第69話 おにぎり
飛行船は、しばらくして東京湾に出た。
そこに停泊している一隻の黒い大型船の上でホバリング。
その船に、あたしは降ろされた。
「ここでしばらく大人しくしていて下さい」
ハミルトンにそう言われて入れられたのは、鉄格子で仕切られた部屋。民間船の中になんでこんな留置所みたいなのがあるのかと思って聞いてみたら、航海が長引くと船員同士での諍いが起きたりするからだとか。
別にあたしを閉じこめるために急ごしらえで用意したわけでもないらしい。
「お嬢さん。猫が来るまで時間があります。何か食べたい物はありますか?」
そういえば、朝からろくに食事もしていなかった。食べたものと言えば、隠れ家で糸魚川君が用意してくれたカップラーメンぐらい。
でも、なぜか空腹感がわいてこない。
「食べたい物があったら、なんでも言ってください」
ふーん。なんでもいいんだ。それなら……
「鯨のステーキが食べたい」
「それはだめです」
「なんでもいいって言ったくせに。じゃあ鯨の竜田上げ」
「それもだめです」
「鯨のお刺身」
「お嬢さん。私を困らせようとしてますね」
「ちがうもん。鯨が食べたいだけだもん」
「いつも、鯨なんて食べてるんですか?」
「うん」
嘘です。食べてません。
そんな高いもの……でも、鯨が高いのってこいつらのせいなのよね。
あたしが生まれる前の日本ではみんな当たり前のように鯨を食べていたと、死んだおじいちゃんに聞いたことがある。
鯨が食べられなくなったのは、その数が減ったという事もあるけど、西洋人が鯨を食べるのは野蛮だと自分達の価値観を押しつけてきたせい。
「鯨が食べたい。食べさせてくれなかったら捕虜虐待よ。ポーツマス条約違反よ」
「それはジュネーブ条約です」
あれ? そうだっけ?
「なんでそんなに鯨を食べたいのですか?」
「なんで鯨を食べちゃいけないのよ?」
「鯨を殺すことは神が許しません」
「宗教的価値観を押しつけないでよ。あたしはクリスチャンなんかじゃない」
ハミルトンは胸の前で十字を切った。
「主よ。この哀れな小娘をお許しください」
「あまり、ハミルトンさんを困らせてはいけないわ」
博士が入ってきたのはそのとき。
おにぎりを盛った皿を手にしていた。
あれ? なんかおにぎり見たら急にお腹が空いてきた。
「ハミルトンさんは、あなたを早く解放するようにポールを説得してくれていたのよ」
「そんな事言ったって、あたし誘拐されたんですよ。誘拐犯と慣れあいたくない」
「おなか空いたでしょ。さあ、お食べなさい」
博士が鉄格子の扉を開けて、おにぎりを差し入れた。
「お腹なんか空いてません」
グー!!
ああ!! こら!! 腹の虫!!
なんでこのタイミングに鳴るのよ!!
今、あんたに鳴られたら、あたしの立場がなくなるでしょ!!
「ふふ。身体は正直ね」
博士、その言い方はエロいから、やめてほしいんですけど……
「い……イタダきます」
あたしはおにぎりにかぶりついた。
あれ? このおにぎり……てっきりコンビニおにぎりかと思っていたら手作りだ。
さらにかぶりつくと具が出てきた。
オカカ梅?
あれ? 昔どっかでそんなおにぎりを食べたような? どこだっけ?
「これ、博士が握ったんですか?」
「そうよ。口に合わなかったかしら? 私もおにぎりを握るのは久しぶりだから……」
「でも、博士はアラブ人では……」
「え?」
「お嬢さん。博士は日本人ですよ」
あたしはハミルトンの方を向いた。
「博士は我々に顔を見せられないというので、ブルカを被って現れたのです。もっとも私も最初に見たときはムスリムと思いましたが」
「博士……日本人なの?」
「そうよ。ブルカは前にアラブ人の友達からもらったの。使う機会がなくてずっと箪笥の肥やしになっていたのだけど、今回顔を隠す必要があったので引っ張り出してきたの」
「アラブ人の友達? 顔が広いんですね」
「アメリカに留学していた時に知り合ったのよ。彼女は今、その国の外交官になっているわ。実を言うとリアルの仲間達は彼女に頼んで、その国の大使館に匿ってもらっているの。日本政府は産油国に弱いからね」
「日本人なら、なんで翻訳機なんか使ってるんですか?」
「翻訳機? そんな物使ってないわよ」
「だって、声が合成音だし」
「ああ!! これはボイスチェンジャーよ」
ボイスチェンジャー? そこまでして正体を隠したいって、ひょっとして?
「リアルを逃がした内調内部の人って、博士?」
「それはちょっと違うわね。逃走には関与しているけど。私は内調の者ではないわ」
「え?」
「私の所属は国立科学研究所。通称科研。リアル達、知性化動物が生まれたところよ。つまりリアルの育ての親ね」
「育ての親?」
そして博士は話し始めた。
リアルが生まれた経緯を……
その話は、博士の最愛の息子が、交通事故で病院に運び込まれたところから始まる。
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