パワハラ隊長に制裁
ただの使用人であったレンは晴れて学校の護衛兵に昇格となったわけだが、彼の日常にはほとんど変化がなかった。彼は護衛兵として帯剣し、校内を巡回することが義務づけられたが、それがなくとも敷地の中をいつも歩き回っていたし、実際に事件が起こらない以上、そこでできることは雑用しかなかったのである。
そんな日常に吹きこむ新しい風が入ったのは、通常業務を終えた夕方だった。
レンは影の長くなった校舎の間を進んでいった。辺りでは当番の者が松明を手に、等間隔に立つ燭台へ次々と火を移す作業をしているのがみられた。主要な通りは魔石を利用した灯りが置かれていたのだが、その多くが魔物警戒に伴う経費圧迫のあおりを受けて、歴史と趣のある、木と油の面倒な燭台に交換されたのだった。
前方の十字路でミセアを見つけた。彼女は路の角で生徒らしき人物と会話をしている。すると彼女はレンに気づき、その相手との話を切り上げてこちらへ歩いてきた。
「アルリーが食事の準備を終えていましたよ」
話しながら、レンは二人が話していた角を見やった。
「恋人ですか?」
彼が出し抜けにそう訊くと、ミセアは眼を大きく見開き、それから心底嫌そうな表情になった。
「冗談はやめて」
「…… すみません。そんなに嫌でしたか」
レンは主人の機嫌を損ねたことを少なからず反省した。
「もしそうだったら、次から邪魔をしないようにできると思って」
「…… 軽薄な人よ。今後も、あまり言葉を交わしたくはないわね」
ミセアは先ほどわかれた相手の方をちらりとも見ずに言った。
「あなたはまだ仕事なの? それとも、これからなのかしら? 警備は夜も続けるでしょうから」
「夜勤ではないですよ。今のところは」
レンは言葉を嗣いだ。
「ただ、今日は広場の方で警備兵の集まりがあるらしいので、まだ戻れませんね」
「そう。なるべく、無理だけはしないように」
と言付けて、ミセアは彼の横を通り抜けていった。
レンが広場へ着くと、すでに他の警護兵たちがばらばらに集会の開始を待っているところだった。手持ち無沙汰のレンも、空き時間をどう潰そうかと思ったが、それは杞憂に終わった。
遠くから誰かの声が聞こえてきて、レンはそちらの方を見やった。その人物はかなりの距離からでも声が聞こえるくらいの怒声をあげていた。
「ノロノロするな! 早く並べ!」
にわかに辺りが騒がしくなった。その男は広場の中心に近づきながら、行く手に立っている兵の襟首を掴んで押しやったりしている。
「おら! 整列ぅ!」
かなり厄介な人間が来てしまったようだとレンは思いつつ、自分もひとまず広場の中心に集まることにした。
警護兵たちはその男に小突かれながら、数分後にはほとんど正方形の隊列になるように並んだ。
男はその列の前で、自分の正面にまっすぐ剣を突き立てて大声で話しはじめた。
「お前らの根性を叩き直すため、今から訓練を行う! 隣のやつと二人一組になれ!」
レンは辺りを見回した。一覧するに、護衛兵たちの平均年齢は若かった。そもそも危険の少ない学校の警備だったので、経験の浅い若者が選ばれるのは頷ける。さらに急な人員補充も重なって、よけいに新人がたくさん回ってきたのだろう。
すると、隣にいた同い年くらいの少年がレンにかるく目配せした。レンはそれに頷いたので、相方はすぐ決まることとなった。
「グズグズするなァ!」
前の方に立っている兵がまた小突かれたようだ。
レンは相方と適当な距離をおいて向き合った。
「君、名前は?」
「ケイスだよ」
短く暗めの金髪に、緑色の瞳。ひと目見ただけでも、彼は見るからに優しそうな人物という印象を受けた。
レンは自分も名乗ったのち、新入りらしく質問した。
「こういうのは定期的にある?」
「いや、そういうわけじゃないよ」
「俺は今日の昼にこの集まりのことを知ったんだけど、君は?」
「僕もそのくらいだよ。きっとこの集会を開くことが決まったのは、今朝あたりなんじゃないかな」
レンは眉をひそめた。
「でも、さっきから “どうしてこの集会をすることになったか” の説明が一切ないじゃないか。いきなり訓練が始まってる」
「あの監督官は、いつもそんな感じなんだよ。今朝、何か腹の立つことでもあったのかも」
「誰だァ! 勝手に話をしてるのは!」
前方で怒鳴り声が上がった。
「監督官ってことは、あの男がいつもここを仕切ってるってことか。しかし木剣もないのに――」
「あ、あんまり喋らないほうがいいよ」
かまわず話そうとするレンを、ケイスの方が止めた。
全員が自分の望み通りに二人一組をつくったのを見て、監督官は満足そうに鼻を鳴らした。
「よし。では今から、型稽古を行う! えー、最初は…… こう!」
彼は横を向いて、剣を空に振り下ろしてみせる。そしてすぐに移動して、自分がもといた位置に振り向く。
「相手はこうやって受ける! そしたら相手はこうして、こう!」
と監督官は何度も行ったり来たりの一人二役を繰り返し、さらには途中で型の手順を巻き戻したりして、たっぷり時間をかけて説明した。終わった頃には監督官の息が上がっていた。
「ようし…… やれぇ!」
高らかに号令がかかったが、しかし兵たちはお互い向き合ったまま、その型を演じるのをためらっていた。
「なにをしとるんだ貴様らは!」
監督官は怒鳴ったが、やがて気づいた。兵たちは真剣しか持っていないので、さすがそれを抜いて相方に斬りかかってみせることはできなかったのである。
レンはケイスにささやいた。
「君ら、よくあれに毎日ついていけるな」
「いや、あの人強いんだよ、本当に。僕らは敵わないから仕方ないんだ」
監督官は小さく唸ったのち、また叫んだ。
「貴様らアホか! 剣は鞘から抜かずに使えば斬れんだろうが!」
列の中から「ええっ」と声が上がると、監督官は素早くそちらを睨みつけた。そして兵たちが鞘ごと剣を腰から引き抜いて準備しはじめる隙に、後ろの使用人に木剣を持ってくるよう言付けていた。
レンは鞘のついた剣を前に掲げてみた。ミセアからもらったその剣は、鞘にも素晴らしい紋様が施されている。
「はぁ…… なんてもったいない」
彼は嘆息した。
レンは鞘が傷つかないよう、ケイスの鞘にはぶつけないように型通り剣を振った。彼もふらつきながらそれに応じる。鞘をつけたままでは重みも重心も普段と違うので、違和感をもつのは当然だ。このような訓練を続けては、むしろ悪影響すらあるかもしれない。
「おい! ちゃんと振らんか! この大馬鹿が!」
列の前の方で、おそらくレンと同じことを考えたのであろう兵の一人が監督官に蹴飛ばされていた。
しかしレンとしては、この素晴らしい剣の装飾を損なうくらいなら、あの監督官に斬りかかった方がましだと決めていた。
その型の稽古が一通り済むと、監督官はさらに次の型を指示した。彼はまた一人二役の身振り手振りでわかりにくい解説をし、釈然としない兵たちが手探りで行うのを蹴り飛ばすというのを続けた。
最終的に監督官は8つの型を兵たちに演じさせ、しかも8つ目を終えるとそれまでの型をすべて最初から繰り返すように命じた。
陽は半分落ちかかって、剣を持つ手元もだんだん暗くなってきた。兵たちは心身ともに疲労しきっていた。
「よし、最初からもう一度ぉ!』
あろうことか、監督官は再び型の繰り返しを命じた。さすがに兵たちから憎しみの感情が湧いているのが感じられたが、監督官はそれを無視しているか、鈍感すぎて気づいていないのかして意に介さぬままだった。
レンは仕方なく、のんびりした調子で剣を上げ下ろした。ケイスはそれをへろへろになりながら受ける。
「君… 体力あるね……」
さすがに相方が気の毒になってきたレンは、身体を動かしながらケイスにささやいた。
「さっきから見てたが、足の運びに無理がある。あの監督官より、もう少し両足の間隔を開いたほうがいい。肩が回しやすくなる」
ケイスは息を切れさせながらも、言われたとおりにしてみた。すると、先ほどより明らかに振りが滑らかで無理のないものになった。
「な、なるほど。すごい…!」
「あいつを手本にしてやると下手になるよ」
監督官当人は、先刻言付けた使用人が戻ってきたのだが、目的の木剣を二本しか持ってこなかったことに激情しているところだった。
「ようし! 貴様ら!」
男は木剣二本を活用するすべを思いついたようだ。
「今から俺が直々に稽古をつけてやろう! 組んだ二人のうち一人ずつ、どちらか代表者が出てこい!」
最前列の兵が身構えるのも待たず、監督官はほとんど襲いかかるようにして稽古を始めた。当然ながら疲労困憊の兵たちは大した抵抗もできず監督官に打ち崩されていく。
「なんだそのザマは! 情けない!」
崩れ落ちた兵に、男は容赦なく罵声を浴びせた。
「おら次! お前!」
監督官はまるで伝染病が隣人にうつっていくように、近場の兵に次々と打ちかかっていった。自分を避けようとする者に男は特に腹を立て、執拗に追い回して木剣で打ち据えるのだった。
本来ならさっさとその場を離れているはずのレンも、目の前で繰り広げられるあまりに理不尽な光景に奇妙な好奇心を覚えて、ついその場で見物してしまっていた。そのせいで、いつの間にか監督官の強襲が目の前まで迫っていた。
疲れきった兵を容赦なく打ち倒した男は、顔を上げたそのときにレンと目が合ったが、その視線はすぐに肩で息をしているケイスの方に移った。
「次! お前だ!」
ケイスはぎょっとして、ふらつきながらも投げつけられた木剣を受け止めようとした。その直前、後ろのレンが彼の肩を引いて、代わりに空中の木剣を掴んだ。
「俺がやる」
「レン…!」
「休んでろ」
監督官は初めて自分から向かってくる相手に一瞬うろたえた。しかしその引け目を心から追い出すように、大きな唾を吐き捨てた。
「いい度胸だ小僧!」
レンは片手で木剣をくるりと回転させ、その木剣の重心を確認してからおもむろに構えた。
「お遊びは終わりだぜ、先生」
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