同僚たちの信頼を得る

 レンが木剣を構えるのを見届けず、監督官は斬りかかってきた。


 レンは剣でそれを受け止めることをやめ、大きく一歩だけ下がってみせた。すると相手の剣は鼻先で空振りになった。そこで監督官からの追撃がないのをレンはみとめた。やはり相手もここまで兵たちをいびり倒してきたなりに、相当疲れているようだ。自分に敵をいたぶる趣味がない以上、この諍いはすぐに終結するとわかった。


 レンは相手の虚を突くことも、カウンターを狙うようなこともせず、ただ剣を大きく水平に振りかぶった。周りで見ていた兵たちも、さすがにそれは避けられるかと思ったが、意外にもその一撃は綺麗に相手の左肩に命中した。レンの予想通り、日が暮れて辺りが暗くなっていたので、視界の端から飛んでくる剣の軌道を男は捉えることができなかったのだ。


「うぐぅ…!」

 監督官は木剣を取り落とし、左肩を押さえて膝をついた。その一撃で、完全に戦意は失われたらしい。



 レンは男の前にしゃがみこんで視線を合わせると、淡々とした口調で言った。

「監督官殿、大丈夫ですか?」


 相手は肩の激痛に歯を食いしばったまま、答えられないでいる。しかし同情の余地はない。この男によって同じ激痛を味わわせられている兵たちが十数人この広場に転がっている。利き腕や手首を折られた者もなかにはいるかもしれない。


「まだ、稽古を待っている者が半分おりますが」


「…… 終わりだ… 今日は終わり……」

 監督官は下を向いたまま、うめくような言葉をしぼり出した。



◇◇◇



 レンは警護の仕事を任されるようになってから、シフトによっては朝のミセアと鉢合わせることが多くなった。 


「校舎まで送りましょうか?」


「そこまでしてもらう必要はないわ」


「俺も警護兵なので、今からあっちへ向かうんですよ。それに、一人でいるよりは面倒な人間に話しかけられずに済むと思いますが」


「まあ、それはそうかもしれないけれど」

 それ以上拒否する理由もないので、ミセアは了承した。


「警護兵の仕事は慣れたかしら?」

 歩きながら、ミセアは訊いた。


「ぼちぼちですね。でもやってはいけますよ。なにせご主人の期待に応えないといけないので」


「期待というか、身勝手みたいなものね。問題があればいつでも使用人専任に戻せるから、そのときは言って頂戴」

 と彼女は親切に言った。


 この学校特有の、小さな校舎の群れの中に分け入ったところで、レンは向こうから歩いてくるケイスを見つけた。


 出会い頭に彼は微笑みかけた。

「レン、昨日はありがとう」


 お構いなく、といったようにレンは手を振った。


 ミセアが二人を交互に見比べた。

「彼はあなたの同僚?」


 レンは答えた。

「昨日知り合っただけですが。ケイスです」


 彼はレンの隣に、校内で評判の美しいご令嬢が立っているのを見つけると、あっけにとられたようだった。

「そうか…… 君はエオラーム嬢の臣下だったんだね。なんだかすごく合点がいったよ」


「やめてくれよ」

 レンは肩をすくめた。

「ただの使用人なんだ。掃除洗濯の」


 主人は大事な使用人にできたらしい友人に、本人に成り代わって丁寧に挨拶した。

「彼にはまだ剣を取らせたばかりなのだけれど、きっと役に立ってくれるから、よろしくお願いするわ」


「いえ、そんな…! めっそうもございません」

 ケイスは恐縮して言った。



 ケイスとわかれたあとも、道中ですれ違う見知らぬ警護兵の同僚たちが次々にレンに声をかけ、彼の肩を叩いた。


「レンってあんただよな? おかげで監督官は今、自宅療養中だとさ。恩に着るよ」


「何か困ったことがあったら言ってくれ」



 ミセアは最初、レンが新しい集団で居場所を獲得したことに安心していたようだったが、徐々に怪訝な表情になってきたようだった。


「昨日、いったいあなたに何があったの?」

 ミセアは尋ねた。


 レンは苦笑して答えた。

「歓迎会があったんですよ。ちょっとした」



◇◇◇



「授業はこの教室よ」


「そうですか、では……」


 と主人を送り出しかけたとき、そばにいた警護兵が話しかけてきた。相手はレンのことを認識しつつ、昨日のことへの感謝とは別件を伝えた。

「すまないが、この授業の警備だけ加わってくれないか? まだ一人の警備のやつが来ないんだ。規定の警護人数を満たさないと授業が開けない」


 レンは主人の方を見た。


「……短い間にずいぶん信頼されるようになったのね」

 主人としては使用人の活躍に喜んでもいいはずなのだろうが、彼女はなぜか釈然としない顔をしていた。


「警護に加わっていいですか?」


「ええ、もちろん」


 もしかしたら、自分がレンに対してもっている以上の信用を彼が仕事仲間から一夜にして稼ぎ出したことへの多少のやきもちが生まれたのかもしれなかった。


 とにもかくにも、レンは敷地の見回りではなく、ミセアとともに教室へ入ることになった。





 円形の教室は簡素で物がほとんどなく、中心にローブをまとった教師が立ち、それを生徒たちが立ったまま取り囲んでいる。教師はその場で様々な魔法を生じさせてみせ、それに伴ってルーン語の語彙や用法を語っていく形式であった。


 レンら三人の警護兵は、出入り口を塞ぐようにして教室の隅に立ち、中心で行われる魔法の業を見守っていた。


 教室では、ふだんレンが家の方で見ている以上にミセアの貴族的佇まいと振る舞いを目にすることができた。授業での彼女は常に積極的に発言し、教師に対しても物怖じせずに自分の意見を言った。規則により上級生も混じっているはずだが、彼らもミセアの話を否定や批判することはなかった。彼女の同級生ならなおさら、彼女についていくだけで精一杯だったろう。レンからみても、彼女は今の学年よりひとつかふたつ上級の知識を充分に備えているようだった。



◇◇◇



「どうだったかしら、初めての授業見学は」


「おもしろそうでしたね。俺も生まれ変わったら魔術師になりたい」


「それって冗談?」

 ミセアはくすりと笑った。


 レンは肩をすくめる。

「見学できたおかげで、ご主人の新たな魅力を発見することができました」


「あら、それはよかったわ」

 ミセアは取り澄ましつつも、誇らしげな様子を隠さなかった。



 参加を頼んできた兵からの礼を受けつつ、レンはミセアとともに教室を出た。


「あなたはこれから見回り?」


「ええ」


「異常はないのね? 今のところ」


「ええ」


 その返事に一瞬だけ間があったのを、彼女は見逃さなかった。


「レン」

 ミセアは言った。

「何か気になることがあるなら、早めに言っておいてちょうだい。まだ話していなかったかもしれないけれど、評議会であなたの推理を披露したとき、けっこう評価されたのよ。だからあなたの考えは、私たちにとても参考になると思う」


 彼は物憂げな眼をみせた。

「そういう場で目立つことは、あまり嬉しくはないですね」


「そう?」

 ミセアには意外な言葉だった。なにせ彼女にとっては、どんな場でも自分が周りより一段目立つことが日常的な出来事なのだ。


「俺の説はあっさり却下されるかと思ってましたが……そうか」

 レンはそれによって目立つということを、あまりよしとしない人間だった。


「実際に魔法陣が見つかったそうなのよ。だからあなたの推理が、評議会内で今のところ最も妥当とされているわ」

 次の授業に間に合わせるため、ミセアはそろそろ教室へ向かわねばならなくなってきた。

「とにかく、考えは私に逐一伝えるように。これは主人としての命令です」


「わかりました」



 主人を見送ると、レンはその場でしばし思慮にふけった。


 そこへ背中からケイスが声をかけた。


 レンは振り返った。

「よく会うな、君とは」


「見回りしてるからね」

 ケイスは目を細めて笑った。


「ちょっと歩かないか?」


「え? 一緒に? 見回りの業務上、それはよろしくないんだけど――」

 ケイスは首の後ろを撫でた。

「――でも、君の頼みとあってはしょうがないね」



◇◇◇



「僕は前からこの学校の警護兵だよ。弱いけど、いちおう急増要員ではないね」


「魔物のことは聞いてるか?」


「もちろん。公にはされてないかもしれないけど、ミセア様が襲われたことも知ってるよ。しかも、他の生徒を助けたことも広まってる。あの人は本当に立派だね」


「まったくだ」

 レンは同調した。

「でも本来なら、逃げるべきだったな。生徒だろうと警護兵だろうと」


 ケイスは苦笑した。

「僕らは戦うべきだよ」


 レンはかぶりを振った。再びこの学園にいる悪しき魔術師が召喚術を使ったなら、そのときも凶悪な魔物が召喚されるだろう。太刀打ちできるのは、教師レベルの魔術師くらいだ。もし召喚されるならだが。そう、もし召喚されるなら。



「そんなことするだろうか……」


「え?」


 独り言が口をついて出ていた。レンは言葉を嗣いだ。

「……と、思うんだ。これだけ警戒態勢が整って、わざわざリスクを冒して召喚術を試みるだろうか」


「ごめん、何の話?」

 ケイスはふと、二人して敷地のはずれの方へ歩いてきていることに気づいた。

「ねえ、こっちはもう何もないんじゃない? 郵便室くらいしか」


「そう。そこへ行きたいんだ」


「え?」


 レンはまっすぐ前を向いたまま言った。

「わざわざ付き合わせてすまない。でも、もし俺に何かあったとき、報告できる人間が必要だろう?」

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