使用人、特別警護に任命される
「いやはや、驚きましたな」
評議会の面々のなか、顔よりも大きな髭をたくわえた壮年の男が言った。
「便乗するようで恐縮ですが、私めもそう考えておったのです」
校長は尋ねた。
「その論拠は、ミセアさんと同様ですか?」
「おおむね同じですな」
髭の男は頷いた。
「さらに、付け加えるものもありますぞ。私めは現場の撤収を監督しておりましたのでな、郵便室の方も調べたわけです」
周囲の者は、じっと彼の話に耳を傾けている。
「ひどい有様なもんで。あそこはしばらく使えませんな。保管中の手紙もすべてダメになっておりました。そして何より、床板を外したときに召喚の魔法陣が現れたのには驚きましたな」
参加者たちは顔を見合わせ、口々に何かをささやいた。ミセアは彼らのなかに怪しい挙動の者がいれば決して見逃すまいと神経を尖らせていた。
「…… 警戒体制の強化はやむをえないでしょう」
校長は顔の前で指を組み、自らに降りかかるプレッシャーに耐えながら言った。
「今後、授業は原則として下級生と上級生を半々とした合同授業とします。例外は、必ず高位魔術が扱える教員を三名教室にいる条件でのみ認めます。そして、すべての授業に警護兵を三人つけること」
「寮はどうします? 上級生と下級生を同じ部屋にすると、いらぬ権力関係が生まれ問題になります」
校長は間髪を入れず答えた。
「寮のような、毎日大人数が必ず使う施設に関しては、この会議が終わり次第、魔物を感知する術式を組み込みます」
「ですが、必要な魔力は少なくありませんよ」
「術式維持のための魔術師を新たに雇い入れます。領主殿へもその歳出に関して援助を打診しておきます――」
何人かの視線が自分に注がれたのをミセアは感じた。
校長は続けた。
「それでは採決に移りますので、今言った提案を承認してください。今回の議題は以上です」
彼女は最後に椅子から立ち上がり、まっすぐ伸びた背筋のままテーブルを囲う同胞たちを見回した。
「よろしいですか。かつて勇者たちが魔物を撃退し王国に平和をもたらして以来、ここエオラーム領は魔物侵入の最前線となってきました。今回のことは不吉な前兆です。これから何が起こるのか知る由もありませんが、譲り受けた神聖な地を、魔物に踏み入れさせてはなりません。絶対に阻止せねばなりません。それは文字通り、命を賭して」
校長が再び座ると、おごそかに採決がはじまった。評議会は満場一致で校長の提案を承認可決し、その場は解散となった。
「ジグー様」
部屋を出た髭の男に、痩せ型の男が歩み寄った。彼は髭の男が雇っている執事であった。
「事件について、新たな情報を得ました」
髭の男ジグーは、周りの評議会メンバーが歩き去るのを待ってから、執事に続きを促した。
彼は主人のそばに迫って耳打ちした。
「魔物が暴れている折、校舎の屋根に上がっていた者がいたのを見ていた生徒がおりました。その者はそこから魔物の方へ向かっていったそうです。そして調べてみたところ、その者はエオラーム嬢の使用人であったことがわかりました」
「なんと」
ジグーは目を見開いて執事の顔を見やった。
「あの方からそんな話は一切出なかったぞ。すると、それは話すまでもないからなのか、隠したのか、気になるところだの」
「引き続き調べます」
「うむ。任せたぞ」
執事が去ると、ジグーは髭をなでながら辺りを見回した。廊下にはすでにミセアの姿はなくなっていた。
◇◇◇
レンはアルリーを手伝っていた。彼女は家中の花瓶や燭台、さらには食卓テーブルまで外の芝生に運び出して、それらを雑巾で丹念に磨きはじめた。レンもそれに巻き込まれて、今は芝生に座りながら、宝箱を抱きかかえるようにして拭いていた。
「いったい何があってこんなことしようと思い立ったんだ」
「今朝、気付いちゃったのよ」
彼女は浮かない顔で言った。
「寝室の床掃除をしようとしたら、棚の上と、そこに置かれている陶器や楯がぴかぴかになっていて、隅には布切れがたたんで置いてあったわ」
「それがどうした?」
「わからない!? ミセア様がお掃除なさってたの!」
アルリーはこの世も終わりだと言わんばかりに天を仰いだ。
「私、背が低いからあそこの棚の存在なんて、とんと忘れてたのよ。でもこんなの言い訳。ああ、私ってなんて恥知らずな使用人なんだろう! ご主人に掃除の残りをさせるなんて!」
レンは彼女の悲観っぷりに唖然としていた。
「些細なミスだろう」
「そう思わないから、私はこうして部屋のものを全部外に出して、全部磨き終えるまで家に入らないと誓ったわけ」
「その誓い、まさか俺も入ってる?」
「とにかく」
アルリーはこうして話している間、目と手は一心不乱に持っている彫像の汚れを取ることに注がれていた。
「ミセア様がお戻りになったとき、私にお暇を出さないことを祈るばかり」
「そんなことをする人じゃないと、この前君自身が言ってたじゃないか」
「だから怖いのよ! もしクビになったら、あんな素晴らしい方に雇われることなんて二度とないんだから」
「気にしすぎだよ」
レンは立ち上がり、空模様を見た。もし雨が降ってきたら家財もダメになるというのに、彼女はどうするつもりだったのか。
「この量じゃ、日が暮れても終わらない。とにかく一度、全部家に戻そう。続きはコツコツやっていけばいい。もしご主人に何か言われたら、俺もかばってやれる。こうして不祥事――というほどでもないが、とにかくミスを取り返そうと家財の運び出しまでしたという苦労話をしてやれるよ。そうしたら、ご主人も君を叩き出すようなことはしないんじゃないか」
「……ほんとに…?」
彼が慰めると、アルリーは今にも泣き出しそうに眼をうるうるさせた。
「ありがとう! レン大好き!」
アルリーは彼に抱きつこうとしたが、レンは手に持っていたガラス細工を守ろうとそれを避けてしまい、彼女は自分の磨いた巨大な花瓶に抱きつくはめになった。
◇◇◇
「ねえ、道合ってるの? ごちゃごちゃしてて、全然わからないんだけど」
「何度も来てるから大丈夫だ」
迷いなく歩いていくレンを、アルリーは後ろから追いかける。石造りの建物に入ると、そこは大きな食堂になっていた。ちょうど昼食どきで、中は人でごった返していた。しかしそれらの人々は、生徒とはまた違う。
「ここは学校で働く使用人のための食堂なんだ。生徒たちの食堂よりはだいぶ埃っぽいだろうが、自分で片手間に作ったスープよりは美味いものが食べられるはずだ」
レンは奥に行き、忙しそうにしている大きなエプロンをつけた中年の女性に声をかけた。
「おや、レンかい。どうしたの?」
快活で、かなりの早口だ。
「一緒に離れで仕事してる同僚を連れてきたんだが、いいか?」
「好きに使いな。あんたの連れなら構いやしないよ」
レンは頷いて、今度はアルリーをカウンターの行列に連れていった。
「こんなところ、知らなかったわ」
アルリーはこの食堂の回転の速さについていくのでいっぱいいっぱいのようだ。
「本当は校舎で働いてる人間のためのものなんだが、手伝いをしてるうちに入れてもらえたんだ」
「そんなことしてたのね」
「いちおう、学校全体への奉仕が仕事になってるからな」
会話している間にも列はどんどん進み、二人が持つトレイには料理がどんどん乗せられていった。
その途中、レンが中のコックにポケットから出したコインをいくつか渡すと、そのコックは頷き、二人のトレイにそれぞれひと口サイズの蒸し鶏をひと山積み上げ、さらに上から大量の香草をまぶした。二人はずっしりと重くなったトレイを抱えて、空いた席に腰掛けた。
アルリーは湯気と香りの立つ蒸し鶏をフォークでつつき、口へ運んだ。
「…… おいしい」
そのとたん、彼女の眼からぽろぽろと涙がこぼれてきた。それを拭うこともせず、彼女は食事を続けた。レンも彼女が涙を流すにまかせた。
しばらくしてアルリーは言った。
「たしかに私、少し気を張りつめすぎていたかもしれない。最近ずっとお腹が空いていたし、きっとろくに食べてなかったんだと思う……」
レンは水をひとくち飲んだ。
「君がそんなままじゃ、ご主人も心配するよ」
彼女はつづけた。
「ねえ、レン。あなたがいれば、ここで食べてもいいんだよね? 明日からも一緒に食べていいかな?」
レンは頷いた。彼自身も、そう言われてほっとしたように見えた。
アルリーは嬉しそうに微笑んだ。
「…… ありがとう、レン」
◇◇◇
食堂をあとにし、二人は家に戻るため歩きだした。
「そういえばレン、あなたがミセア様を助けたって本当なの?」
「ご主人がそう言ったのか?」
アルリーは頷いた。
「レンって、実は強いのね」
「俺はそうは思わないけど。だから入学試験に落ちたわけだし」
「なんか不思議ね、それ。それに、もったいないと思う」
「こうして職を得たんだ。結果よければ、だよ」
「ふうん…… 試験に落ちて、故郷に帰ろうとは思わなかったの?」
「思わなかったな」
アルリーは首を傾げた。
「故郷はどこ? そういえば、教えてもらってない」
レンは黙ってしまった。
「もしかして、言いたくないことだった?」
「いや、そんなことはないよ」
レンは首を振る。
「故郷は……東にあるんだ。俺は王国の外から来たんだよ」
「へえ、そうだったのね」
アルリーは驚きは少しだけで、どこか腑に落ちたような感じを見せた。
「じゃあ、そこで勉強したのね。魔術とか、剣術とか」
「ある程度できないと、人間扱いされないところだったからね」
レンは自嘲気味に言った。
「それでも…… そこでの同調圧力みたいなものに、俺は我慢ができなかったのかも」
「ふうん……」
アルリーは彼の横顔をまじまじと見るが、彼が正確にどのような感情を抱いているのかは掴みかねたのだった。
家へ戻ると、ミセアが一階の窓の桟に肘をついて、外の景色を眺めているのが見えた。するとアルリーは慌てて駆け出そうとしたので、レンはまた彼女のよくない癖が出たと思い、それを引き止めた。
アルリーはしぶしぶレンと同じ歩調で家まで近づき、やや高い位置のミセアの前に立った。
「申し訳ありません、ミセア様。お帰りとは知らず…… お食事のご用意ができておりませんので」
「あら、そんなことはいいのよ」
主人は微笑んで彼女を迎えた。
「いつもバスケットに果物やパンをきちんと入れてくれているでしょう? おかげさまで、昼食は済んでるわ」
隣のレンが肘で優しく彼女をつついた。アルリーは顔を赤らめながらも、心底ほっとした様子を見せた。
「えっと… い、今のうちにお夕食のご用意もいたしますね…!」
と彼女は早足で家の中へ入っていった。
「レン」
とミセアは視線をもう一人の使用人へ移した。
「あなたも一度入ってくれる?」
レンは眉根を寄せた。
「決まりはいいんですか?」
「すぐ済むから」
レンは肩をすくめ、言われたとおり家へ入った。
家の中は見渡す限りぴかぴかに磨かれていた。調度品にくわえ飾りの類も多いのだが、そのすべてがきれいに整頓されていた。玄関と食堂には花が飾られていて、落ち着きのある香りが部屋を満たしている。
レンは自分のブーツが汚れていないか、おもむろに靴裏を確認した。
「レン、こちらへ」
ミセアはさらに彼を呼んだ。彼女は居間と台所の間のスペースに立っていて、手に剣を一振り提げていた。
レンが怪訝な顔で歩み寄り、ミセアの正面に立つ。彼女はそれを待って、手にした剣を彼に差し出した。
「あなたを学校の警護兵に任命します――」
レンは眼を見開いた。
「――本校はこれからしばらく、高警備態勢に入ります。したがって兵や魔術師も増員しなければなりません。私が使用人の一人を警護兵と兼任させると提案したら、校長は喜んで受け入れてくれました」
彼はそれを受け取る前に、気になっていることを確認した。
「ご主人、あなたはまだこの学校に残られるつもり、と考えていいんですね?」
「…… たしかに私の一族の者は、私が安全な屋敷へ戻るのを望むでしょう」
彼女は眼を伏せた。
「けれど、そもそもそういった抑止を振り切って私はこの学校に来たのです。ですから可能なかぎり、私は一族の警告があってもここにいます。これ以上危険な状態になるならば、あるいは強制的に連れ戻されるということもあるのかもしれませんが……」
するとレンは手を差し出し、彼女から賜った剣を受け取った。
「なら、ご主人の望みが叶うよう、できる限りのことはしましょう」
「…… ありがとう、レン」
“せっかく得た職を失いたくありませんからね” という軽口が喉から出かかったが、今のレンはそれを言う気分になれず、言葉を飲み込んだ。
彼はもらった剣を指した。
「見ても?」
主人が頷くと、彼は鞘から剣を引き抜いた。露わになった刃を窓から差す陽に照らしてみる。くすみのない銀色の刀身は受けた光をするどく跳ね返して輝いていた。
「オアムで一番の職人が鍛えた業物よ。すこし長いけれど、あなたなら充分に扱えると思うわ」
後ろからミセアが注釈を加えた。
「これは…… 何らかのお返しをしないといけませんね」
振り返ったレンは、いつもの冷静沈着な黒い瞳のなかに、まるでその銀の刀身から吸い込んだように邪気のない光を灯している。
「あなたも、やっぱり男の子ね」
ミセアは笑い、目を輝かせてじっと得物を観察するレンを、どこか愛おしいような気持ちで見つめていた。
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