第5話 南氷洋波高し その三

「いいからやるんだ。ピーター」


 声の方を見ると、見覚えのある男がいた。

 モジャモジャの顎髭を生やした中年の白人。直接会ってはいないが、奴は有名人だ。シー・ガーディアンのリーダー、ポール・ニクソン。

 ポールはライフル銃を一人の青年に差し出していた。しかし、青年は銃を受け取るのを嫌がっている。


「いやです。僕は鯨を守るためにここへ来たんだ。なんで鯨を撃たなきゃならないんだ」

「いいかよく聞け。俺達が守るべきは、野生の鯨だ。だが、あのシャチは違う。あいつらは日本人ジャップの家畜だ。その証拠に俺達を襲ってきた」

「でも、仲間を助けてくれました」

「海に落としたのもあいつらだ」

「だけど、ここでやってることは世界中に動画配信されているんですよ。シャチを撃つところをスポンサー達に見られたら」

「大丈夫だ。今はダミーの映像を流している。誰も見ていない」

「しかし」

「今、海洋生物に対する生態的なホロコーストが行われている。俺達の敵は人間だけじゃない。人間に協力して魚介類を餌としている家畜も地球上の破壊者だ。つまりあのシャチや、魚を主食としている猫も、俺達の敵だ」


 なんですとう!? という事は、俺、この船にいるとかなり危ないのでは……

 隠れないと。

 歓声が上がったのはそのときだった。

 桜花に乗せられた二人の人間が縄ばしごで船に上がってきたのだ。

 桜花は人間を下ろすと、海に潜っていった。

 良かった。これで撃たれ……あれ?

 海面が突然盛り上がって桜花がジャンプしてきた。


 バ……バカ!! 早く逃げろ!!


 桜花は再び海面に飛び込む。

 水しぶきが甲板に降り注いだ。

 俺も含めて甲板にいた人間達はずぶ濡れだ。

 ポールが小刻みにふるえている。

 怒っているようだ。

 桜花が再び海面から飛び上がる。


「この化け物め!!」


 ポールはライフルをシャチに向ける。

 その時、俺は考えるより先に身体が動いていた。桜花を助けたいという思いから。

 ポールが引き金を引こうとしたまさにそのとき、俺は奴の顔面に猫パンチを見舞った。

 パン!!

 ライフルは大きく狙いを逸れる。


「なんた!? この猫は」


 そうしている間に桜花は再び海面に飛び込んだ。水しぶきが甲板に降り注ぐ。

 今のうちに隠れないと。こいつらにとって俺は保護の対象ではないらしいし。


「ポール!! 大変よ!!」


 メンバーの中にいた東洋系の若い女がiPhoneを翳して叫んだ。


「今の映像がネットに流れているわ!!」


 トロンの奴、やったな。


「何? 今はダミーの映像を流しているはず」


 いかん。奴ら一斉に船内に入っていく。

 早く、トロンを逃がさないと。

 通信機で……やべ!! 電池切れだ!!

 俺は窓から船室に飛び込んだ。

 ちょうどトロンはコンピューターを操作しているところだった。


「にゃあ!! にゃにゃあ!!(トロン。逃げろ!! 奴らが来る)」


 トロンは振り返る。


「うき?」


 おい、俺に猿語は……いけね。俺に猿語が分からないように、トロンに猫語は分からない。


「トロン!! 逃げろ!! 奴らが来る」


 改めて、人間の言葉で言ってみた。


「ウキー!!」


 トロンは俺の背後を指さす。

 え? もしかして?

 俺はそうっと振り返った。

 部屋の入り口にポールをはじめ、数名の人間が呆然と俺達を見ている。


「ピーター。おまえ、この猿にコンピューターの使い方を教えたのか?」


 ピーターは慌ててポールに向かって首を横に振る。


「とんでもない!! 頭のいい猿だと思っていたが、まさかコンピューターを操れるなんて……」

「それとこの猫、今変な鳴き方しなかったか?」

「人間の声みたいな……」


 しめた。こいつら、日本語が分からないようだ。これなら、変な鳴き方をする猫と思われるだけで済むかも……


「人間の言葉よ」


 さっきの東洋系の女が進み出る。


「本当か? モモコ」


 モモコ? こいつ日本人か。


「今の間違えなく日本語よ。『逃げろ。奴らが来る』って言ってたわ」

「なに!? おまえら、逃げ道を塞げ!!」


 ヤバい。こうなったら予定より少し早いけど……

 俺は前足を首輪に当てた。首輪に付いてるスイッチを探り当てる。

 爪を立ててスイッチを押しこんだ。

 ズガーン!! 船内に爆音が轟いた。


「なんだ!? 何が起きた?」 


 さっき俺達が船内に仕掛けた爆弾が一斉に爆発したのだ。同時に発電機が止まったので室内の照明が消える。

 トロンはその隙に窓から外へ。

 俺は奴らの足下をすり抜け通路へ逃げた。

 甲板へ出たとき、トロンは桜花の背中に乗って海上へ逃げ出していた。

 ほっとするのもつかの間。ポール達が船内から出てくる。海上にいるトロンと桜花はすぐに見つかってしまった。

 ポールがさっきのライフルでトロンを狙う。

 何が動物愛護だ!! この偽善者め!!

 俺はポールに向かってジャンプ。今度はさっきの肉球ぷにぷに猫パンチとは違うぞ。

 爪を出して思いっきりポールの顔をひっかいた。


「うわわ!!」


 ポールはライフルを落とす。ライフルは甲板の上を滑っていき海に落ちた。

「このクソ猫が!!」

 ポールは俺に捕まえようと飛びかかる。

 猫の素早さを甘く見るなよ。

 俺はひらりひらりとポールの手をかわし続ける。


「まて!! このクソ猫!!」

「にゃあお(ここまでおいで)」


 俺はポールの頭の上に乗った。

「やめろ!! 頭に乗るな」


 やーだよ。


 ポールは俺を捕まえようと頭に手を伸ばした。しかし、俺はすでにそこにはいない。

 上空から急降下してきたサムがポールの頭の上にいた俺の首輪を掴んで空に舞い上がっていたのだ。


 あれ? 足に何か引っかかってる。


 なんだ? この毛の塊みたいなのは?

 下を見るとポールの頭が妙に光っている。あれ、あいつの髪の毛は……もしかして、これはズラ!?

 あいつ禿だったのか。

 下でポールが何かを叫んでいる。

 武士の情け。これは返してやろう。

 甲板に落ちたズラを拾ったポールは恨みがましい目でこっちをにらんでいる。

 怖ええ……


「サム!! フルスピードで八雲へ逃げるぞ」

「ガッテン!!」


 こうして俺達の作戦ミッションは終わった。

 だが、この後、俺達に過酷な運命が待ってるなんて、この時は想像すらしていなかった。

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