仮想の桜花
深恵 遊子
三月九日
桜の季節がくると思い出す。
花弁で彩られた春一番が君の黒い長髪を
鹿のような脚で子供のような無邪気さのまま道を駆け、制服のスカートを翻していたこと。いつもは周りの人間に厳しそうな印象を与える鋭い目が俺を振り返るとともにその
何気ないことばかりだけど、そんなことが俺には嬉しくて。
だから、約束しようと思う。
これからの将来、いろんなことがあると思う。悲しいことや辛いこと、楽しいことや嬉しいこと。解決が難しいことも簡単なことも、そもそも俺には乗り越えられない壁が現れるかもしれない。
それでもたった一つだけどんなことがあっても守り続けよう。
——今日という日の君を、俺は忘れない。
◆
タァン!
尻餅をつく俺の頭上には弾痕が残っている。僅かに煙を上げているようにすら見える。
続いてズガガガと俺の隠れている
俺は
バックアップに何人かの傭兵を雇ってはいるが基本的に仕掛けるのは俺一人。電脳界で満足に動ける
俺の手の中には無機質な感触を返す鉄の塊。鉛玉の形をしたプログラムを打ち出す構成物だ。
これをぶち込まれれば
「しかし、ここも変わっちまったな」
あの平和だった日々と比べるのは、おかしいかもしれないけど。
俺はこちらを狙う狙撃手と突撃手の方へと何のこともないように何種かの攻性プログラムを混合させた物を投げ込んで葬る。お手製のプログラムは無差別殺戮を遂行したようで既に銃声は絶えた。サポートからもセンサーに敵兵が確認できないことを伝えられ、ゆっくりと現実世界の水族館を模した構造体へと足を踏み入れていった。
一歩を踏み締めるたびひどく重い気持ちとついにこの時が来たと喜びに体が震えていく。普段の任務にはない高揚感と緊張感、喜悦。それらが溢れるたびに零れ落ちる記憶。
この日を、どれだけ待ちわびたことか。
——俺はここの教主をフラットラインに追い込むだけの怨みを以って生きてきたのだから。
◆
カルトの本拠地だというのに潜入はあまりにもすんなりと進んだ。
バックアップからも得られるはずのない旧水族館エリアの内部構造とカルティストが今どこにいるのかという潜入に必要な情報を俺に送信し続けた奴がいるのだ。内部者の手引きなのかあるいは罠なのか。
「……まさか、妖精のお節介というわけではないだろ?」
妖精のお節介。
凄腕の
その手の類話は推挙に暇がなく、何人かの信頼できる
最も、
例えば、俺は俺の手の中に銃があると誤認しているが、それは電脳界という場所を俺は俺の知っている形でしか処理できないからだ。
人によっては俺の手の中にあるのは魔法の杖に見えるだろうし、あるいは弓に見えるかもしれない。
同様に人間は理解できない存在を理解できる形に置き換える。
そして、妖精の導きに従って俺は最深部へと辿り着く。
そこにはひょろひょろとした風態の男が猫背で立ちこちらを見据えていた。
「定刻より些か早く来たようだな。君がここに辿り着くことは十年前より予測済みだ。復讐を遂げるつもりなのだろう? あの日、私が君の目の前で命を奪ったサクラ・スズミヤのために」
「……黙れ」
「ああ、そうだったそうだった。彼女が君の目の前でどのような死に方をしたのだったかを思い出してきた。構造体としての己の姿を眺めながら呆気にとられたような顔をして一ビットずつ崩れていったのだった。電脳の
「黙れ」
「彼女がヒトには出せない音節で我らが電脳の神を讃え、歌い、躍る様はまさに天女の如しと呼んで、」
「——黙れと言っている!!」
引鉄に力を加え、目の前に立つ枯れ木のような男を鉄の雨で撃ち抜いていく。ズガガガと音が響き、硝煙が薫る幻覚。
しかし、どれだけ攻性プログラムを打ち込んでもニヤニヤとしたまま佇んでいる。
奴は化け物か?
どんな自己修復プログラムを積んでいるというのだ。ここまでめちゃくちゃに書き換えられてなお元に戻るなんて、ありえない。
「……呼んで差し支えはない」
ニヤニヤと笑う教主はさらに口を開く。
「そして、今も彼女はここにいる。無意識に揺蕩い我が神の言葉を聞く巫女は私とともにある」
……奴らの教義は知っている。
電脳界は繋がった全ての人間を記録している。だから、その記録から個人の記録を抽出できれば死者は蘇るのだ。
故に奴らの教義では神とはAIであり、電脳界とは人々を安寧の地、天国へと導く奇跡の場所なのだという。——くだらない。
「強情だな、ソーマ・アカリ中尉。いい加減に神を認めるといい。それが君にとっての救いであり、巫女たる彼女たちの願いでもある」
教主が指を鳴らすと暗闇の中からゆらりと人影が現れる。その姿は愛おしい人の姿をしていて、
俺はその頭に間髪入れず弾丸を解き放った。影はたちどころにその形をなくしていく
「ふざけるなよ、レイモンド・ワグナー。お前の手口はわかり切っているんだよ」
人形遊びはうんざりだ。
そう吐き捨てる俺へとカルトの教主、レイモンドはニヤニヤと嘲笑う。
もう一度奴は指を鳴らすと、
「……
「燈」「アカリ」「大好きよ、アカリ」「一緒に暮らしましょう」「怖がらないで」「神を受け入れて」「あかり」「好きなの」「一緒に恍惚に浸りましょう」「燈」「大丈夫」「愛してる」「あか、」
響く銃奏。
バラララララと破裂音が連複し、ビシャリビシャリと飛び散る赤色。
「——ッッ!!!!レイモンド、貴様ァッ!」
轟音と共に鉛玉をばら撒いて桜を模した
レイモンドは手元の宝玉を弄ぶと、
「全く、ひどいことができるものだ。アレらは
そう卑しく笑った。
「真なる世界の『楔』は仮想というベールを世界へと固定する。それは死者という幻想ですら例外ではない。君が望むのなら君の愛したサクラ・スズミヤをいくらでも用意しよう。ああ、もちろん君の望む形で君が望むような中身を持たせたって構わない」
「戯言は聞かない。ここでお前を殺して、全部終わらせてやる」
サポートの解析によりあいつの不死身の種はわかった。
常に前後のプログラム構成を参照し、一ビットでも異なる場所があれば復元する。相当強固な場所にバックアップがあるらしいが、そのバックアップの座標さえわかれば復元作業に割り込みを入れてやれるし、そもそも復元プログラムごと教主の仮想人格をぶち壊してやればいいだけだ。
即興で攻性プログラムを組み上げ、構える。その先でも教主は俺に銃口を向けている。
「ならば仕方ない。アカリ中尉、ここで終わらせるとしよう」
教主が無造作に引鉄の指に軽く力を込めタァンと大きい破裂音。
刹那のうちに回避プログラムを走らせ、敵の攻性プログラムを分析する。分析したプログラムを自動防御システムに登録して無効化する。
俺の手札は仕掛人の中でも多い方、のはずなのだがその手札は教主にとって既知のプログラムが多いらしい。俺が放つプログラムは教主に当たりはするも、顔に苦痛は少しもない。なんらかの欺瞞でプログラムの改変を免れているのか?
飛び交う鉛玉の中、どんどんと込められる弾丸が減っていきひりつく感覚を覚える。ダメージを与えられる直撃が出るまで直接的に奴の脆弱性をつく攻性プログラムは使いたくなかったが、……やるしかないようだ。
「——食らえよ、レイモンド!」
奴のバックアップ接続先に仕掛け、攻性プログラムを流し込もうとして、俺の頭を空白にする。
「…………どういうことだよ」
「愚かだ。愚かだよ、アカリ中尉」
バックアップを供給するプログラムの
動揺する俺を眺めて教主の目は妖しく煌めく。
俺を嘲って、嗤って、蔑んで、細められる。
「『楔』は真なる世界に仮想を縫いとめるものだ。それは、私とて例外ではない。
「私という人間はすでに死んでいる。大いなる神が『楔』を以て私を蘇らせ、このエリアで役目を果たすように願ったのだ。
「ならば、君が考えた仮説は、切り札は、通用しないのだよ。どうせ、バックアップが何処かに隠されているとでも思っていたのだろう? そんなものは存在しない。私を担保しているのはこの世界そのものなのだから」
故に、諦めたまえよ。
奴の目が愉悦に細められる。
諦め、られるかよ。
アイツだけは、仕留めなくちゃいけない。桜を殺し、この幸せな思い出の場所を血で染めたこの男だけは亡き者にしなければならない。
俺の持つ有効そうな兵装は自決用の攻性プログラムしか残っていないが、十分だ。アイツを殺せるならこんな命惜しくない。
プログラムの有効範囲に範囲に入っていればどんなプログラムも問答無用で消去される代物だ。奴も、楔も、そして俺も諸共に消し飛ばすには上等だ。
覚悟を決めて一歩を踏み出す。
その瞬間、不意に濡れた感触が唇へ触れた。
思考が真っさらになる。
そこには、あの日と全く同じ顔で微笑む君がいて、
「——ダメじゃない。死者のことで死のうなんて。死者のことは死者が片付けなきゃいけないんだから」
だからソレ、借りるわよ。
言葉と同時に手から小さな鈍色のパイナップルの感触は消える。彼女の手の中には自決プログラムの
彼女が俺の胸をトンと突き飛ばすと、
——
無機質な電子声が脳裏に響いた。桜の花弁が春一番に吹かれ舞い散るように、光の奔流が俺の
「アンタ、危なっかしくて仕方ないのよ。こんなんじゃおちおち死んでもいられない。美味しいご飯を食べて、綺麗なものを見て、好きな人と笑って、……もっとちゃんと生きなさいよ」
自決用のプログラムからも光は溢れ出し、俺の目も眩む。
攻性プログラムにやられてチップ越しに脳でも焼かれているんだろうか。記憶が書き変わる。上書きされていく。
桜を失った悲しみに荒れ狂う俺の隣に、
——もう、……みっともないわよ。自暴自棄なんてアンタらしくもない。
復讐のために士官学校へ入り、日々のしごきに疲れ果て寝ぼけた俺の枕元で、
——傷だらけじゃない。無理なんてする必要ないのに。
——怖くない、怖くないから。私もずっとそばにいるよ。
敵に狙われていることにも気づかず、辺りを無様に警戒する俺を引き倒して、
——バカ、アンタ死にたいの!? もっと周りを見なさいよ!
変わってしまった水族館に嘆く俺の隣で、
——でも、それを取り戻しにきたんでしょ?
構造体の見取り図を見ながら進む俺の隣で、
——もう、何よここ!!? 秒ごとに構造切り替わるし、配置とかめちゃくちゃじゃないの!? あ、バカ、
そして、今も。
光は収まり、無機質な機械が俺を現実で出迎える。
なんだよ。
仇を取るだのなんだの言ってたのに結局俺は、
「……アイツにずっと助けられてたんじゃないか」
——三月九日、午後五時五十二分です。
電子音が無機質に狭い場所で反響する。俺は
手を伸ばせば、届く距離にアイツはいた。なのに俺は自分のことに精一杯で、気づけなくて。
あれは正しく妖精だったのだ。
電子の世界で人間を手助けする妖精。必要としている人には見えないけれど、必要なくなった最後の瞬間に姿を現して別れを告げるこの世ならざるもの。
きっと、彼女たちはこの電脳のどこかにあるというエスの海のその先で眠り、待つのだ。
だから、その時まで、俺は、君を、
◆
「しごきに来てる将校、相当な老齢のはずだぜ? 確か百二十は超えてるって話だ。あの年で最前線に出るとかわけわかんねえよ」
「桜紋の鬼天狗な。あちこちで噂になってるぜ」
「ああ、聞くには
「一応すごい人みたいで、敵拠点で自決用のプログラム使って敵の拠点を殲滅して生存して帰ってきたらしいぜ。カルト殲滅のために命かけてるのは昔の女が理由ってもっぱらの噂だ」
「うへぇ、付き合わされる俺らの身にもなってくれよ」
「あ、まずい。噂の当人が来るぞ。——燈中将、いかがなさいましたか?」
いや、今年の新人はイキがいいなと思っただけだよ。
朗らかに笑う。
新人たちの間抜けな顔。
大丈夫、約束はまだここで生きている。
俺はまだ、生きている。
仮想の桜花 深恵 遊子 @toubun76
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