第9話 出発準備

 頬をつつかれる感触で、俺は目が覚めた。

 眠気を押しのけるようにゆっくりと目を開くと、上から俺の顔をのぞき込んでいたアトリと目が合った。


「あ、ごめんなさい。起きちゃいましたか?」

「……んぅ。もう朝か」


 寝る前は、気が昂ぶっていてとても熟睡できるとは思っていなかったのだが、どうやら完全に熟睡していたようだ。あの据え膳状態で爆睡をかませるとは、俺の神経もなかなか図太いな。


 俺は上体を起こすと、アトリの真正面にあぐらをかく。

 寝ぼけた俺の顔を妙に嬉しそうに見つめながら、アトリは軽く頭を下げてきた。


「おはようございます、セツナ」

「おぉ。おはよう」

「さっそくですが、ここを出る準備を始めてもかまいませんか?」

「あぁ。俺もそのつもりだが……急にどうしたんだ? なんだか、すげーやる気満々みたいだが」

「当たり前ですよ。セツナから大事な約束を取り付けたんですから、こんなところでうじうじする気はもうありませんっ」


 言って、溌剌はつらつとした感じで両拳を握って見せてくる。

 ……なんというか、昨日みたいに後ろ向きになられても困るが、こう明け透けに気持ちをぶつけられるのも、それはそれで困るな。


 俺が微妙な顔をしていると、アトリは露骨にふくれた顔をした。


「セツナ、ちゃんと約束は守ってくれますよね?」

「……俺は考えておく、としか言ってないぞ」

「守ってくれますよね?」


 有無を言わさぬ圧力に、俺は思わず視線をそらした。


 しかし、最初に会った時の堅苦しくて自滅的なアトリからは、今の彼女の姿はまるで想像できないな。

 幼少の頃から甘える相手もなく孤独に耐え続け、ようやく甘えられる相手を見つけて、加減を知らないまま甘えてくる子どものようだ。

 アトリも、これまで過酷な人生を歩んできてるのだ。多少ハメを外すくらい、俺も受け止めてやりたいが……こんな子どもっぽい甘え方をする女の子に、をされるのは、どうにも抵抗感を拭えなかった。


「…………そんなことより、出発の準備をするぞ」

「あっ、話題をそらしましたね」

「先にそらしたのはお前だろうが」


 アトリの額に軽くデコピンしてから、俺は話を戻す。


「まず、方針の最終確認をするぞ。俺の『隠密』と『魔力感知』を使って、基本的には魔物との戦闘を避けながら西へ向かう。どうしても戦闘が避けられない場合も、戦闘は俺がやる」

「それだと、セツナの負担が大きくないですか? 魔力切れの心配もあると思うんですが……」

「これが一番合理的なんだ。敵を倒すにしても、騒ぎを起こさないようにやらないといけないからな」


 敵を殺すのにいちいち騒ぎを起こしてたら、数で負けてる俺たちはすぐにゲームオーバーだ。

 その点、俺のスキル『超暗殺術』は無音で敵を処理するのに最適だった。


「第一、仮に戦闘になったとしても『暗殺剣』や『狙撃』はパッシブスキルだから、『毒物生成』や『鑑定』や『俊敏』を使い過ぎない限り魔力切れは起こらねぇよ」

「それなら……いいんですけど……」


 アトリはまだ心配そうにしていたが、一応は納得してくれたようだった。


「言っておくが、俺はお前の魔法も当てにしてるんだからな? 本当に緊急事態になったら……例えば、そうだな。魔物に包囲されて逃げ道がなくなったとかの場合、俺には突破する能力はないからな。そういう状況でこそ、アトリの魔法が必要になるんだ」


 厳密に言えば、単独でなら『俊敏』で逃げることはできる。

 当然、俺はひとりで逃げる気など微塵もないので、そのことをわざわざ言及する気もなかった。


「そうですね……確かに、そういう状況で役に立つ魔法はいくつかあります。火魔法の範囲攻撃で森ごと焼き払って退路を作るとか、風魔法で敵を吹き飛ばしてから加速して逃げるとか……」


 …………やっぱ、アトリのほうがチートのような気がしてきた。

 というか、やっぱ魔法ってすごいな。少なくとも多対一の状況では、最も効果を発揮するスキルだろう。


「……そういえば、俺にも魔法スキルあったっけな。もしかして、俺もスキルレベル上げればそういうことができるようになるのか?」

「『闇魔法』ですか? わたしの知ってる範囲だと、『闇魔法』は相手の視界を塞いだり、影と影の空間をつないで移動したり、精神攻撃や幻覚を見せたり……トリッキーな魔法が多かったですね。上位魔法についてはわかりませんが……」

「魔法スキルまで暗殺者寄りかよ……どんだけ根暗なんだよ、俺は」


 我がことながら、思わず嘆息せずにはいられない。そんな俺をアトリはくすくすと笑って見ていた。


「でも、わたしの魔力を温存したほうがいいというのはわかりました。でも、魔力切れになりそうだったらいつでも言ってくださいね。わたしの魔法で補える部分は、なんとかしますから」

「あぁ、頼りにしてるよ」


 心からそう言うと、アトリは照れたように頬を朱に染めた。


「な、なんだかいいですね、人に頼られるのって。これが仲間……いいえ、わたしとセツナはもう、一心同体の運命共同体ですからね……」

「重いわ」

「えー? いいじゃないですか。ねやの約束をしてるも同然ですし、婚約状態と言っても過言じゃないんですから」

「過言だろ。ってか、一国の王女がそんな簡単に婚約していいのかよ」

「そんなこと言われましても、もうわたしの国、滅んじゃってますしね」


 自虐めいた調子で言うが、その表情には隠しきれない陰がにじんでいる。

 アトリも内心では、国の現状が気になっているのだろう。自分を長年幽閉し続けた国だとしても、幼い頃の母との思い出が残る国だ。気になって当然だろう。


「だったら、さっさと街に行って確認しないとな。本当に滅んでるのかどうか」

「そうですね。でも、もし国が残ってたら……」

「言っとくが、お前を国に返す気はないからな。前にも言ったが、俺はこの世界のことなにも知らんし、なにより一方的に他人を虐げる連中は嫌いなんだ。わざわざそんな連中の得することをしたいとは思わねぇよ」


 我ながら誘拐犯めいたことを言うと、アトリはほっとした吐息を漏らした。

 なんとなくむずがゆい気持ちになるが、俺は話を先に進めることにした。


「あと、レベルアップした『隠密』の効果を確認しておきたいんだが……」

「いいですよ」


 俺の提案に、アトリはいつでもどうぞと言わんばかりに、じっと俺を見つめてくる。


 それを確認してから、俺はレベル2の『隠密』を発動させる。

 消費魔力が1から2に増えるため、それなりの効果を期待したいところだが……『隠密』に関しては自分で効果を確かめたりはできないからな。

『鑑定』でそこまで見れればいいんだが、物体の鑑定の延長でスキル情報を出しているに過ぎず、スキルの詳細までは教えてくれないらしい。

 ちなみに、『魔力感知』のレベル2は単純に感知範囲が広がるだけのようだった。


「で、どうだ?」


 消音効果の有無の確認も兼ねて呼びかけると、アトリは腑に落ちない顔で首を傾げた。


「前とあまり変わってないような……」

「……そうか」


 消音効果もないようだし、これはハズレかな。

 そう思っていると、アトリが唐突に近づいてきた。


「お、おい。なにを」

「じっとしててください」


 ぴしゃりと言って、アトリは息がかかるほど接近すると、俺の胸元でくんくんと鼻を動かした。


「やっぱり……匂いが消えてますね」

「ってことは、臭跡を消せるのか」


 それなら意外に使い道がありそうだ。


 この付近の森では視界は悪く、捜索で重要になるのは匂いと音になるはずだ。

 当然、魔物も臭跡を辿るのが得意な探索用魔獣を連れているに違いない。

 そいつらの鼻をごまかせるなら、十分有用なスキルと言えそうだ。

 問題は魔力消費量がかさむことだが……背に腹は変えられない。


「にしても、人間の鼻でもわかるくらい、俺って臭ってるのか?」

「そんなことないと思いますよ?」

「いや、アトリにも俺の匂いの区別がつくってことは、そういうことだろ?」


 若干へこみながら言うと、アトリはわたわたと取り乱した様子で弁解してくる。


「い、いや、わたしがセツナの匂いを知ってたのは、ただ抱きついたりした時に安心する匂いだなと思って覚えていただけで……べ、別に、セツナが寝てる間に勝手に匂いを嗅いでたりしてませんからねっ?」


 ……語るに落ちるとはこのことか。

 まぁ、今回はそれが役に立ったからいいんだが、この王女様、時間が経つごとにぽんこつ化してないだろうか。


 俺は内心で苦笑しつつ、それ以上深く考えるのをやめることにした。

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