第1話 「世界を救うために、わたしを殺してくれませんか?」

「お願いします、勇者様。どうか、わたしを殺してください!」


 すがるように俺の手を握りながら、少女は懇願するように言ってきた。


 …………落ち着け俺。まずは状況を整理しよう。


 洞窟の地面に、空いてるほうの手を這わせる。ごつごつした岩の感触は、とても作り物とは思えない。ついさっきまで立っていたアスファルトとはまるで違う。

 それに、目の前の少女。日本人離れした金髪碧眼に、日本どころか地球上のどこでもお目にかかれないであろう長耳。

 ついでに、着ている学ランがクソ暑い。ついさっきまで真冬の空気に凍えていたはずだったのに、今や梅雨時のようなじめじめした空気が肌にまとわりついていた。


 ――わけがわからんが、ただごとじゃないってことだけは間違いなさそうだ。


「あ、あの…………勇者様……?」


 金髪の美少女が、不安そうに俺の顔をのぞき込んでくる。

 俺は溜息とともに、重い口を開いた。


「…………すまん。状況がまるで飲み込めない。とりあえず、事情を説明してくれないか?」

「し、失礼しました! 召喚されたばかりの勇者様に、こちらから一方的にまくしたててしまって……」

「それはいいんだが……その、勇者様って呼び方はやめてくれないか?」


 言ってから、まだ自己紹介すらしていないことに気づいた。

 俺はやんわりと少女の手を振りほどいてから、自分の胸に手を当てる。


「俺はセツナ。クロサキ・セツナだ。セツナって呼んでくれ」

「セツナ様、ですね。申し遅れました。わたしはアトリーシア・エル・ディード・バルディアと申します。アトリーシアとお呼びください」

「アトリーシア……長いな。アトリでいいか?」

「…………えっ?」


 金髪の少女――アトリはなぜか、驚いたように目を丸くした。


「気に障ったか? もしかして、名前を略すのは失礼だったりするのか?」

「い、いえっ。とんでもございません! ただ……」

「ただ?」

「いえ…………その…………今まで、愛称で呼び合うような間柄のものがいなかったので、少し驚いてしまいまして……」


 あまりにも意外な話に、俺はフォローを入れるのすら忘れて驚いていた。

 こんな美人、普通に生活してたら嫌でも人が寄ってきそうなものだが……まさか俺と同じぼっちとは、よほど特殊な環境で育ってきたのだろうか。

 俺が固まっているのを見て勘違いしたのか、アトリは羞恥で頬を染めてうつむいた。


「も、申し訳ありませんっ。わたしのことはどうでもよいですね! まずは現状についてご説明させていただきます」


 こほん、とかわいらしく咳払いをしてから、彼女は語り始めた。


「すでに察しておられるかもしれませんが、ここはセツナ様が暮らしてきた世界とは別の世界です。誠に勝手ながら、勇者召喚の儀をもってセツナ様をこちらの世界に召喚させていただきました」

「色々気になるが……その、勇者召喚ってやつは一体なんなんだ?」


 はっきり言って、俺は勇者なんてガラじゃない。

 というか、世界の破滅を願う勇者とか、普通に考えてどこの世界でも望まれていないだろう。

 正直に言うと、自分が勇者と呼ばれること自体、虫酸が走る。


 ――勇者なんてやつがいるなら、俺がゴミのように扱われていた時、そいつはどこでなにをしてたんだ?


 逆恨みだとわかっているが、どうしてもその思いを捨てられない。

 勇者召喚とやらがどんな代物か知らないが、こんな俺が呼び出されるなんて手違いとしか思えないんだが……


「勇者召喚というのは、異世界から特別な才能を持った方々を召喚する魔法のことです。過去にも何度か勇者様が召喚され、実際に世界の危機を救っていただいた伝承が各地で記録されています」

「特別な才能、ねえ……」


 それも、俺とは縁遠い言葉だった。

 俺は学校の成績も悪く、運動神経が際立っていいとも言えない。勉強する時間も体を鍛える時間も、親父や学校の連中が与えてくれなかったので、どうしようもない話ではあるが。


「それで……勇者を召喚する魔法があるってことは、それ以外の魔法も存在するのか?」

「はい。ご指摘の通り、魔法には他にもたくさんの種類がございます。魔法は火、水、風、土、闇、光の六属性に分類され、どの属性に適正があるかは人それぞれです。勇者召喚は、六つすべての属性を操れるもののみが行使できる高等魔法――というよりも、一種の禁呪きんじゅに当たります」

「つまり、アトリは相当優秀なんだな」


 確認するつもりで聞いたのだが、アトリはなぜか苦笑を漏らした。


「いえ、わたしの場合は少し事情が特殊でして……」

「特殊?」


 アトリの端正な顔立ちに、暗い影が落ちた。


「わたしの力の源は、この世界で最も忌むべきもの……邪神に由来しているのです」


 また突拍子もない……と思わないでもなかったが、アトリの様子はあくまで真剣そのものだ。

 俺が視線で続きを促すと、彼女は少しほっとしたように話し始める。


「わたしの力の根源たる邪神――『虚無の波動』シェイファは、すべてを飲み込み虚無に帰すとされる恐るべき破壊神です。伝承では、他の神々と幾度も抗争を繰り返し、その度に厳重に封印されてきたと言われています。ですが……三百年前、邪神はその封印から完全に解き放たれ、世界中に災厄を撒き散らし始めたのです。

 当然、人類も手をこまねいてはいませんでした。残された国家が協力して勇者召喚の儀を執り行い、四人の勇者様を召喚し、そこに大国ダルキアの騎士王を加え、五人で破壊神に立ち向かったのです」


 なんでまた、たったの五人で……とは思ったものの、俺は口を挟まずにおいた。聞くまでもなく、その五人だけ能力が突出しすぎていて、他のやつがいても邪魔にしかならなかったからだろう。

 俺が口を挟まないのを確認してから、アトリは続ける。


「激闘の末、五人の英雄は破壊神を封印することに成功しました。五つに分断された破壊神の魂は英雄たちの体に宿り、十数年かけて浄化される……はずでした」

「ってことは……」

「はい。邪神の魂はいまだまったく消える気配がなく、今なお英雄たちの子孫に取り憑いて、虎視眈々と復活の機をうかがっています。そして――その内のひとつが、ここに」


 自身の豊かな胸に手をあて、アトリはきっぱりと断言した。

 その決然とした態度に、俺は思わず口を挟んでしまった。


「……間違いないのか?」

「残念ながら、間違いありません。邪神の魂を宿すものは、各英雄の血族からひとりずつしか現れません。

 わたしはバルディア王国の第四王女。五英雄のひとりであり、バルディア王国建国の祖でもある賢者タカト・ハルミヤの血族です。

 わたしが五歳の頃、大叔父である先王弟が亡くなったのを機に、この身に邪神の魂を宿しました。六属性の魔法を扱えるようになったのも、膨大な魔力を手にしたのも、その時からです。あらゆる魔導師の診断を受けましたが、結果は同じでした」


 言い終えると、彼女は儚げに笑った。


「ある意味、わたしでよかったのかもしれません。わたしはもともと、国王がエルフの母との間に作ったハーフエルフでしたし、母も早くに亡くなったため、王城に居場所などありませんでした。邪神を身に宿してからの十二年間は、ずっと辺境の砦に幽閉されていましたが、それまでの生活と比べて特に不自由したことはありませんでした」


 想像するだけでも吐き気がするような、絶望的な孤独。

 それを乗り越えたはずの彼女が、震える手で自らの肩を抱いた。


「ですが、それもかつての話です。王都はすでに、魔物の軍勢によって陥落かんらくしました。魔物たちにとって、わたしの中に眠る邪神の力は脅威であると同時に、利用価値のある道具でもあります。彼らに捕まってしまえば、どんなおぞましい仕打ちが待っているか……」


 そして、彼女は神にすがる信徒のような目で、俺を見つめてくる。


「ですから、どうかお願いいたします、セツナ様。どうか――どうか、わたしを殺してください」


 二度目の懇願が、俺の胃をずしりと重くする。


 アトリの説明が事実なら、彼女の願いはもっともだ。

 祖国を失い、寄る辺もなくこんな洞窟に放り出された上、おぞましい怪物どもに好き放題される未来に怯えながら生きるよりも、きっとここで死を選んだほうがよっぽどマシだろう。


 なにより――アトリのような善良な女の子をここまで苦しめるような世界に、生きる価値などあるのだろうか?


 だから、俺の答えは決まっていた。


「――やなこった」

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