第六章 フリューゲン辺境伯領 編

第88話 復讐 1


side ライラック・フリューゲン


 フリューゲン辺境伯領の領主の館にある執務室に、一人の男性が重厚な机に合う革張りの高価そうな椅子に腰掛けて筆を走らせている。


 部屋はシンプルな内装で、応接用のソファーのセットと本棚と先ほどの執務机しかない。ただ、それぞれが高級感ある光沢を放っているので、金銭的なことで家具が少ないというよりは、家主の趣味ということが見て取れる。


 椅子に座るこの館の主人は、見た目は濃い紫髪に部分的に白髪が混じっている中年の男性だ。肉体は程よく筋肉が付いており、健康的な外見だ。その顔も実年齢よりはずっと若く見えるような整った顔立ちで、中年の男性への表現としては変だが、美青年と言える。


そんな人物が仕事をしている部屋に『コンコン』とノックが響く。


「入れ」


許可と共に入室してきたのは、銀髪の長髪をした女性だった。彼女はエリザ・フリューゲン。彼の妻だった。


「あなた、いつもの方が面会にいらしています」


「分かった、通してくれ」


「はい」


短い返答はいつもの事だと思わせるように、無駄の無いやり取りだった。



「失礼しますフリューゲン様。作戦の進行具合を報告に参りました」


 訪れたのは改革派閥の幹部の一人、元伯爵のマーカス・ウォレスだ。能力はいまいちだが、金稼ぎには長けているので重宝している。


「ご苦労。首尾はどうだ?」


「はっ、第一目標は確保したと報告がありました。ただ、第二目標の王子は失敗。さらに先陣部隊は別働隊を除き全滅しました」


その報告にライラックは眉を潜める。


「何?全滅だと?学園の教師にか?」


「申し訳ありません。全滅の為、こちらの目撃者がいないのです。ただ、別働隊との合流に誰も現れなかったことで、全滅とみなしたと・・・」


 今回の襲撃については革命の為、仮に捕虜になったとしても交渉材料と成り得ないために、死んだものとみなすと決めている。そして、先陣部隊が誰も来ないと言うことは、そういう事なのだろう。


(学園戦力をあなどった訳ではないが、これは想定外だな)


予想外の戦力の消耗で、作戦の修正を余儀なくされることに若干の苛立ちを覚える。


「仕方ない、少し作戦を変更して周辺の領地の反乱の支援を。金と物資を多めに送って、戦線維持に協力しろ」


「支援は維持だけで良いのですか?」


「構わん。先ずは王国の戦力を疲弊させることが目的だ。いずれあの国の関与が明るみに出れば、次の段階に進むからな」


「はっ!かしこまりました。では、その様に各支部に準備させます」


「第一目標を確保した先陣部隊はどうしている?」


「現在、追手に注意しながら移動しておりますが、明日には目的地に到着するでしょう。まったく、スレイプニルでの移動は、従来の移動速度と比べ物になりません」


「そうか、分かった。では行動に移れ」


「はっ!失礼致します」


恭しく頭を下げ、その男は部屋を後にした。部屋に残るライラックは、机に置いてある2つの呼び鈴の内、1つを鳴らす。すると、エリザがノックと共に入室してくる。


「あなた、どうしましたか?」


「これから本格的に動くことになる。レオンを連れて予定の場所に行ってくれ」


「・・・どうしても、ですか?」


「どうしても、だ。あの子がこの領地の事を探っているという情報もある。万が一の事を考えて行動すべきだ」


「・・・そうですか。やはりあの子は私達の事を恨んでいるのでしょうね・・・」


「しかたないだろう、それしか方法は無かった。責任は全て私にある」


「いいえ、私にも責任はあります!ですから―――」


「ダメだ!お前にはレオンの事を頼みたい。分かってくれ・・・」


2人はお互いに覚悟を決めた表情で見つめ合っているが、折れたのはエリザだった。


「分かりました。これから準備します」


「すまないな。レオンを頼む」


そして、エリザが部屋を退出しようとした時、もう一度声を掛けた。


「エリザ、愛している」


「私も愛しているわ、あなた」



エリザが部屋からいなくなると、窓から見える空を見ながら一人呟く。


「これで、国が変われば・・・あの日々も報われる」


 そこには、確固たる覚悟を決めた顔をした、男の姿があった。




 『風の調』で情報を貰い、移動を開始してから半日、辺りは既に夜のとばりが降りている。


「なかなか見つからないな・・・」


相手は馬車で移動していると思い、僕の速度なら十分追い付くだろうと考えて、フリューゲン領への街道をひた走っていた。しかし、未だシルヴィアを見付けることは叶わなかった。


 道中見付けた馬車も、ほとんどが商人の馬車ばかりで、その人達からも有用な情報は得られなかった。シルヴィアを誘拐した連中は、よほど注意して移動しているのだろうと思わせた。



 夜になれば夜営をしているか、どこかの街に入って宿をとっているかもしれない。夜営ならいいのだが、さすがに宿を取っているとなると、そこに押し入って人違いだった場合には面倒なことになってしまう。


「空間認識があれば暗闇の移動でも苦はないけど・・・」


 おそらく相手は当初から追手が掛かる可能性を考慮して移動しているのだろう。その為、追跡する能力の無い僕にはその足取りがまるで掴めないでいる。もしかすると、フリューゲン領方面に行くと見せ掛けて、途中で反転して別方面に向かった可能性すらある。


「そうなると、捜索範囲を広げる必要もあるから、時間が掛かる・・・でも、ローガンさんの情報を信じるなら最終的な目的地はフリューゲン領の可能性が高いか・・・」


 シルヴィアを見付ける為に捜索範囲を広げるか、先回りするように、目的地と想定される場所で待ち構えるか。どうすべきか判断に迷っていた。


「でも、もし薬を飲まされたら・・・とにかく時間が掛かっても捜索範囲を広げよう」


 馬車で移動するのなら、通常のルートで約10日掛かる。追手を気にしながら行動しているなら、さらに時間を要するはずだ。


 彼女の身を考えるなら、一刻も早い救助が必要だと考えて、しらみ潰しに探すことに決めた。


「せっかくトーナメントが終わったらケーキを食べに行くって約束したんだから、必ず助ける!」


 僕を心配して、普段見せない言動をしながら僕を笑顔にしようと一生懸命だったシルヴィアの笑顔が思い浮かぶ。その表情を思い出すと、自然と僕も温かい気持ちになる。


 休息日には何度か一緒に出掛けて楽しかった思い出や、マシューも一緒に魔獣の討伐に出掛けて、一喜一憂したこと。最近だと、僕にぴったりくっついてきて、柔らかい胸が当たっていたので、彼女の方を見たら恥ずかしさのせいなのか、真っ赤になりながらも止めようとしなかったりと、いろいろな事を思い出す。


「もしかしたら、あれは僕のことを・・・?」


 彼女の僕に対する想いは、残念ながら僕には分からない。でも、もしかするとこんなに僕に近寄ってきてくれるというのは、そういうことなのだろうか。


そう考えると、メグも僕に近づいてきてくれているが、さすがにエルフで他国の王女である彼女が僕に対してそんな感情を持つとは考えられない。となると、シルヴィアの行動ももしかすると、親愛の行動としてよくあることなのかとも思ってしまう。


 しかし、どちらにしても僕を大切な友人と思ってくれているのは間違いないはずだ。そして、その思いは僕も同じだ。


 彼女を攫った連中は、僕の大切な人の笑顔を奪うばかりか、子供を生む為の、ただの道具の様に扱おうとしている。それは許せることではなく、僕の感情に黒いものが渦巻いていく。それはまるで、11歳の頃の、親から捨てられた時を彷彿とさせるような感情だった。


 そんな黒い感情に染まりつつ、僕は彼女を探す為に夜の闇に消えていった。

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