第70話 猫壱号(リアル)誕生秘話 

(三人称)


 突然の電話で呼び出された。駆け付けた病室の中で、彼女は呆然と立ち尽くしていた。

 まるで悪夢を見ているようだった。

 だが、病院のベッドに横たわっている少年は夢ではなく、紛れもなく最愛の息子だった。


「幸いな事に命は取り留めましたが……」


 医師の説明はどこか空々しく聞こえた。


 ……幸い? これのどこが幸いだというの? 確かに心臓と肺は動いているけど、意識は戻らない。これでは死んでいるも同じだわ!!


「だが、決して脳死したわけではありません。何かの拍子に意識が戻る可能性も……」


 医師の言葉は、彼女の耳には届かなかった。ただ、彼女は自らを激しく責め立てていた。

 こんな事になるなら、なぜ息子と一緒にいてやれなかったのかと。

 仕事が終われば、研究が完成すれば息子と楽しい時間が過ごせる。それを楽しみに今までがんばっていた。


 ……もう少し待って。もう少し我慢すれば、ママはあなたの傍に居られるの。

 だから、もう少し……


 息子はそれに不満を漏らさず、ただ笑顔で彼女を見送っていた。


 ……なんて可愛い。


 この笑顔のためなら私はなんだって耐えられる。だからもう少し待って……


 『もう少し』という時間は、何日、何ヶ月、何年経っても終わらなかった。


 もう少し……もう少し待てば、砂糖菓子のように甘い時間を息子と過ごせる。だが、その時は永遠に訪れることはなくなった。


 ……神様。もしも、いらっしゃるのなら、あなたはあまりにも残酷です。なぜ、私から大事な息子を奪うのです? 私が何をしたというのです? 息子よりも研究を優先した私への罰ですか? それにしても残酷すぎます。ほとんどあり得ない回復の可能性だけを残すなんて……


 その時、彼女は気が付いた。


 本当にあり得ないのだろうか?


 彼女の研究していたブレイン・マシン・インターフェイスは考えるだけで機械を動かす技術。これを応用すれば身体を動かせなくなった人に新たな身体を提供できる。もし、息子の脳に意識と記憶が残っているなら……


「海馬と大脳皮質は無傷なのね?」

「詳しいのですね。まあ、脳をコンピューターに例えるならハードディスクは無事ですが、そこからデータを読み出す事ができない状態でして……」


 なら、可能性はある。


「なら、ハードディスクを他のコンピューターに移し替えればいいのね」

「理屈ではそうですが、仮に息子さんのクローンを作ったとしても、脳だけ移し替えるなどという手術は不可能です」

「そんな事をしようなんて言ってないわ。私がやりたいのは、脳からデータをコピーして、別の脳に移すことよ」

「そんな事できるわけ……」

「私を誰だと思っているの?」


 彼女が名刺を見せると医師は驚いた。

 彼女の名前は科学雑誌にもちらほら載ってる。

 医師も見覚えはあったのだろう。

 彼女はブレイン・マシン・インターフェイス研究の第一人者だった。その研究は動く猫耳のような玩具ではない。脳の記憶を完全に電子データ化するというものであった。

 すでに動物実験ではかなりの成果を収めていた。だが、人の記憶を電子データにする実験はまだ行われていなかった。


「人間でもできないわけじゃないわ。技術的には可能よ」

「しかし、科研に無断でこのような事をしては、博士のお立場が……」

「私の立場なんてどうだっていいわ。それに私はこの研究のために息子との大事な時間を犠牲にしてきたのよ。だったら、この研究を息子のために使って何がいけないというの!?」


 もはや、医師は彼女に何も言わなかった。

 息子を思う母の気持ちを思えば止めることなどできないのだろう。それに、医師にも野心が芽生えてきたようだ。

 もし、彼女の実験が成功すれば医療に新しい可能性が生まれるかもしれない。

 これまで、救えない患者を前にして絶望感に打ちひしがれてきた医師にとって、その可能性は一筋の光明に見えたのだろう。

 数日後、病院に奇妙な装置が持ち込まれた。

 表向きは新型の核磁気共鳴診断装置(MRI)ということになっていたが、それは脳内の電気信号を走査する装置だった。

 植物状態となった息子をその装置にかけて、大脳皮質と海馬に蓄えられた記憶をすべて電子データ化したのは、その翌日の事。後は息子のクローンを作って記憶を移し替えるだけだった。


 だが、その時点で彼女が装置を無断で持ち出した事が科研に発覚してしまった。

 所内では彼女の処分が検討された。しかし、彼女の今までの功績と息子を失った事情を省みて、この事は処分保留という事になったのだ。

 しかし、息子のクローンを作る計画は挫折した。仮にクローンを作ったとしても、それが息子と同じ年齢に育つまで十二年も待たなければならない。その間にクローンは一人の人間としての人格を形成してしまう。そこへ息子の記憶をイントールすれば、二つの人格が混じりあい、どのような齟齬が起きるか予測できない。

 そんな時に科研の別の部署で、動物知性化実験が行われている事を耳にした。

 そして、そこでも問題が生じていた。遺伝子操作によって人間並みの脳を持った猫と猿と大鷹が生み出されたが、動物の成長は人間よりはるかに早い。

 研究者達は短時間で知識を教え込む方法はないかと探していた。そこで、彼女は自分の開発した装置で直接動物の脳に人間の記憶をインストールする事を提案したのだ。


 そうして猫には息子の記憶を、猿には天才ハッカーの記憶を、大鷹には航空自衛隊パイロットの記憶をそれぞれインストールすることになった。

 結果、半分は成功、半分失敗となった。

 動物達は人の言葉を喋れるようになったが、自分が人間であった時の記憶がなかったのだ。

 それでも、猫の仕草や喋り方はどこか息子を彷彿させるところがあり、彼女は猫をただの実験対象として見ることができず、溺愛していった。

 実験動物達はそれぞれ、猿壱号、猫壱号、鷹壱号と呼ばれていたが、人間並みの思考ができるのだから名前を付けてやるべきだと彼女は提案した。

 そして、鷹壱号には鷹が主役になってるコミックの主人公からとってサム。

 コンピューターの扱いに長けた猿壱号は和製オペレーションシステムの名前を取ってトロン。


 そして猫壱号には……

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