第2話 「いいえ、お断りします」

「え…………?」


 アトリは本気で驚いたように、目を丸くした。

 なにを言われたかわからないと言いたげな彼女に、俺は繰り返す。


「あんたを殺すのなんてお断りだ、って言ったんだ」

「な……なぜですか? わたしになにか、至らぬところでも……」

「あぁ、そうだな」


 不遜に吐き捨てると、アトリは怯えたようにびくりと肩を震わせた。

 その様子を真っ向からにらみながら、俺は指を三本立てる。


「あんたの頼みを断る理由は三つある。ひとつは、俺には人殺しの経験なんてないから、同い年くらいの無抵抗の女を殺すのなんてどうしたって抵抗があるってこと」


 立てた指をひとつ折り、俺は続ける。


「もうひとつは、あんたを殺したところで、俺にはメリットどころかデメリットしかないってことだ。俺はこっちの世界じゃ知り合いもいないし、当てにできるツテもない。そんな中で召喚者であるあんたにまで見放されたら、俺は十日も経たずに野垂れ死ぬ自信があるぞ」

「それは……こちらの都合でお呼びしたのは、申し訳ないと思っていますが……」

「この際、あんたがどう思ってようが関係ないね。とにかく俺が言いたいのは、呼び出したんなら最後まで責任取れってことだけだ」


 一方的に要求を突きつけると、アトリはややむっとした様子で抗弁してくる。


「で、ですが、勇者様の使命は邪神の討伐では……」

「邪神? 俺にとっちゃ、そんなもんどうでもいいんだよ。むしろ、復活して世界を滅ぼして欲しいくらいだね」

「なっ…………!」


 ばっさりと切り捨てると、アトリは愕然とした表情を浮かべた。


 彼女は勝手に俺を勇者だと思い込んでるようだが、俺にはそんな役目を背負う気はさらさらない。

 そんな都合のいい存在に祭り上げられて、便利にこき使われるくらいなら、周り中から憎まれていたほうがよっぽど気が楽だ。

 第一、この世界の事情もよく知らないし、邪神とやらが具体的になにかしたところを見たわけでもない。そんな状況で使命感に燃えるやつがいるとしたら、そいつはたぶん相当のアホだ。


 俺は立てた指をもう一本折り、残った人差し指をアトリに突きつけた。


「そんで、最後のひとつは――あんたが生きるのを諦めきってることが、気に入らないからだ」

「…………ど、どういう意味ですか?」

「そのままの意味だよ。ハーフエルフとして迫害され、邪神の魂を押し付けられて自由も奪われてきたってのに、その上自分から望んで世界のために犠牲になろうってのか? ふざけんな。あんたにだって、もっと好きに生きる権利があるはずだろ」


 それは半分くらい、自分自身に向けた言葉でもあった。


 親父に搾取され、学校の連中からは玩具扱いされ、教師どもには見捨てられ――そんな俺が、今度は異世界でも都合のいい勇者にされるだと。

 ふざけんな。まっぴらごめんだ。

 お前らの思い通りになるくらいなら、誰を犠牲にしてでも好き放題生きてやる。


 …………アトリの腹の底にも、きっとそんな思いが息づいているはずなんだ。


「そんなもの……わたしが望んでいいはずないじゃないですか」


 アトリは俺から目をそらし、悲しげに目を伏せた。

 だが、俺は構わず追撃する。


「なんでだ? 邪神の復活を防ぐためか? 魔物の玩具にされないためか? どっちにしろ、そんなもんが理由になるか。あんたはただ運が悪かったって理由だけで、世界中のやつらから搾取されっぱなしのまま、自分の人生をほうり出す気かよ」

「なら……あなたがどうにかしてくれるっていうんですか……っ!」


 憎悪すらこもった眼差しを真っ向から受け止め、俺は迷わず答える。


「ああ」

「――――っ!?」

「あんたが生きることを世界が許さないってんなら、世界中を敵に回してでも、俺があんたの人生を守ってやる。誰が敵に回ろうと、徹底的に抗ってやる。

 それでも、どうしてもダメな時は――その時こそ、俺があんたを殺してやる」


 真正面から宣言すると、なぜかアトリは急激に顔を赤くした。


「な、な、なっ……なにを言ってるんですかっ!? そそそんな、プ、プロポーズ、みたいなことを……」

「は? 今、真面目な話してんだぞ」

「こ、こっちだって大真面目ですよっ!」


 耳まで真っ赤にしながら俺の胸ぐらをつかみ――俺と目が合うと、アトリは余計顔を赤くしてそっぽを向いた。一体なんなんだ。

 アトリの奇行をスルーしつつ、俺は話を続ける。


「言っとくが、その場の勢いで言ってるわけじゃねえぞ。約束した以上、命懸けであんたを守る。さっきは責任取れなんて言ったが、俺も俺のわがままをあんたに押し付けてるわけだからな。そこはきちんと責任取るさ」

「うぅ…………」

「? さっきからどうした? めっちゃ顔赤いぞ」

「…………あ、あなたが、変なことばかり言うからです……っ」


 なにかおかしなことを言っただろうか。普通に思ってることを口にしただけなのだが。

 俺もアトリも根っからのぼっちなわけだし、多少コミュニケーションに不備があるのは仕方ないか。


 アトリが多少落ち着いた頃合いを見計らって、俺は彼女に手を差し伸べる。


「それで、どうするんだ? ちっとは生きてみる気になったか。それとも、まだ死にたいか?」

「…………死にたいって言ったって、どうせ殺してはくれないのでしょう?」

「当然だ」


 せいぜい厭味いやみったらしく見えるよう、俺はにやりと笑った。

 アトリは諦めたように微笑して、ゆっくりと俺の手を取る。


「なら、考えるだけ無駄ですね。あなたに従って、もう少しだけ生きてみることにします」

「そうこなくっちゃな」


 笑って応じながら、俺はアトリの手を握り返す。


 彼女の華奢な手の平は、まるで生きたいと声高に主張しているみたいに、俺の指先に確かな熱を伝えてきていた。

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