審問官の尋問を躱す
レンから動揺は感じられなかったが、カベイルはすぐに視線をミセアに移した。彼女の表情は緊張し、おもわず呼吸が止まり、不安いっぱいの眼を彼に向けたのがみえた。カベイルは、攻める価値があると判断した。
カベイルはさりげなく自分の腰に差している剣の柄に手をかけた。それと呼応して、ほんのわずかにレンの左足が後方に移動する。抜剣しやすくするために右利きが無意識にとる典型的な所作。なるほどその腰に剣があれば、一人前の剣士のできあがりだ。
「ちょっとすまないが、両足を肩幅に開いて立ってみてくれないか?」
カベイルは優しい声色で頼んだ。
ミセアの視線は、レンを見つめるような露骨なことはやめたが、代わりにどこを見ればいいか定まらずふらふらしている。
レンは言われたとおり、足を自然な幅に開いた。
「君はこの魔物に関しては何も知らないのだね? この魔物も死骸になったところをさっき見ただけだね?」
「はい」
「ありがとう。ではそのまま、二度ほど深呼吸してもらえるか?」
レンは指示されるままに、大きく息を吸って、肺が空になるまで吐いた。
「ショッキングな場面だったろう。気持ちは落ち着いたかな?」
そうだ、それでいい。とカベイルは思った。小僧の戯言はどうでもいい。俺はお前の心の声だけを聞く。
指示した動作によって、レンの身体が放出する魔力は明らかになだらかで、素直な流れになっていった。滲み出る魔力は豊かで濃く、魔術師としての素養は申し分ない。しかしどうじっくり観察してみても、その魔力は無色透明、無味無臭のままであった。火属性の暑苦しい感じも、水属性の気取った感じもない。まして闇属性の気配など、微塵もなかった。
カベイルはいささか拍子抜けしてしまった。
「ずいぶん気持ちが楽になったような気がします」
レンは軽く笑みをみせた。彼の調子に乱れはなかった。
「ふむ…… それは結構」
カベイルはミセアの方にお辞儀して、そして引き返していった。
「あの使用人が何か?」
側近は歩きながら尋ねた。
カベイルは新しいラグサ煙草に火をつけた。
「いや、あれはシロだ。ただ、魔法も剣術もおそらくできる。罪ある生徒がとっさに使用人のふりをしてるのかと思ったんだが、あれはどちらかというとお嬢様私用の護衛という感じだ。まあどちらにせよ、お嬢様の危機にそばにいなかったし、剣の常備もしてない。腕は立つが役には立たない間抜けだ。捨てていい」
ミセアは近くの瓦礫に座り込み、両手で顔を覆った。
「生きた心地がしなかったわ……」
レンも大きなため息をついた。
「あいつは俺に指示してる間、俺よりむしろ君のほうを観察してたよ」
ミセアは顔をあげた。
「……ほんとに?」
「ああ」
レンは肩をすくめる。
「君の綺麗な顔が怒ったり泣いたりしてるのが、隣の俺にも手に取るようにわかったくらいだ」
ミセアは自分の顔が熱くなるのを感じた。
「あいつはおそらく、相手の魔力を測る能力があるんだろう」
「そんなことができるの?」
「たまにいるんだ、そういうやつが。人を指差して、“お前は落ち着きがないだろう、風属性だから” とか言うんだよ。そして、だいたい外れてる」
くすっとミセアは笑った。おかげで緊張が解け、どんどん全身の力が抜けてきた。
「アルリーを呼んできて。たぶん、本当に一度家に戻って眠ったほうがいいと思うの」
レンはうなずいて、すぐそちらへ向かってくれた。
瓦礫で満たされた辺りを静寂が包んで、ミセアはようやく一息つくことができた。突然の魔物の襲撃、駆けつけたレンと、彼の禁じられた魔法…… 起きた出来事を手当たり次第に思い返していると、あの魔物が逃げ遅れた生徒をひねり潰した光景が浮かんで、とたんに彼女の胃が締めつけられ、吐き気がのぼってきた。
「う……」
口もとを押さえると、同時にそばにいたレンが彼女の肩に手を置いた。
「今、ひとりにするとまずいと思って引き返してきたんだ。大丈夫か?」
「大丈夫……大丈夫よ」
ミセアは吐き気を抑え、何度か深呼吸した。たしかに、あまりに大変なことが起こりすぎたので、今はひとりでゆっくりそれを回想するべきときではないのかもしれない。
「ありがとう…… あなたは、いるべきときにいてくれる人ね」
「大げさだな」
「ほんとよ。本当に、そう思う」
◇◇◇
レンはミセアが立ち上がれるようになるまで待ってから、アルリーのところへ二人で行き、三人で家まで戻ることにした。
道中、レンが放り出してきた荷台に立ち寄った。物品はそのまま荷台の上に残っており、レンがノックアウトした男たちもいなくなっていた。彼らの怪我も魔物のせいということになってくれればいいのだが、とレンはひとり思った。
「わー! すごい!」
アルリーは豪華な祝い品の山を見て興奮していた。荷台に登って、品々を物色しはじめた。これではさっきの男たちと変わらない盗賊っぷりだ。アルリーはふと冷静になって、ミセアを恐る恐る見やった。
「も、申し訳ありません…ミセア様。我を忘れておりまして……」
するとミセアは叱るどころか、自分も後ろから荷台の上に登ってしまった。
「ねぇ、レン。せっかくだから、一緒に運んでもらえるかしら?」
レンは頭に手を当て、抗議した。
「重くて運べるか!」
「あー! レン、ひどすぎ! 特にミセア様に失礼!」
「本当ね。運んでくれたら、それなりの心付けをあげてもいいのに――」
「は! 謹んで運ばせていただきます!」
レンはすぐさま梶棒の間に飛び込み、支木を掴んで走りはじめた。
車輪が石畳の道に入ると、走る荷台の揺れが激しくなった。
「きゃーー! 危ないってば!」
アルリーが叫ぶ。彼女は荷台の板にしがみつきつつ、外に転がり落ちそうになる品々を押さえつけた。
「レン! 怖い! ほんとに怖いから!」
レンは速度を緩めず走りつづけたまま荷台の二人を振り返った。
「悪い! 止まらん!」
「え!?」
「重いから慣性が強すぎて止まらない!」
「重いって言うな!」
「気にするとこそこかよ!」
「レン!」
ミセアが呼びかけ、前方を指差した。
すでに終点の家が近くまで迫っていた。このままでは家を通り過ぎて外壁に激突してしまう。
レンは覚悟を決めたようにもう一度振り返った。
「先に謝罪をしておく! 調子に乗って速度を出しすぎて本当に申し訳ない!」
「何するつもり!?」
「強引に止める! たぶん吹っ飛ばされるから、うまいこと着地してくれ! たぶん痛いけど!」
「ええっ!?」
レンは掴んでいた支木を持ち上げ、両手で地面におもいきり叩きつけた。すると支木が地面に突き刺さってブレーキとなり、荷台の後部がふわりと浮いて、荷台の上のすべてが前方に投げ出された。
レンもひっくり返る荷台に潰されないよう前に跳びこみ、前転して着地すると、すぐに後方を振り返った。
その瞬間、不運にも真正面に飛んできたアルリーが激突し、そのまま押し倒されて彼女の下敷きになった。
祝いの品々が爆発した破片のように芝生の上に落下するなか、アルリーは意識を取り戻してレンの上で上体を起こした。
「レン!」
彼女はびっくりして下敷きになった同僚を見た。
「なんで!? 私よりミセア様を受け止めなよ!」
受け止めたわけじゃない。とレンは言いたかったが、激突の衝撃で視界に無数の星が飛び、とてもそれどころではなかった。
しかしなんとか気を持ち直し、辺りを見回した。
ミセアはすぐそばに倒れていて、あろうことか小刻みに痙攣していた。
とんでもないことになってしまったと思ったが、違った。彼女は涙を浮かべながら、お腹を抱えて大笑いしていたのだ。
アルリーはもちろん、レンも彼女の様子が逆に怖くなって、慌てて駆け寄った。
「ミセア様、大丈夫ですか?」
話しかけても、彼女は笑い苦しんでなかなか答えてくれない。
レンは神妙な顔つきでアルリーにささやいた。
「頭を強く打ったかもしれない。今日の騒動で出払ってるかもしれないが、医者を呼んできたほうが――」
するとミセアは笑い転げながらもぷるぷると手を挙げ、医者を呼ぼうとした二人を制した。何度も深呼吸して自分を落ち着けると、まず四つん這いになり、それからなんとか膝に手をついて立ち上がった。
じっと見守る二人を横目に、やっと気を鎮めたかと思うと、今度はそこまでの自分を恥じ入るように、頬と耳を赤くしつつ咳払いした。
「…… ごめんなさい。取り乱したわ」
「あの、お医者様はお呼びになりますか?」
「必要ないわ。無傷です」
彼女はごまかすように、乱れた金髪を手ぐしでなおした。
「あの…… 申し訳ない」
レンも恐縮して言った。
「気にしてないわ。むしろ――」
ミセアは小さく首を振った。
「今まで生きてきて…… 一番楽しかったかもしれない」
自分自身に確認するかのように、彼女はそうつぶやいた。
レンとアルリーは顔を見合わせ、やがてミセアに言った。
「ミセア様、おやすみになられた方がよろしいかと思いますよ。今ご準備しますね」
「なら俺は…… 飛び散ったものを集めるか」
ミセアはそれを手で制して、自分で家の方まで歩きだした。
「いいのよ、私は大丈夫。二人で祝い品を回収してくれる?」
「そうですか… わかりました」
主人が家に入って扉を閉めると、アルリーはおもむろに隣のレンを見やった。
「ねえ、ミセア様って、お綺麗だし人格も素晴らしい方だけど、なんていうか……」
レンは目を細めて腕を組み、言いづらそうにしているアルリーの言葉を引き継いだ。
「あれは、だいぶ変人だな」
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