隠していた力が知られてしまう。
ミセアがうっすらと意識を取り戻すと、眼前にシャーリアとアルリーがいるのがわかった。その奥に落ち着かない様子の校長の姿。そうしてだんだん、自分が地面に寝ていることと、首から下に掛けられた毛布を感じることができた。
二人が嬉しそうに何かを叫び、校長が安堵の表情を見せたのがわかる。意識がはっきりしてきて、ミセアはゆっくりと上体を起こした。
「レンは…?」
「レンならいますよ」
アルリーは答えた。彼女の視線を追うと、彼は瓦礫のひとつに腰掛けているのが見えた。アルリーが呼ぶと、レンは立ち上がってこちらへ歩いてきた。
「無事でしたか」
レンは膝立ちになった。
ミセアは両手でレンの腕をつかんだ。
「あなたに聞きたいことがあります」
レンの目が、初めてうろたえた。
「ミセア様、ご無理なさらずに……」
「大丈夫よ」
ミセアは毛布をよけて立ち上がり、すでに崩れた半球形の建物の瓦礫を踏み越えて、人に聞かれない位置にレンとともに移動した。
「どうしました?」
レンの問いに、ミセアはまっすぐ見つめ返した。
「あなたが私を助けてくれたのはわかっているわ。それは本当に感謝してる。けれど……」
彼女は毅然としていたが、同時に確信しきれていないような不安定さがあった。
「この国の…… いえ、大陸の常識を知らないわけではないでしょう?」
レンは不自然なほどなにも答えなかった。
ミセアは声のトーンをぐっと落として、レンに顔を近づけた。
「あれはどう見ても、闇属性の魔法よ…! あんなもの、いったいどこで手に入れたの…!?」
「俺にも確かなことは言えない」
あくまでレンはこの場面を、彼女と対等な人間として乗り切るつもりのようだった。
「俺からとりあえず話せることは2つ。ひとつは、この力で人々に害を与えようという意志はまったくない。そしてもうひとつ、そうではあっても、このことを知った人間が無意味な告発をしようというなら、俺はそれを排除しなきゃならないということだ」
ミセアの頬に冷や汗がつたった。彼女はたしかにレンに命を救われたが、彼を手放しに信頼することは早すぎるように思われた。言葉を慎重に選びつつ、彼女は言った。
「闇魔法の使い手は、それだけで咎人よ。…… 私の父上も、その咎で処刑したことがある」
そのあたりで周囲に群れていた野次馬の生徒たちがにわかに騒がしくなった。見ると、不思議な格好をした者たちが何人も現れて、あの四足の巨大な魔物の死骸を取り囲んだ。
「早くしろ! 魔素分解まで時間がない!」
彼らは慌ただしく死骸に対してなんらかの処置を施しはじめた。
「あれは…?」
「審問官たちよ。駆けつけてきたのね」
ミセアは説明した。
「ああして死骸の特徴を調べ、将来の研究の役立てるのよ。他にも薬品を調合したり、まあ…… 変わった仕事を任された人たちというところかしら。もちろん、犯罪者の追跡も……」
すると彼女はハッとしてレンに耳打ちした。
「いい? これは私の故意ではないことをあらかじめ断っておくけれど…… あなたの闇魔法の残滓を彼らが見つける可能性は高いわ」
「もしそうなら、どうなる?」
彼は審問官たちに、恐れどころか今にも斬ってかかりそうな鋭い眼光を向けていた。
「拘束されるのは間違いないわ。悪くいけば……」
「処刑か」
顔の半分に縦に走った大きな傷跡をもつ男が、審問官たちを統括していた。男はラグサ葉を細く丸めた煙草に火をつけ、目の前の巨大な死骸を見つめていた。死骸からはすでに光の粒が四散しはじめ、魔素分解の兆候を示していた。
「カベイル隊長」
側近が報告に歩み寄った。
「この魔物の出現場所は現在確認中です。脅威レベルはおよそ3と測定。死因は魔法による頭部損傷です」
「損傷か……。この有様で、死因もクソもあるまい」
魔物は巨大な力でねじ切られたようになっており、もはやどちらが前足でどちらが後ろ足かも判別が難しい状態になっていた。
「闇属性魔法による攻撃だろうな」
「は、ご賢察です。死骸や周囲の瓦礫から、闇魔法を使用した痕跡が確認できました」
カベイルは細い目でぼんやり死骸を見つめながら煙を吸い込み、そして吐き出した。
彼には魔法の色や匂いを感知する能力がある。魔法で攻撃されたこの死骸はもちろん、魔法の素養がある者が皮膚から無意識に放出する魔力からでも、その者が使用する魔法の主な属性を知ることができる。その放出は、どれだけ集中しようとゼロまで抑え込めるものではない。
「では問題は、どこのどいつがこれを殺したか、だ。生き残りは?」
側近は答えた。
「途中で逃げた者もおりますが、主に魔物が死んだとき、その場にいたのは二名です。エオラーム家のミセア嬢と、その使用人です」
「エオラーム…… そういえば居たな、貴族でありながら市井の訓練学校に入学した奇特なご令嬢が」
領主の子女であれば、呼びつけるわけにもいかないので、しかたなくカベイルは煙草を捨て、瓦礫に囲まれて休んでいるミセアのもとへ歩いていった。
レンは早くもこちらへ向かってくるカベイルと側近の姿をみとめた。
「ミセア、先に言っておく。俺は拘束されるくらいなら死を選ぶ。だから、」捕まりそうになったらあの男を殺して逃げる。と言いきる前に、ミセアは彼を制した。
「あなたのことは私が守るわ。心配しないで」
レンは黙ってしまった。
カベイルたちがやってきた。
「お嬢様、失礼ながらお話をお聞きしてよろしいか?」
ミセアは腕を組み、毅然とした態度で相手と対した。
「構いませんが、手短に済ませてください。それと、私は“お嬢様”と呼ばれるのは非常に不快です」
「大変失礼しました」
カベイルは深々とお辞儀した。その顔が「なるほど、変わり者だ」という感慨を浮かべたのを、付き合いの長い側近は見て取った。
「率直にお聞きしますが、あの魔物を始末したのはあなたでしょうか?」
レンはなるべく平然としていることに努め、尋問を受けるミセアを後ろから見守っている。
「いいえ。私は知りません」
ミセアは答えた。
「では、誰が?」
「そんなことは、私にはわかりません。むしろそれを考えるのは、あなたではないのですか?」
「ええ、おっしゃる通りです。あなたはこの場で気を失っていらっしゃった。魔物もこの場で死んでいるのです。それがどうにも不可解なのです」
カベイルは問いかけながら、意識をミセアに強く集中させた。美しく整った顔は、ほころびが目立つものだ。
「まだご存知ではないかもしれませんが、今わかっているだけでも8人の生徒が殺されました。なにせ転がっている臓物から逆算したので、人数はまた前後するかもしれませんがね。そして失礼ながら、もののはずみでそれは9人になっていたかもしれない」
ミセアの金色の瞳に、不安と悲しみが広がった。カベイルはそれを見てつづけた。
「あの化け物は殺したそばから食っていく趣向のやつらしい。ですから、あなたが気絶したにもかかわらずまだ生きておられるというのは、あの魔物はあなたをいざ食べられるときになって、食欲がなくなったということなのでしょうか?」
「そんなことは知りません」
ミセアは答えた。
「むしろ私は今、生き残ったことについてそのくらいの奇跡を信じたい気持ちですから」
「……なるほど。それは確かにそうですね。お辛いでしょう」
カベイルはいかにも納得しましたという感じで頷いた。彼女の纏う魔力にも、べつだん特殊なところはなかった。彼は早々に切り上げて、他の調査に向かうことに決めた。
「お疲れのところに大変あつかましいことをいたしましたが、お許しください」
彼はお辞儀をし、側近に手を振った。
「行くぞ」
「疲れたわ」
ミセアはため息をついて、レンの方を向いた。
「アルリーを呼んできて。少し家に戻って休みたいから」
「ええ」
レンは頷いた。
カベイルは去り際に、一度だけ二人をちらりと振り返った。そのとき、彼女の使用人の、ベルトの左腰部分が、ほんのわずかに歪んでいることに気づいた。
“ おいおいおい、何を使用人が剣を差すことがある? ”
「君」
カベイルは立ち止まって振り返り、じっとりとした眼でレンを見つめた。
「…… なんでしょう?」
レンはそれを見つめ返した。
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