリの味方とは断定できない。当然、魔物と魔物が戦っている可能性だってある。

 戦いが終わるのを待ってやり過ごすか、交戦後の弱ったところを突いて強行突破するほうが利口だろう。

 情けないが、それが弱者の処世術というものだ。


 息を殺して待っていると、思ったよりもすぐに形勢が傾き始めた。

 取り囲まれているほうの大きな魔力が、交差するたびに敵を一体ずつ屠っていく。

 群れは残り二体になったあたりで逃げようとしたようだったが、取り囲まれていたほうはすかさず強力な魔力を放ち、残り二体を同時に消し飛ばした。


 ――こいつ、控えめに言ってもかなり強い。

『魔力感知』で見る限り、やつの魔力量はアトリの魔力量を凌駕りょうがしている。今のアトリはまだ魔力が十分の一程度しか回復していないとはいえ、それでも十分驚異的だ。

 やつが倒した四つの魔力も、少なくともゴブリンの四倍は魔力があった。

 そんな連中を同時に四体も相手にして、苦もなく勝つなど、俺からすればほとんど怪物じみていた。


 …………いや、魔物だとしたら、文字通り怪物なのか。


 くだらないことを考えていると、件の魔力がこちらに近づいてきた。

 しかも――まるでこちらの存在に気づいているように、まっすぐ俺たちのいる場所に接近してきやがる。


 俺はアトリに手で合図をして、敵が近づいていることを伝える。

 アトリは一層緊張した様子で息を呑んだようだが、姿勢を低くしつつ敵のほうに向けて小さく腕を伸ばした。おそらく、魔法を放つために精神集中しているのだろう。

 アトリの様子を横目で見つつ、俺もナイフを構えて敵の出方をうかがう。


 俺たちふたりで太刀打ちできるかわからないが、なにもせずに殺されてやるつもりはない。

 最悪相打ちになってでも、アトリを逃してみせる。


 足音が聞こえるほど、敵の距離が近づいてくる。

 大きな木を挟んで向かい合うような位置で、そいつは足を止めた。

 俺はナイフを握り直し、『俊敏』を発動しようとして――


「……姫様?」


 こんな不気味な森に似つかわしくない、たおやかな女の声に、俺は思わず動きを止めた。

 とっさにアトリに視線を向けると、彼女も驚いたように目を丸くしている。おそらく、聞き覚えのある声なのだろう。


 ――皆がわたしを逃してくれたおかげで、わたしだけがこの洞窟まで移動してこれました。

 ――彼らも精鋭ですから、決して魔物に引けを取ることはないでしょう。


 昨日、彼女が口にした言葉が脳裏に蘇り、俺は不覚にもどう行動すべきか迷ってしまった。

 こちらの反応に気づいたのか、女の声は呼びかけを続ける。


「アトリーシア様? そこにおられるのですか……?」

「……マイラ?」


 ぽつりと、アトリが名前を呼ぶ。

 同時に、木の向こうの魔力が動いた。


 木を迂回して、凄まじい速度で飛び出してきたのは――場違いなことに、クラシックメイドだった。

 黒を基調としたロングワンピースに、しみひとつない純白のエプロン。おまけにヘッドドレスまでついているのでは、メイド以外に形容のしようがない。

 三つ編みにした長い黒髪がしっぽのように跳ね、切れ長の黒瞳こくとうはアトリをかばうように立つ俺をまっすぐに睨みつけている。


 そして――彼女の両手には、それぞれ剣鉈マチェットが握られていた。


「貴様が……っ!」


 飛び出した勢いのまま、メイドは俺に向けて鋭い斬撃を放とうとする。

 俺はとっさにナイフを持ち上げるが、


(俺の腕力じゃ、この斬撃は止められない!)


 このまま守ったところで、ナイフごと斬り捨てられる。

 妙に冷静な頭で確信すると、俺は躊躇ちゅうちょなく守りを捨てた。

 敵に向かって踏み込むと、両手のナイフを相手の首と胸に向けて突き刺――


「二人とも、待ってくださいっ!」


 ――す前に、アトリの静止の声で、俺たちは同時に動きを止めた。


 刃先はさきを俺の首筋に添わせたまま、メイドは困惑した顔で俺とアトリに交互に視線を送る。

 まるで獲物を前にして、主人の命令を待ちきれない猟犬みたいだな……と場違いなことを考えながら、俺はメイドが隙を見せたら即座に首と心臓をえぐれるように、ナイフをそっと握り直した。


 アトリは俺の背後に隠れたまま、咳払いをしてから普段より威厳のある低い声を出した。


「マイラ、剣を下ろしなさい。この方はセツナ・クロサキ様。わたし自ら召喚した異界の勇者様であり、邪神を滅ぼすことのできる偉大なお方ですよ」

「こ、これは失礼いたしましたっ!」


 アトリの若干盛った説明を素直に信じたのか、メイド――マイラは即座に剣を収めてその場にひざまずいた。

 次いで、アトリは俺の右手に手を添え、いまだマイラに向けたままのナイフをそっと下ろさせた。


「セツナ様、わたしの侍従じじゅうが大変失礼をいたしました。お怒りはごもっともですが、いまは非常時。今しばらくの間だけ、お怒りを収めてはいただけないでしょうか?」

「あ、あぁ……」


 堅苦しいしゃべり方に閉口へいこうしながら、俺はマイラから視線をそらさずにうなずいた。

 おそらく、このマイラという女はアトリを砦から逃がすためについてきた侍女兼護衛なのだろう。

 アトリの様子や、二人のやり取りを見ている限り、その関係に疑いの余地はなさそうだ。


 だが――だからと言って、こいつがアトリの命を狙わらないとは限らない。


 アトリの存在は、人類にとっても脅威だ。

 バルディア王国が滅びたという話が本当なら、アトリは後ろ盾も『虚無の因子』の引き継ぎ先も失ったことになる。

 長年の主従関係だとしても、安易にマイラを味方だと信じる気にはなれなかった。


 そんな俺の横顔をじっと見つめてから、アトリは困ったように苦笑した。


 ――セツナの気持ちは嬉しいですが、ここはわたしに任せてください。


 アイコンタクトでアトリの意図を汲み取り、俺はしぶしぶナイフを収める。

 だが、ナイフの柄からは決して手を離さず、いつでもマイラを迎撃できる体勢を維持する。

 アトリのことは信用しているが、彼女は生い立ちのせいで対人関係にはうといところがある。そういう彼女の弱点を補うためにも、マイラを疑う人間は必要だろう。


 俺が一旦引き下がったのを見届けてから、アトリはいまだ跪いてこうべを垂れたままのマイラに声をかけた。


「セツナ様、マイラ、どこか落ち着ける場所に移動しませんか? この森を抜け出すために、お互いの情報を共有しましょう」

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