第28話 その日の夜
姉ちゃんが拗ねながらも自身の家に帰って行き、我が家には再び平穏が戻ってきた。
この二日間、精神がガリガリ削られたせいでまだ八時なのに眠い。普段の就寝時間が十一時過ぎなので、珍しいことだ。
俺はベッド寝っ転がりながらテレビを見ている陽菜に声をかける。
「陽菜〜。俺はもう寝ることにするから、寝る時はちゃんと電気消せよ?」
「あ、先輩も寝るんですか?私も丁度寝ようと思ってました。……なんか、いつになく眠いです」
「おお、そうか。……んじゃ、テレビ消してくれ」
ポチッと陽菜がリモコンの電源ボタンを押し、リモコンを放り投げてベッドに乗ってくる。……リモコンをもっと大切にしてあげようね。下がカーペットだからいいものの、いつかリモコン壊れるから。
そして布団の中に潜り込んでくると、いつも通り腕に抱きつく。
……って何がいつも通りだよ!
俺はいつもこんなことをされていたのか……。陽菜に好意を持っていると自覚しているので、「いつも通り」の陽菜が今までと違って見える。俺の理性、頼むから全力で仕事しろ!
流石に陽菜の両親と約束した当日に陽菜を傷つけるのはやばい。というか傷つけること自体ダメだろ。……水崎優斗、心を無にするのだ。煩悩を捨てるため、心の中でお経を唱えるのだ!……お経とか全く知らないけど。
「あれ?先輩今日はどうしたんですか?体、緊張しているみたいにガチガチですよ」
「……そういう日なんだよ」
「何ですかその日」
近い!
「……やっとゆっくりできるようになったんですから、力を抜いてリラックスしましょうよ」
「…………」
いやだから、近いって!
こんな状況でリラックス出来るかよ!前までの俺はよくこんなん我慢できてたなあ、おい。
一旦大きく深呼吸。
……よし、平常心だ。これは普通のこと。緊張する必要無し。脱力脱力。
「……先輩、昔あんなことがあったんですね……」
眠気はすっかり吹き飛び、それでもだんだんと心が落ち着いてきた頃、不意に陽菜が喋りかけてきた。
陽菜の方に目をやると、腕に掴まりながら上目遣いでこっちを見ていた。
「……まあ、今となっては過ぎたことだし、もう既に乗り切っているから大丈夫だ」
「……それじゃあ、なんで私を受け入れてくれたんですか?あんなことがあったのに、どうして同棲なんて許してくれたんですか?また裏切られて、辛い思いをすることになるかもしれなかったのに」
……どうして、か。
本当にどうしてだろうな。
自分でもわからない。
でも、少なくとも一番大きかったのは―――
「一番大きかったのは、どれだけ距離を置こうとしても、諦めずに俺に執着してきたことかな」
距離とっても、グイグイとその距離を縮めてくる。俺が折れるまでは絶対に折れようとしなかった。
そんな諦めの悪さが、俺を信用させるにまで至ったのかもな。
「それと出会った初日、『一緒に帰りましょう』って言われたことも大きいかな。人に誘われるってことが全然無かったし、あの時は自分から誘っても一緒に帰ってくれなかったから、『誰かに必要とされている』ってことが嬉しかったんだろうな」
「……そう言ってもらえると、嬉しいです。諦めの悪かった昔の私に感謝しないとですね」
陽菜はそう言って嬉しそうに笑った。
「ねぇ、先輩。お礼のこと、覚えてますか?」
「お礼?俺なんかしたか?」
「定期を渡してくれた時のですよ。覚えていませんか?」
「あー……そんなのもあった気がするな」
……確か、「お礼とかしてないですし」とか言ってたっけ?本当にしてくれるのかよ。そこまでのことしたつもりないけどな。
「……これは、その時のお礼と……今まで一人で頑張ってきたご褒美です。……真上を見上げていて下さいね」
陽菜は腕を掴まえていた手を離し、その手は俺の首の後ろに持っていかれる。
グイッとその手で引っ張って、陽菜の頭が俺の頭と並ぶ。
そして―――俺の頬に柔らかいものが押し当てられた。
「……あの時、私を助けてくれてありがとうございます。それと……一人でよく頑張りましたね」
俺は陽菜の喋る声も耳に入らず、初めての唇の感触も十分に感じることができないまま、意識が遠のいていってしまった。
意識がなくなる前に思ったことはただ一つ。
―――最高かよ。
(陽菜視点)
勇気を出して頬にキスをしてみたが……どうやら先輩は気絶したようだ。情けないけど、それもまた先輩らしいな。
ちょんちょん、と先輩のほっぺをつついてみるが……反応無し。ありゃりゃ。
「……折角勇気出したんですから、どうせなら覚えていて欲しいですね」
ボソッと本音が漏れるが、先輩は気絶したままだ。
先輩の首の後ろから手を外し、今度は先輩のお腹の辺りに抱きつき直す。……あったかいなぁ……。
そろそろ私も寝るとしよう。
一度先輩の胸にグリグリと頭を押しつけ、目を閉じる。
「おやすみなさい、先輩。……大好きです」
☆あとがき
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