使用人、ダンジョンを発見する
レンとケイスは無人となった郵便室にたどり着いた。木造の小ぶりな三角屋根と丸い窓が、その辺りにメルヘンな雰囲気を漂わせているが、しかしここは魔物による凄惨な虐殺の最初の現場になったのだ。
「あまり立ち入らないほうがいいんじゃないかな?」
「禁止はされてないよ」
それで充分とばかりにレンは進み出た。
彼は玄関扉を開いた。中は丸窓から差す陽だけで照らされており、壁を埋める大きな棚からすべての手紙が撤去されている、物寂しい一室になってしまっていた。部屋は閑散として事件現場のようには見えなかったが、よく目を凝らすとあちこちに拭ききれていない血痕が残っていた。足元にも、擦ったような血の滲みがある。もっと全体が破壊されていてもおかしくないが、そういった外観はさすがに修復を施したのだろうか。
部屋の真ん中あたりの床が周りより数センチだけ浮き上がっている。レンが近づいてみると、そこだけ釘が外されていることがわかった。
外されたまま蓋になっている床板を持ち上げると、その下には床より質の悪い板切れが並べられていた。そしてその板切れの上に魔法陣が描かれているのを見つけた。すでに発動されたために色味を失っており、しかもその陣にはナイフの傷で大きくルーン文字が重ねられている。
「この文字は?」
ケイスが後ろから覗き込んだ。
「これは魔法陣の機能を失わせる為の、“取消線” といわれる処置だ。発見したあとすぐに学校の人が施したんだろう」
「なら、この魔法陣は対処されているということなんだね?」
レンはうなずいた。
しかしケイスは先んじて彼の意図を汲み取った。
「君はこれ自体に疑問を感じている、と」
「…… そもそも犯人は召喚魔法陣を仕掛けて、なんの意味があるのかと思うんだ」
レンはあごに指をあてた。
「うーん…… 僕もわからないな、悪人の思考回路は。この学校に害をなす、くらいかな?」
「それにしたってだよ。あの魔物はたしかに脅威だった。だが、上位の魔術師なら駆除できる程度だ。犯人はそれで満足だったのか…?」
「ただの愉快犯とか?」
「かもしれない。そして、そうでない可能性も」
レンは足元の魔法陣を睨みつけた。
「そのどちらなのかは、今からわかるよ」
レンは片足を持ち上げ、魔法陣の床を強く踏みつけた。すると大きな音を立てて、床板は壊れ、踏んだ足はさらに下に抜けた。その底は予想以上に深かったようで、レンが態勢を崩したのをケイスが後ろから支えた。
「ケイス、手伝ってくれ」
二人は割れた床板に手をかけ、それらを次々に剥がしていった。その下には、本来なら土台の地面があるだけであろう。しかし現実には、その下に不自然な空間が広がっていた。それは正方形の穴だったが、それが学校の用意した設備ではないと直感させるものがあった。穴は途中で階段になっており、底には道がつづいているのがわかる。さらにその奥では青白い光が漏れているらしいのが見えた。
ケイスは息を呑んでいた。
レンは言った。
「答えは出たな。犯人の狙いはこれだ。床下に隠した魔法陣を見つけさせ、実はそのさらに下にこそ本当の思惑があったわけだ」
「レン、これはいったい……」
レンはしゃがみ込み、穴へかるく手をかざした。穴の中は地上より空気が冷たく乾いている。ケイスの問いに対する答えを彼は持っていた。
「ダンジョンってやつだよ。おそらく中には魔物がいる」
ケイスは初めて聞く単語に戸惑っているようだった。
レンは逡巡ののち、相棒を振り返った。
「俺が中に入ってみる。五分して戻ってこなければ、ここを出て――」
「いや、ダメだ」
ケイスは制した。
「君も言ったろう? 魔物が出るようなら、生徒だろうと警護兵だろうと逃げるべきだって」
「………」
「君はそのダンジョンとやらを知っているらしい。きっと自信もあるんだろう。でも、見るからに危険な場所へ君を見送ることは、同僚として――友人としてもできない」
それを聞いたレンは目を閉じ息をついて、考えた。放置はできないが、これを自分が見つけ出したことを大げさに広めたくもない。その結果、「ひとりでケリをつけてしまおう」というさっき出した結論は、彼の別の理性によって退けられた。
「…… わかった。一度ここを離れて、学校の人間に報告しよう」
ケイスはそれに同意した。
◇◇◇
二人は郵便室を出て、足早に校舎を目指した。敷地の中心には、教師たちが授業以外の時間を過ごしたり事務をこなしたりする教員棟がある。二人はそこの大きな玄関扉に入り、窓口に行った。
レンには、ここで 「よくわからない怪しいものを見つけた」という報告だけして、あとの調査を他の魔術師に丸投げしようという考えがあった。そうした主旨を聞いた受付嬢も、手早くそれを紙上にまとめて暇な教師に回すという作業に取り掛かりはじめた。
「これでいいのかな?」
「仕方ない。あれは俺たちには荷が重いから」
自身もまた心配そうなケイスに、レンは短くそうささやいた。彼の判断は決して嘘ではなかった。
仕上げた書類を隣の木箱に移そうと目を上げた受付の女性が、横にいる誰かをとらえた。それは窓口の中奥にいるもので、レンとケイスには見えなかった。
「先生、今報告を受けましたので、お時間あったら見てもらえますか」
受付嬢は木箱に入れかけた書類を、そのまま宙に差し出した。
すると窓口の奥から手がにゅっと現れ、次にその主が受付嬢の隣に歩いてきた。
「ふむ……」
老眼らしいその人物は書類を顔から離しつつ、文面に目を走らせた。背はわりに低く、顔より大きなあごひげをたくわえている。
その老教師がちらりとこちらを見たので、ケイスは姿勢を正した。
「警護兵のケイスと申します。警備巡回中に、ただいま報告したとおりのことが起こりまして、こちらへ参った次第です」
隣でそれを見ていたレンも、相方の見よう見まねでつづいた。
「レンです」
本職は使用人にすぎないので、堂々と警護兵を名乗るのは気が咎めた。
老教師の、深いしわの刻まれた眼がかすかに緊張したのをレンは見てとった。
「そうか、儂は教員のジグーという者だ」
彼は目の前の少年が、執事の報告にあったミセア嬢の使用人だということをさとった。
「これは…… 実に興味深い報告だと思う」
「では、我々はこれで」
レンは老教師の穿つような目つきが居心地悪く、なるべく早くその場を辞そうとした。
「いやいや、君らはまさに重大な報告をしてくれた」
ジグーは感慨深くそう言いながら、横の扉を使って窓口を出た。
「さっそく隊を組織して、調査しよう。君たちにも同行してほしい。異常を見つけたその見聞は役に立つからの」
レンは舌打ちしかけたが、外見上は至極冷静につとめた。
相手の視線が自分に留まっているのがわかる。しかしこれは以前の審問官とは違い、純粋な興味からかもしれない。ただ老成したジグーの眼が本当は何を意図しているかということは読み取れなかった。
わかるのは、彼の言葉は要請ではなく、ほとんど命令に近いものであるということだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます